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百年と一日|柴崎友香
「なにしてんのん」
「ライブ、見に来てん」
「いっしょや」
「好きなんや」
「そうでもないけど」
一組がそう言うと、二組は笑った。お互いの友人が、それぞれの名前を呼んだ。
「ほな、またねー!」
手を振って別れた。ライブ会場に入ってからは会わなかった。
あぁ、と顔をあげた。
私がうっすら持ち続けている形にならない関係性が、この一篇に書いてあった。
学籍番号の前後というだけで学生時代を共にした私と友人は、あれだけ密に過ごしたのに社会人になって徐々に希薄になって、結婚するから引っ越すという前夜もあっさり別れて、その後は年賀状一枚の関係。
その年賀状も、一言メッセージすらなにもない素っ気ないもの。
いつ切れてもおかしくない薄い線でかろうじて繋がっているけど、仮に途絶えたとしてもまあそれはそれでという関係。
けれど、どこかで偶然すれ違ったらまるで昨日会ってた延長のように話せるし、なにかのめぐり合わせで友人の息子と話すことがあったら「そんな話あったね、その時ね、」と続きを請け負ってあげられる。
私と友人は現在進行形で、まだ会えていない。
オチ、ないです。
私の人生がこのまま続いていくだけで、オチなんてない。
あのとき隣のテーブルにいたのが実はその友人で、とか、この数日後なんと劇的な再会が、とかもたぶんない。
二人は、連絡も途絶え、疎遠になっていた。たまに、あの映画館で観た映画のことを思い出すことがあった。あのときさー、と誰かに話したくなったが、あの映画館にいっしょに行ったもう一人以外には通じない気がして、やめてしまうのだった。
繋がっているようで繋がっていなかったり。
縁があるようでなかったり。
長い長い時間の中でのそれはごく小さな起伏でしかないのだけれど、時々ふと取り出してみたくなる。
そこには特別な物語性はない。
どうってことのない瞬間のその中のひとつというだけ。
時間と場所と記憶の34篇の物語。
すごくいい。
すごくいいのだけど、どうおすすめしたらいいのかちょっと言葉を探してしまう。
ちょっとこの感じわかるよねと、頬杖つきながらにやりとする感じとでもいおうか。