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詩のなぐさめ | 池澤夏樹

詩は少ない言葉で多くの言葉を伝える技術である。いわばコンピューター用語でいうところの圧縮が掛けてある。解凍しなければならないわけだが、その方法は簡単。一度で済ませるのではなく二度か三度読めばいいのだ。
もっとも世の中には非常に高度の圧縮が掛けてあって、解凍の過程そのものが楽しみという詩もある。世に難解と言われるのはそういうことだ。

イェイツの詩と引用の原理

詩の読み方を求めているのだ私は。もっと詩を読みたいのだ。なるほど圧縮解凍。ファスナーがついたアイコンのアレ。解凍するとブワッと増えるアレ。うまいこというなあ。
ポエトリー・ドッグスでは、想像したことも観察したこともいっしょくたに同じテーブルに並ぶ〈物〉になるといっている。これも目から鱗だった。

詩で躓いたときどっちのパターンかなと眺めてみよう。
ちょうど途中で止まっているヘッセ詩集がある。ヘッセは思考も現実もポケットの中から全部出して広げましたみたいな感触がする。とりあえず前半の愛についてのテーブルをかきわけて、その向こうのおもしろそうなテーブルに小走りで行ってみよう。

そこでびんびん心に響いてこない詩はたぶん今のあなたには向かないから、ひとまず捨てて別の詩の方へ行った方がいい。

イェイツの詩と引用の原理

宮澤賢治や中原中也は圧縮タイプかな。『アンダースローされた灰が蒼ざめて』なんてポケットに入っててたまるか。解凍して解き明かしたい気持ちもあるけれど、圧縮文でびんびん響いてごっそりもっていかれた私は敢えて解凍いたしません。このまま愛でます。中也を愛でます。

俳句はこんな風に辛いことも表現できるのか。哀切の思いは深いがそれでずぶずぶと崩れるのではなくきちんと客観化されている。

楽な時の俳句、辛い時の俳句

春の星こんなに人が死んだのか  照井翠『龍宮』より

あぁ。目の裏に浮かぶ。私はそこにいないのに。
あの日は本当に夜空いっぱいの星がきれいだった。あんなに人が死んだのに。

 震災をどう捕らえるか、立つ位置はたくさんあるだろう。

楽な時の俳句、辛い時の俳句

失った人の背中の影を見つめることしか私にはできない。どこまでいってもそれが私の立つ位置だ。だから俳句の客観性に救われる。刃はむしろ鋭かったりするけれどそれでも。
少しずつ震災のバリアをはずそうとしている。『龍宮』を読もうと思う。映画サンセット・サンライズも観に行った。笑って泣いた。とてもよかった。