【エッセイ】宮﨑駿監督だって嫉妬する
おったまげた。
宮﨑駿監督作品の見方が全てそのベクトルで変わってしまうのではないかというくらい衝撃を受けた。
昨夜、NHKで放送された「プロフェッショナル仕事の流儀」の宮﨑駿特集は日本中に雷が走った。(この雷というのもキーポイント)
番組が始まってすぐに宮﨑駿監督の嵐の如き喜怒哀楽の解放を番組スタッフの見事な編集によってみせつけられた。
アクセル全開。怒涛の感情情報。
私は釘付けになり、体は前のめりになっていたが心のどこかで岡田斗司夫さんがニンマリしている顔が浮かんだ。
確実にといっていいほどその内岡田斗司夫さんは昨日のプロフェッショナルの考察解説動画をYouTubeにあげるだろう。
予想していたいわゆる宮﨑駿監督の「君たちはどう生きるか」が出来上がるまでのスタジオジブリの仕事場風景密着ではなかった。
宮﨑駿という天才アニメ監督のこれまでの創作の原動力の裏側(本質的にはもう表側なのかもしれないが)は愛憎渦巻く人間の持つありとあらゆる感情であった。
2018年に亡くなられたジブリのもう1人の天才監督の高畑勲氏。
宮﨑駿監督との関係性を昨日はじめて知った。
宮﨑駿監督が高畑勲監督より年下で後輩だったことも。
番組内で紹介される2人で収まった写真や映像は高畑勲監督の後ろに時に俯き時に屈託のない笑みを浮かべている恋する乙女のような宮﨑駿監督の姿だった。
高畑勲監督のことをパクさんと呼び、十数年間を捧げたのに振り向いてもらえなかったと愛が憎しみに変わり大泣きして悔しがったことや雑誌を真っ二つに破り捨てた昼ドラのワンシーンのようなエピソードを鈴木プロデューサーが語る。
パクさんに認めてもらいたくて。パクさんに褒めてもらいたくて。パクさんに勝ちたくて…。
宮﨑駿監督はその都度の嫉妬や見返してやるんだから根性などを糧に新作を作り続けてきたように私は感じた。
いろんな考察や深読み、都市伝説まで生み出してきたジブリ作品(宮﨑駿監督作品)も蓋を開ければ根底には宮﨑駿監督の感情の表現であったといえなくはない。
私はそのことがとても嬉しくも思えた。
宮﨑駿監督レベルの天才の創作の原動力(モチベーション)が嫉妬などのどちらかといえば負のエネルギーであることに安心と共感を覚えた。
いいんだ。宮﨑駿監督でも嫉妬するんだから。
嫉妬することは悪いことではないんだ。
それもあからさまに。
2018年に高畑勲監督が亡くなってからの宮﨑駿監督はずっとパクさん…パクさん…と、高畑勲監督の影を求めていた。忘れるとかじゃなく、死を受け入れられずに何年もお通夜を引きずっているといった様子だった。
番組内で何か不思議なことがあるとパクさんがイタズラしたんだと結びつけていた。
「パクさん、消しゴム返してくださいよ…」と、創作に没頭するあまり記憶が所々抜けてしまうゾーンに入った宮﨑駿監督が消しゴムをどこかに置き忘れてしまった時の一コマ。
端から見たら少し心配になる映像ではあった。
これも宮﨑駿監督の高畑勲監督に対する想いの強さの表れなのだろう。
番組内でもずっと片思いという言葉が多用されていた。
本当に「駿の壮絶片思い物語」をみているようでもあった。
パクさんは雷様になったんだと宮﨑駿監督は言う。
雷が鳴り風が吹くと空を見上げパクさんの存在に怯える宮﨑駿監督。
そして、現実に放つ言葉が過去の作品の台詞に重なる。
今まで何度もみてきたあの作品もそんな宮﨑駿監督の日常の感情が込められていたのだろうか。
現実と作品の境目がぼやけ、作家の業をみた。
創作とはめんどくさくて苦しいもの。
だが、駿は止まれない。
止まりたいのに止まれない。
いたたまれずに鈴木プロデューサーが一言
「あの人は何が楽しくて生きてるんだろう」
さすがサギのモデル。
楽しさなんてものはひとからすれば苦しみに思えるものなのかもしれない。
私は今回の「プロフェッショナル仕事の流儀」をみて久々に高揚をひきずった。
そのせいか眠りが浅かった(低気圧の嵐で寒かったせいもある)
まだ外も暗い6時前くらいに目が覚め、しかも冴えていて、色んな思考が湧き上がっていた。
書き留めたいがそんなことしてたらそれこそ眠れなくなるのがわかっていて忘れないように反復して記憶に留めて布団にうずくまった。
そして今、やっとその吐き出しをしているわけだ。
とてもひっかかっていたのは2018年。
高畑勲監督が亡くなった年。宮﨑駿監督にとっても重要な年である。
もういくつか寝ると2024年だが、かろうじてまだ2023年。
5年前が2018年の今だからとてもひっかかってしまった。
5年間とは短くも長くもある。
特にこの2018年からの5年は特別な5年なのだ。
その間、コロナがあった(今もなくなってはいない)
コロナに伴い私の人生にも変化があった。
ガラケーからスマホに変えてはじめてTwitterというSNSをはじめた。そしてこのnoteも。
アナログだからと避けてきたことを取り入れたのがこの5年間にあった。
