さみるあ

丁寧、丁寧、丁寧な生活

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最近の記事

村上春樹は好きだし、蟹は嫌いだ

Xでノーベル文学賞恒例の村上春樹が話題になっている。 事の発端は下記のツイートのようだ。 「村上春樹キモい」と言いづらい空気は感じたことがないし、むしろ文学オタクに村上春樹好きと言うと馬鹿にされるような空気をずーっと感じていたが、今回書きたいことはそこではない。 いちおう僕のスタンスを話しておくと、村上春樹は好きだ。20歳のころに『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』を読んで衝撃を受けた。2つの世界で物語が淡々と進んでいき、徐々に交わって行く不思議な感覚。そも

    • ハロウィン 〜冬の幸福 死の気配〜

      冬は好きだ。死の香りがするから。 そう考えるようになったのは、ハロウィンについての本↓を読んでから。 以前から「歳時の1ヶ月前からその歳時についての本を一冊買う」という習慣を続けていて、ちょうど去年の10月にこの本を読んだ。 ハロウィンへの理解が深まったのはもちろん、冬が好きな理由を見つけられた。 まず、ハロウィンの起こりについて。 ハロウィンの起源は北ヨーロッパ、そして当時の北ヨーロッパの暦は下記のように分けられる。 夏:5月〜7月末 秋:8月〜10月末 冬:11

      • 剣豪が語らうよりも刃を交えることでお互いを理解するように、直接会話するよりもその人が創った作品や文章に触れる方がその人の本質に迫れることがままある。

        • メンヘラの原因、対処法。または克服法

          メンヘラは不幸である。 これは、人間観察や自身の体験により培った、確固たる思想である。 メンヘラと呼ばれる人、また、メンヘラ的行動を見るたび「なぜこの人はこのような言動をするのか。その原因は何か」と不思議で仕方なかった。 かれこれ数年間考え続けた結果、ある程度納得のいく答えを得られた。そんな自分の思考をまとめながら、メンヘラの原因・対処法、またはその克服法を書いていこうと思う。 メンヘラとは何かまず、メンヘラに明確な定義はない。では、メンヘラと呼ばれる人間の特徴はなにか

          「嫌なら見るな」という支離滅裂な言葉

          SNSでよく目にするこの言葉。インフルエンサーがアンチや誹謗中傷を撃退する時に見かけますが、よくよく考えると支離滅裂ですよね。 そもそも、SNSで何かを発信するということは、不特定多数の人間に自分の思想や価値観を届けるということ。 インフルエンサーや企業アカウントは、プロモーションや広告など、より多くの人に見てもらうため日々活動しています。なので、自分に好意を持っていない人にも届くのは必然なわけです。 自分のことを嫌いな人に届くことを理解していながらも、「嫌い」と言われ

          「嫌なら見るな」という支離滅裂な言葉

          なぜ槍でも斧でもなく刀だけが人気なのか

          先日、ジャンプの人気急上昇中漫画『カグラバチ』を読みました。めっちゃ面白かったです。 あらすじざっくり紹介↓ 日本一の刀匠・六平国重の息子である千紘(チヒロ)は、自身も刀匠になるべく父の元で修行に励む。そんなある日、父は3人の妖術師に殺され、国重の打った6本の妖刀を奪われてしまう。チヒロは父が最後に残した7本目の妖刀を携え、妖刀を奪った妖術師を探す物語が始まる。 定番の異能バトルですが、この妖術師・妖刀がポイント。呪術廻戦でいうと呪術師・呪具の関係なのですが、妖刀の重要度

          なぜ槍でも斧でもなく刀だけが人気なのか

          「痩せたい」という人はなぜ痩せないのか。

          簡単だ。 痩せたくないからだ。 いや、正確に言うと、痩せたいという感情は存在している。だが、限りなく希薄で優先順位が低い。要は、口では言うが実際は大して痩せたくないのだ。 なぜ大して痩せたくないのに「痩せたい」と口にするのか。それは「痩せたい」がマジョリティだからである。 街はサラダボウル店やパーソナルジムで溢れ、CMや広告は「人前で脱げる身体になろう」と訴えかけてくる。暗に「今のお前の身体は人様に見せられたもんじゃない」と言っているのだ。 営利企業は社会や個人のニー

          「痩せたい」という人はなぜ痩せないのか。

          孤独の受容。良質な人間関係。

          小さい頃から孤独に耐性があった。なので、孤独を恐れる人を理解できなかった。 中学を卒業し、高校入学前の春休み。みんなこぞってSNSで「来年から高校生。同じ学校の人は仲良くしてね!」と投稿し、孤独な高校生活への予防線を張っていた。 予防線を張り忘れたのか上手くいかなかったのか、クラスで孤立しそうな子は、陰で小馬鹿にしているグループに擦り寄り、にっこりと笑っていた。 思い返すと、それらの人間のふるまいを見て、心のどこかで見下していた。孤独に怯える姿が、ひどく滑稽に見えた。

