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生まれてから続く一つの習慣が10歳息子にもたらしたもの
我が家の10歳息子は、いわゆる「自己肯定感」がかなり高い。先日、息子に直接会ったことのない方が彼の写真を見て「すごく満ちている感じだね」と一言。あぁこれまでの子育てはいい方向に流れているようだと思えてホッとした。息子がもし“満ちている”としたら、思い当たるのは彼が生まれてからずっと続いている親子の一つの習慣からくるものではないかと思う。
その習慣とは、夜寝る前の声かけだ。
「今日も元気でいてくれてありがとう」
「生まれてきてくれてありがとう」
「〇〇のお母さんにしてくれてありがとう」
「世界で一番愛してる」
「おやすみ」
初めて声をかけたのはいつだったか忘れてしまったけれど、この5つの言葉がセットになってスルッと出てきたのを覚えている。言葉にしたとき、息子への愛がじわぁ〜と溢れてきて、きゅ〜とつながった感覚があった。そして私自身がなんだかすごく癒やされた。それがとても心地よくて、自然と習慣になっていった感じだ。
自我が目覚め始めた息子とガチ喧嘩したときも、仕事が大変でイライラして当たってしまったときも、怒って険悪になったときも、寝る前に必ず愛を伝えられることで、いつも救われてきたように思う。息子もその言葉たちを聞いて、スッと安心して眠りについているようだった。
年齢によって息子の反応が変わっていったのも面白かった。
2歳、伝えるとギュっと体を押し付けてきた
3歳、「生まれてきてくれてありがとう」と言ったら「どういたしまして」と返してきた
4歳、「ぼくもそうおもってるよ」と同じ言葉を私に伝えてくれた
5歳、「ぼくのほうこそ、おかあさんのこと、あいしてるよ」
6歳、「そんなこといわないで。おかあさんとおとうさんがどこかにいっちゃうみたいでかなしくなる」
そして7歳、小学生になった頃から、新しくこんな言葉が加わった。
「どんなときも、なにがあっても、大丈夫」
学校や野球チーム、習い事など、親の知らない外の世界がどんどん広がっている。4年生になり、野球の低学年チーム(メンバー24人)のキャプテンになった。野球大好き、すべて野球のために頑張るような子なので、楽しんでいるのはもちろんだが、試合に勝つために自分と仲間の気持ちをどう高めていくか、どんな声かけをしていくか、どんな姿を見せるか、キャプテンとしてプレッシャーを感じるであろう場面も増えた。
だから10歳になった今、さらに声を大にして毎晩寝る前に伝え続けている。
だって自分を支えられるのはまず自分自身だから。私は一緒にいられる時間の分、いつもいつもこの言葉で彼を包みたい。そしてのびのび羽ばたいていってほしいと願う。
日々息子に声かけしながらふと思うことがある。あぁ私もこんな風に母から言ってもらいたかったのだなと。
母は本家の嫁としていつもすごく忙しい人だった。息子(母にとっては孫)が生まれたとき、彼を抱きながら母は言った。「私はあなたたちの小さい頃のことをあまり覚えていないの」と。そのくらい当時は余裕がなく、必死に生きていたのだ。
母から愛されていると実感できずに育ち、自己肯定感が低かった10代、20代は本当にキツかった。自分が嫌い、母も嫌い。周りから“承認”されることに必死で、悲しい思いをして、学んで、もがいて、少しずつ少しずつ大人になった。
だからこそ私は息子に、自分が生きていること全部、肯定できる人になってほしかったのだと思う。40数年生きてきてやっと分かった「どんなときも、なにがあっても、あなたは大丈夫」ということを伝えたかった。
この親子の習慣を、息子が本当のところどう思っているかは分からない(いつか聞いてみたい)。ただ今のスーパーすくすくメラメラボーイぶりを見ると、彼の中に何かしらは蓄積されているのだろうと、母は勝手に思っている。
これからも、聞いてくれる間は、伝え続けたい。