1年ずれるが2017年の夏、私は梶芽衣子さんに詩と手紙を書いて送った。
そして梶さんから返事が届いた。
私と梶さんだけのやり取りの宝物なのでハガキの内容の全ては語れないがそこには作詞家の先生たちの大変さが綴られており、送った私の詩にありがたいアドバイスをくださった。
あれから6年、私は梶さんに認めてもらいたくて、いつか梶さんに歌っていただきたくて、それに値する実力を身につける為に詩を書き続けてきた。
勉強といえるかわからないが学ぶ姿勢を忘れないで生きてきた。
とにかく書くことを続けた。
梶さんもコロナ禍にTwitterを始められ、YouTubeチャンネルまで作られた。
それ以前よりamebloはされていたので頻繁に更新されていないかチェックはしていた。
私は更新されるTwitterのツイートを楽しみにしていた。YouTubeも。
仕事の休憩中に梶さんのYouTubeチャンネルをみては励まされていた。
梶さんがYouTubeをはじめるとなった時の予告動画で
「梶芽衣子、ユーチューバーになりまーす」
と、おっしゃったのは今でも耳に焼き付いている。
時代に媚びることなく時代を自分のペースに取り込む梶さん。
それはNetflixの実写ドラマ「幽遊白書」の世界配信前夜祭で5000人以上も集まる有明アリーナの会場の心をガシッと掴みほんわかと和やかに梶さんのペースに染めたことと同じように。
会場の年齢層も何もかもの要素もものともせず梶さんは張り詰めた緊張の空気をトークで解した。
このトークはさすが世界の梶芽衣子といった梶無双であった。
主役の浦飯幽助を演じた北村匠海さんも尊敬を大前提で親しみを抱いて梶さんを制止していたのは印象深い。
この壮大なスケールのリッチで豪華なNetflixドラマ幽遊白書は5年の制作期間を経てやっとお披露目に至ったと前夜祭で知った。
5年間もこの日の為にかけたのだ。
これは携わった方々には尊い5年だと思う。
キャストの1人も欠けずにステージで挨拶が出来る喜びたるや。想像しただけでも胸が熱くなる。
本当に公開にたどりつけて良かったと安堵してやまない。
そこで、話は戻り梶さんのYouTubeチャンネル。
そこではいくつか動画があげられた。
梶さんがどこかの現場へ移動中の車内で勝新太郎さんが歌ってくれた歌を思い出しながらアカペラで口ずさんでくれたのは痺れるほどかっこよかった。
どこかのパーキングエリアで地のものの漬物や佃煮を試食したりして販売員さんとフランクにおしゃべりしている姿は私なんぞが生意気な物言いで恐縮だがお茶目そのものだった。
とても庶民的で味の質問を時間いっぱいまでしていた。そして時間が迫って慌てて買い物して車へ向かうのだ。
動画はそのどれも梶ラー(梶さんを推す者)にとっては眼福以外のなにものでもなく、貴重であった。今は全て削除されているので記憶を手繰り寄せて綴っています。
「追憶」の次の新しいアルバム制作も追って動画で紹介されていたが、いくつもの媒体のWEBニュースにもなったが発売までもう少しというところで白紙に戻ってしまった。(レコーディングも完了していた)
理由は各自で調べていただきたい。
どう報道されたかはここで綴ると一字一句間違えてはいけないので。
私は梶さんの信念を貫くお姿に感銘を受けた。
さすが梶さん!と…
私は梶さんのお決めになったことは支持いたします!と、幻のアルバムとなったのは残念ではないといえば嘘になるのだが、梶さんはまた次を考えてくださっているはずと未来を楽しみにしている。
そして、あの時、返事をいただいた時、2017年の夏。
6年前の夏である。
1年後には幽遊白書が動き出す。
TwitterとYouTubeを始められた時にはもう幽遊白書のオファーもあったのだろうか。
YouTubeの動画で移動していたのはコロナ禍で公共交通機関を避けての為なのか。
なんでも梶さん演じる幻海の修行場のロケ地は山口県下関と聞いている。
東京から山口まで車移動したのだろうか。
あのパーキングエリアはその時のものだろうか…
それはわからないが、私はいつか梶さんにお尋ねしたい。
それは作詞家として。
梶さんと、仕事をご一緒することが私の夢のひとつである。
身の程知らずと笑われるだろうがそれでもいい。
梶さんに認めてもらいたくて、梶さんに歌ってもらいたくて、梶さんとお仕事したくて、私はあのいただいた言葉を支えに作詞家としてそちらにたどり着きたい。
いつか、といっても悠長なことは言ってられないのでなるべくすぐにでもそちら側に行きますので。
あの天才宮﨑駿監督ですら個人的な感情を原動力にしてきたのだから、私も胸を張って堂々と梶さんに認めてもらいたくてがむしゃらになってますと言ってもいいのだ。
「プロフェッショナル仕事の流儀」をみて5年間(時々6年間)という月日を振り返り、「幽遊白書」の5年間に梶さんのSNS開始から全て閉鎖までを思い出し、私の詩作を含めた夢への悪あがきを思った。