          孤独の受容。良質な人間関係。

          若いうちに遊べ。すべてが高校デビューになる前に。

          こんにちは、さるみあです。 前回は「よく遊びよく学べ」について書きました。今回はこの「遊び」の重要性にフォーカスしたいと思います。 結論からいうと、若い内に遊んでおかないと、人生のあらゆる場面で高校デビューのようになります。 まず、高校デビューについて、そしてそれが遊びとどう結びつくのかを書いていきます。 一般的に使われる「高校デビュー」の意味は下記の2つですが、今回は1.の意味で使います。 中学時代にスクールカースト下位だった子が高校入学と同時にカースト上位の真似を

          若いうちに遊べ。すべてが高校デビューになる前に。

          世界一退屈な物語を求めて

          小説にはいろいろな性格、価値観の人が登場する。短い人生では出会えない、多種多様な人間の価値観や生き方を追体験できる素敵なエンタメだ。 だが、ふと感じたことがある。小説の主人公は共感能力が高く、感受性が豊かな人間が多い。 犯罪者や社会からドロップアウトした人物が主人公でも、感受性が高いが故に社内と折り合いがつかなかったり、人間関係の苦しみを抱える人物だったりする。 『ライ麦畑でつかまえて』のホールデンはクラスメイトや教師、あらゆる人を「いんちき野郎」とこき下ろすが、自身が

          世界一退屈な物語を求めて

          つまらない人に共通する特徴・それにより発生する問題

          僕は常々、面白い人でありたいと思っている。だが、"面白い人"の明確な基準は無いし、その姿も多種多様だ。 トークが上手い人、天然な人、寡黙なのに突然秀逸なことを言う人。面白さは様々だし、それを面白いと感じるかは人によって異なる。 だが反対に、つまらない人には共通する特徴がある。 それは"共感能力の欠如"だ。面白さは千差万別だが、つまらなさはほぼこれに起因している。 共感能力の欠如を発端にいろいろな問題が発生し、つまらなさを形成している。 共感能力の欠如により発生する問題

          つまらない人に共通する特徴・それにより発生する問題

          それは偏見ですらない言葉

          現代は言うまでもなく情報過多社会。 読書の合間にスマホを弄り、料理をしながらラジオを聴き、Netflixを見ながらご飯を食べる。 本能的に良いことでないと感じつつも、つい情報を摂取してしまう。摂取せずにはいられない。 そんな自分に嫌気が差すたびに思い出すのは、レイ・ブラッドベリによって1953年に書かれたSF小説『華氏451度』だ。 NHKの番組「100分de名著」のサイトに良い紹介文があったので載せておく。 この作品は愚民政策やテレビによる文化の崩壊について書かれて

          それは偏見ですらない言葉

          「人と比べない」というタフでハードな生き方

          人と比べるのはやめよう。 比較しない生き方をしよう。 最近こういった啓蒙をよく見かけます。僕も賛成です。人と比べてばかりだと悩んだり落ち込んだりして疲れてしまいますもんね。 ただ、noteやSNSでその啓蒙の元を辿る「比べてもいいことないよ」と書いてある。それだけです。 これを読んで 「へえ、人と比べなければいいんだ。よし、比べるのをやめよう!」 と心を入れ替え、人生が豊かになって万事解決。そんな風になるとはとても思えません。 健康診断でお医者さんに言われる「バランス

          「人と比べない」というタフでハードな生き方

          「聞く」技術を得る2つの方法

          人間はつくづく話したがりな生き物だと思う。 全人類の「話したい感情」と「聞きたい感情」を抽出して数値化できたら9:1くらい、いや、10:0かもしれない。 僕はときどき「聞き上手だね」と言われる。 はじめは「そうかな?」と思っていたが、定期的に言われるので「まあそうなのかな」と思うようになった。 会話のプロでもなければ専門家でもない僕が、聞くということについて語ってみる。 聞く技術の前に、そもそも人はなぜあんなに話したがりなのか。 この理由は明白で、他人の話より自分の

          「聞く」技術を得る2つの方法

          「何をしたか」ではなく「何を感じたか」で自分を語れよ

          ルフィの名言ということになっている例のフォーマットで今の心情を表現した。 ここ最近感じるのは、人生経験と人間としての魅力は必ずしも相関しない、ということだ。 上京してもうすぐ2年。出身はもちろん、経歴、価値観、本当にさまざまな人がいると感心させられる。 自分がどれだけ努力してもたどり着けない年収を稼いでいる人の話、自分の人生では絶対に巡り会わないであろう壮絶な体験談など。どれも新鮮で驚くばかりだ。 だが、その驚きとその人自身に魅力を感じるかは、必ずしもイコールではない

          「何をしたか」ではなく「何を感じたか」で自分を語れよ

          なぜ二重から一重に整形する人がいないのか。

          一昔前までは、整形にはネガティブなイメージが付きものだった。だが今では身近なものになりつつある。 お手頃価格で心理的ハードルも低いプチ整形という選択肢もある。誰もが美しさを手に入れられる時代。素晴らしいと思う。 整形をカミングアウトする芸能人やYouTuberもいるし、知人が整形したという話も聞く。二重、鼻筋を細くする、顎を削る、など。 ただ、僕が気になるのは、上に書いた整形の「反対」をする人を、まったく聞かないことだ。 二重から一重にする人 鼻筋を太くする人 顎の幅

          なぜ二重から一重に整形する人がいないのか。