子どもに見せたくないもの?
3歳5か月の娘は、不機嫌になると親をパンチしたり蹴ったりすることが増えてきました。
まぁ"子育てあるある"らしいのですが、まだ言葉も発達途中ゆえに、自分の気持ちをどう表現するのか解らない、という状態からくるようです。
子どもとはいえ、体重は14kg。パンチされる側も結構痛い。
子どもへの丁寧な共感と促し
先日のこと。
私が皿洗いをして、夫と娘がキャッキャと遊んでいたとき、夫の「痛い!だめだよ!」の声が聞こえてきました。
反応して目をやると、娘が夫を叩いていたんですね。
私も台所から、とっさに「叩くのは、ダメだよ!」と言葉を飛ばしました。
それでも本人は納得しないというか、できる心理状態ではないんですよね。
叩いた原因は忘れてしまいましたが、何か娘にとって嫌なこと…叶えてくれなかったこと…があったようです。
まだ繰り返し叩いているので、皿洗いはいったん中断。
娘の近くに行って、改めて言いました。
真剣な顔と声のトーンで「人を叩いたり蹴るのはダメなことだよ」と。
なにやらモジモジしているので、とりあえずハグ。
「嫌なことがあったんだよね。ん~!って怒るのは良いよ。でも、叩くのはダメ。ママも悲しいし、叩く娘子ちゃんの手も痛いでしょう」
みたいなことを伝えました。
するとちょっと落ち着いてきたようで、娘の話を聞くことにしました。
「どうして怒ったの?」
「パパがね、○○したから、嫌だったの」
「あぁそうか。嫌だったんだね。それでイライラしちゃったの」
「そう」
「それで、叩いちゃったの」
「うん」
ここで少し反省の表情がちらと見えたので、
「嫌だったとしても、叩いたことは謝ろうか。ママも一緒に言うよ」
と促して、「ごめんなさい」を言おうとしました。
夫はそこで娘を元気づけようとしたのか、お茶らけてちょっかいを出そうとしました。それはあかん。KY。
「ちょっと、夫君。やめて」と制し、娘と一緒に「ごめんなさい」を言いました。そして夫にも、「娘子ちゃんは○○が嫌だったんだって」みたいなことを娘の前で夫に伝えました。
娘が言語化できなかったことを、代弁したような気がします。
そんなこんなで、娘と夫はまたキャッキャと遊び始めたのですが、一連の流れで「私いい感じに対応できたかも」と思いました。自画自賛しちゃうのは恥ずかしいけど、HSPとしての敏感な洞察力とか共感力が、ここで発揮できたのかなぁとも思いました。
でも思い返してみると、子どもへの共感や話を聞く大事さを意識して体現できたのは、Netflixの子ども用アニメ「ココメロン通り」が大きかったかもしれません。
娘は夫に似て見事にテレビっ子となってしまい、いつも何かしら観ているんですよね。その娘のお気に入り番組のひとつです。
リビングのテレビなので、否応なしに私も観ざるを得ないのですが、ここに登場する親たちの対応のすばらしさよ。「よく、イライラせずに子どもへ丁寧な声かけができるなぁ~。まぁテレビだしね」と感じていたのですが、沸点の低い私としては見習いたい姿勢でもあったのでした。
子どもに見せたくない番組
と、同時に思い出した話題があります。
たしか、子どもに見せたくない番組として、ノンタンとアンパンマンも上がるようになってきた、という内容です。
夫に教えてもらったのですが、引用元は何かのSNSかブログか何か…。
見せたくないのは、「ノンタンはわがままな子」「アンパンマンはパンチする」という理由らしいとのことでした。
その理屈はわかる。
子どもはそれを見て、真似をするから。
だからノンタンのようにわがままになってほしくないのでしょう。ノンタンの好奇心や素直さを除去してまでも。
アンパンマンは正義のヒーローだとしても、パンチは暴力にも繋がるのだから。
実際、恐らく民衆の声によって?タバコやお色気・暴力シーンなどは、メディアで少なくなってきました。
でもそれって、どうなのかな~?と思ったりします。
気になって、暴力の意味を調べてみました。
「暴力」はいけない。私も否定します。
でも、アンパンマンまで否定してしまったら、「勧善懲悪」という筋書きが多い昔話や童話も、すべて閉ざしてしまうことになるのではないかな?とも思います。桃太郎・赤ずきん・ヘンゼルとグレーテルなどなど…もっと残酷な童話もありますよね。
こっそり子か夢子ちゃんに?
そうやって閉じ込められたものほど、人は興味や知りたい欲求が増す、というようなことを心理学の本で読んだことがあります。「鶴の恩返し」のおじいさんのようなイメージでしょうか。
だから、そういうものは「いけないもの」だけど「気になるもの」として、ひとりきり・仲間内だけで見てしまうんじゃないのかな。
そこに自立した人や分別の付いた人が介入しなければ、それが与える印象は結構強くなってしまうんじゃないか、とも個人的には危惧しています。
もしくは、悪いものなんてこの世に存在しないかのように思ってしまって、自己防衛の手段も知らないままに成長してしまうのでは…?とも。
「悪」とされるものが排除され、ヨシヨシと育てられた温室っ子は、不安定な世の中で、心身健康に生きてゆけるのでしょうか。
子どもにもマイルドな刺激を
「人を殺してはいけない法律はない」その理由は、自衛や死刑執行ができなくなるから、ということも、どこかで聞いたことがあります。
では、「人を殺してはいけない」「乱暴してはいけない」といった常識的な問いに、なんと答えれば良いのか。
その解は、過去多くの文学・物語を糸口として、自分たちなりに考え消化させていくものだと思います。
少し飛躍しすぎたかもしれません。
もちろん、アニメや映画等からインスパイアされて起こった悲惨な事件もあります。
でも子どもには、「まだ早いから」とか「過激だから」とすべての刺激を排除しないようにしたいな、とも思います。
そしてその場には、もしくはその後にでも、子どもと会話する時間を設けたいな。あなたはどう感じたのか・親/女として私が思っていること・他の事例なども上げながら。
自分の身を守れと言っても、何から守ればよいのか?
なぜ守らなければならないのか?
そんなことを親子で問答しながら、お互いに成長し理解できたらいいなと思うこの頃です。