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虎のたましい人魚の涙 | くどうれいん
被災地の物語やドキュメンタリーに涙を流すとき、わたしは自分のその涙が本当にきらいだ。どうしたって、自分のこの涙のことを、他者への祈りだとは思えないのだ。
震災に対する気持ちにはグラデーションがある。
ガタガタに割れた道路を車のおなかをこすりながらハンドルを固く握りしめて、やっとの思いで帰ってきた私と。
買い出しに出た隣県のテレビの津波映像に驚き、家族を探しに行って、戻って、必要なものをかき集めてまた行った夫。
親戚四人の名前が震災慰霊碑に彫られている夫がお墓に手を合わせる気持ちは、私とはぜんぜん違う。
あまり考えないようにしよう耳鳴りがしそうだでも忘れない、でもいま忘れないって思っているわたしは「一日も忘れたことがない人たち」のことを見て見ぬふりしているのではないか(略)
気になっていたくどうれいんをついに読んだ。
ぐるぐる否定をくり返す彼女に私はほっとする。ひとりひとりグラデーションがあって、彼女と私も違っていて。
彼女はたぶん懺悔の色が濃い。私は悲しみに乗りきれずひとり残されて限りなく薄い。
そのとき(これを見ていない人間がなにを言ってもにせものだ)と思い、同時に(ここに居なかったわたしは、にせものだ)と、確信のように思った。
同郷だからだろうか、ネイティブに体に入ってくる。
それはおばあちゃんの訛りが聞き取れるということだけではなく、魂の作り方のどこかが同じというような。
十年ずっと言えずにいた震災のことをようやく小説にできたのが『氷柱の声』だと知る。時がきたら、最初に手にするのは『氷柱の声』でありたい。彼女の本ならきっと素直に読める気がするんだ。
プリンがつめたいうちにただいまおかえりを言い合えるようになったふたりの生活が幸せであってほしい。
結婚した当初、とあるブログに書かれていたバレンタインデーの日記がいまだに忘れられない。
「恋人の頃はかわいらしくラッピングした手作りチョコを渡したけど、結婚してからは好きなものだけをグラスに盛りつけたチョコパフェをアイスクリームが溶けないうちにいっしょに食べる」という内容。
家族になるってこういうことなんだと新婚の私に刺さりまくった。
今でも折にふれて思い出す。愛おしいのはこういう日常。