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スティル・ライフ | 池澤夏樹

この世界がきみのために存在すると思ってはいけない。世界はきみを入れる容器ではない。
世界ときみは、二本の木が並んで立つように、どちらも寄りかかることなく、それぞれまっすぐに立っている。
きみは自分のそばに世界という立派な木があることを知っている。それを喜んでいる。世界の方はあまりきみのことを考えていないかもしれない。

冒頭2ページが良すぎて良すぎて。何度も読み返し、声に出して読む。やっぱり素敵。ここだけで読んだ甲斐があったというもの。

大事なのは、山脈や、人や、染色工場や、セミ時雨などからなる外の世界と、きみの中にある広い世界との間に連絡をつけること、一歩の距離をおいて並び立つ二つの世界の呼応と調和をはかることだ。
たとえば、星を見るとかして。

ーたとえば、星をみるとかしてー
くうううう。いい声で朗読を聞きたい。

星といえば。
大晦日の夜は、私の仕事が終わるのを待ってからのバタバタな帰省だった。実家の広い庭の外灯が届かないところに車を停めて二泊三日の荷物をおろす。
雲一つない新月。真っ黒な杉林の頭上に展開する星のひとつひとつがくっきりと大きい。夏は降るような星空だけれど、あの日は1個1個があるべき場所にきちんと配置されている星空だった。子供の頃から見てるのに、毎回初めて見るかのように圧倒されて言葉につまる。
呼応と調和。
外の世界と私の世界、はちょっと大げさか。私の世界とここに暮らす家族の世界との呼応と調和がなされたのだと思う。道中聞きながらきたFMラジオの脆弱な電波がつながったように。
「おかえりー寒い寒い」と出てきた母に「ただいまー寒いねー」と返事をした。

「なるべくものを考えない。意味を追ってはいけない。山の形には何の意味もない。意味のない単なる形だから、ぼくはこういう写真を見るんだ。意味ではなく、形だけ」
「そうするうちに個々の山は消えて、抽象化された山のエッセンスが残る」

抽象化っておもしろいとわりと思っている。
なにがおもしろいのかも、どこがおもしろいのかも説明はできない。ただなんとなく抽象化という単語に反応してしまう。最大公約数なのかな、最小公倍数なのかな、とか。
だから佐々井が意味を切り落としてエッセンスだけと言ったことにいいねと思った。佐々井ともっと話したかった。