カリオストロ伯爵とは?④-王妃の首飾り事件とフリーメイソン‐
みなさん、こんにちは!
今回も、下記の本に沿って、カリオストロ伯爵ってどんな人物なの⁉、そして、『ベルサイユのばら』にも描かれている「首飾り事件」とは⁉ということを中心にみていきたいと思います。
前回の記事で、「首飾り事件」の主要人物は4人であると書きました。
カリオストロ伯爵、ロアン枢機卿、ジャンヌ(・ラ・モット伯爵夫人)、マリー・アントワネットですね。
この4人が固唾を飲んで見守る「首飾り事件」の判決が言い渡される日が、1786年5月31日。
この日は、パリの群衆が、パリ裁判所からシャンジュ橋、セーヌ河畔まであふれていたらしい。
フランス革命勃発後、この裁判所の法廷に、マリー・アントワネットも立つことになろうとは、彼女もこの「首飾り事件」の判決の時は思っていなかったでしょう。
シャンジュ橋は、マリー・アントワネットが処刑の際に通った橋でもあり、コンシェルジュリー(ブログトップの写真)の前にある橋です。
(このあたりも、私のYoutubeでいろいろ話しているので、宜しければご覧ください。記事の一番最後にリンクを貼っておきます。)
私、この本を読んで、改めて気づいたんですが、ロアン枢機卿って、すごい権力者だったんですね。
ベルばらでは、そんな権力があるような人には見えないけど💦、史実ではブルボン家に次ぐ地位を持っていたとか・・・。
そして、とても裕福だったのは知っていたのですが、なんと!1年間の収入が小さな国の国家予算レベル!だったらしい。
彼は、マリー・アントワネットの偽名で非常に高価な首飾りを手に入れ、盗んだと告発されていました。
ロアン枢機卿は、ジャンヌが王妃と親しいと自分に信じさせたと主張。
ロアン枢機卿が有罪になれば、カリオストロ伯爵も同じ運命を辿ることになっていて、このカリオストロ伯爵を告発していたのが、ジャンヌだったんですね。
「首飾り事件」のいきさつについては、今後の記事でも書いていく予定ですが、この3人が最初どこで出会ったのかというと・・・ストラスブールのサヴェルヌです。
そうです!サヴェルヌは、ベルばらでは、ジャンヌの潜伏先として描かれていて、オスカルがサヴェルヌまで兵を率いて、逮捕しに行く場面で登場する場所ですね。
このサヴェルヌのロアン館に、マリー・アントワネットが輿入れの際に宿泊したようで、マリー・アントワネットは、なぜかロアン枢機卿と縁があるな・・・とつくづく思います。
ストラスブールに行く機会があれば、ロアン館にも是非行ってみたいですね。
因みに、ブルボン家に次ぐ権力を持っているロアン枢機卿は、パリにも豪勢な邸宅を所有していて、パリにおいても、ジャンヌとカリオストロ伯爵は、ロアン枢機卿の邸宅がある近所に住んでいたんです!
このパリの場所については、追々記事で書きたいと思います。
カリオストロ伯爵が、フリーメイソンの一員だったことは、あまり彼を知らない人でも知っているのではないでしょうか。
私、本を読んで驚いたんですが、ストラスブールって、ヨーロッパのフリーメイソンの中心地だったんですね。
もっとびっくり😲したのは、あのオルレアン公(ベルばらでは、黒い騎士の場面で登場する反国王派の王族ですね)が、フランスのフリーメイソンのグランド・マスターだったこと!!
しかも、ジャンヌをパリのパシーで拾ったブーランヴィリエ侯爵夫人が住んでいたブーランヴィリエ城に、フリーメイソンの本部があったらしい。
「首飾り事件」が起こる以前よりも、この4人の主人公が、何らかの形で、縁を持っていたことに、不思議なつながりを感じました。
今日の記事はここまでにして、次回は、アルセーヌ・ルパンの『女王の首飾り』についても触れたいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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