映画「能登の花ヨメ」に励まされ
地元石川県を舞台にした映画やドラマをこれまで何本も観てきた。
大体地元民からすると(あるあるだろうけど)
ここからここへいきなり場面変わるのは距離がおかしいなどの違和感を味わったことがある人は少なくはないはずだ。
(石川県で)例えるなら
兼六園から走って犯人を追いかけて捕まえた場所が千里浜とか。ちょっと無理があることは他県の人にはわからない。私も県外のロケーションでそんなことされてもわからないのと同じように。
とはいえ、地元が舞台になってるとそりゃあ観てしまう。無条件に嬉しいもの。
今まで観てきた地元が舞台の作品で一番自然と入ってきたのが2008年に公開された白羽弥仁監督の「能登の花ヨメ」である。
主演は金沢出身の田中美里さん。
田中さんの姑役に泉ピン子さん。
ピン子さんの隣家のおばあちゃん役に内海桂子師匠。
内海桂子師匠の息子役に本田博太郎さん。
町の青年団の筆頭的存在に松尾貴史さん。
なんと豪華な役者陣!
さて、なぜこの映画が一番かというと、方言の自然体さにある。
そして、シャイゆえにぶっきらぼうで閉塞的な石川県の県民性も絶妙に表現されているところにある。
石川県の方言の認知度は自分の見積もりの半分以下なのだと思う。
よく関西弁ではないか?という石川弁をみせられるが、いわゆるthe関西弁とも違うねちっこい伸ばし方。語尾の独特な濁音。フランス語に似た地続き構文。
それらを踏まえて「能登の花ヨメ」は俳優さんたちのセリフが完璧といっていいほど皆さんネイティブなのだ。
勿論田中美里さんは金沢の出身なので指導は必要ない、むしろ指導されていたのではないかと思っている。能登と金沢では距離もあり微妙に方言も違うが総じて石川の訛がこの映画で堪能出来る。
それもそのはず。
この記事を書いて掲載した後に知ったことなのだが方言指導にあたったのが石川県七尾市出身の俳優•勢登健雄さんであった。
勢登さんはツィンテルというコンビの芸人さんで今は俳優さんとしてご活躍されている。
やはり芸人さんの巧みな言葉の選択と頭の回転の早さ、抜群のコミュニケーション能力できっと現場では的確でわかりやすい指導があったのだろうなと想像できる。
内海桂子師匠の完璧な石川イントネーションの「みぃーんな、仲いいがんがいいぃ」はごっそりと心をえぐられる。反射的に泣いてしまう。
ピン子さんの「許してくたい」もあの年齢の方が使うんだよなーと、頷ける。「くたい」は「ください」の意味で若い子はもうほとんど使わなくなった。私も使わない。祖母の世代がよく使っていたのを思い出し、またごっそりと心をえぐられる。やっぱり泣いてしまう。
東京から能登へやって来た設定の田中美里さんは標準語。ここが、ポイント。あえて地元の田中さんに標準語を課すことで創作と現実の対比が色濃く際立つ。
そして、松尾貴史さん。
青年団という組織の新しいものを取り入れたがらない頭のかたさ。
保守的で都会的なものへの拒絶反応。
実際あるなぁと納得して観てました。これは正直感じるのです。慣例通りが一番。変化を好まないというか変化をおそれている部分。すべてを美化した映画じゃなくて地に足のついた信頼できる映画だと感じました。
田中さんの新しい試みややってみましょうの提案をことごとく否定する。衝突する。
が、最終的にはその情熱に根負けして賛同する。
きっと現実、大概は提案する側が折れてしまうだろうがここで手を取り合ったことがこの後の「復興の灯火」の象徴に大きく意味をもたせる。
地元民からみてなんでこんな自然体なんだろう?と思う映画はなかなかない。冗談抜きで感動はもちろんなのだがその上をいって驚愕、感嘆してしまった映画なのだ。
俳優さんはすごい。改めて尊敬する。
器用と一言ではかたづけられない。経験やキャリア、一体何なんだろう…人の可能性について考えさせられる。
松尾貴史さんの大島渚監督のものまねには昔笑わせてもらったが、他にも何人ものものまねをされていて、松尾さん、ものまね芸人さんなの?と、なった。器用すぎる。
「能登の花ヨメ」は時が経つにつれ色んな思い出やご縁を絡めて成長していく朝顔の蔓のようだ。
日本茶ばかりじゃなくたまにはコーヒーもいいもんですよと、劇中で田中美里さんがピン子さんに話していた。
石川県も日本茶ばかりじゃなく色んな国のコーヒーも試す時が来ている。
*追記(2024/01/02)
2024/01/01
まさか一年の初め、元旦にこんなことが起こるとは全く想像もしていなかった。
能登が震源で最大震度7の大地震が発生した。
恐ろしいくらいぐるんぐるんと大きく揺れ、建物が潰れるのではないかと生まれてはじめて地震で命の危険を感じた。
金沢よりもっと酷かったのは上の能登方面だった。
2007年の能登半島地震より規模も範囲も被害も大きく、まだ発生してから2日と経っていないが信じたくない現実が報道され、身の回りでも起きている。
今も記事を書きながら余震で揺れている。
輪島の朝市通りは焼け野原となった。
映画にも出てきた場所である。
私も10代の終わり友人らと列車で能登へ恩師を訪ねに旅をした。その時先生が連れていってくれたのが輪島の千枚田や朝市通りだった。
ほっかむりのおばあちゃんたちが手招きして迎えてくれた。
あの声、活気、懐かしさ。
もう、今は焼け野原となってしまった。
悲しくて悔しくて涙が出る。
いつまでこんな日がつづくのか。
これ以上おそろしいことが起こらぬように祈ることしか出来ない。
日本中から、海外からもあたたかく心強い支援の声があがっている。
思いをむけてくださっている皆様に心から感謝申し上げます。
再びこの「能登の花ヨメ」を思い出しています。
あの復興に尽力する人々の姿を思い出します。
でも、今は踏み潰されて崩されてめちゃくちゃにされて、復興が遠く遠くのものに感じています。
まずは目の前のことから。
生きることから。
生きのびることから。
それだけしか今は考えられない状況です。
心に寄り添う。
みんなちからをあわせていかんなん…です。
映画「能登の花ヨメ」主題歌
『始まりの詩、あなたへ/岩崎宏美』
https://youtu.be/ik1YMEv6gJ4?feature=shared