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メンヘラの原因、対処法。または克服法
メンヘラは不幸である。
これは、人間観察や自身の体験により培った、確固たる思想である。
メンヘラと呼ばれる人、また、メンヘラ的行動を見るたび「なぜこの人はこのような言動をするのか。その原因は何か」と不思議で仕方なかった。
かれこれ数年間考え続けた結果、ある程度納得のいく答えを得られた。そんな自分の思考をまとめながら、メンヘラの原因・対処法、またはその克服法を書いていこうと思う。
メンヘラとは何か
まず、メンヘラに明確な定義はない。では、メンヘラと呼ばれる人間の特徴はなにか。情緒不安定、恋愛依存、自己肯定感が低い。こんなところだろう。
なぜ彼らは不幸なのか。彼らは自分の感情、そして人生を、自らの手でコントロールできないからだ。情緒不安定による暴言、寂しさを紛らわすための浮気、自己肯定感の低さによるネガティブな思考。彼らは自身の性質ゆえに、周りの人間はおろか自身も望まぬ方向へと人生を進めてしまう。
そして、彼らはそれを変えようがない、生まれ持った性質だと考えている。天は自らに難儀な性質を与え、それゆえに私は苦しんでいるのであると。
だが、まったくそんなことはない。僕の経験から得られた気づきは、メンヘラと呼ばれる性質の原因は、ひとつの能力の欠如が起因している。そして、その能力は変えることができる。
メンヘラの原因
さっそく本題だが、メンヘラの原因は"共感能力の低さ"だ。これがあらゆる症状の根本的な原因である。では、これがメンヘラにどう繋がっているのか。
一般的に、共感能力とは他者の感情を理解し、寄り添うことのできる能力である。翻って、共感能力が低いということは、他者の感情を理解するのが苦手である、と言い換えることができる。
社会的な生き物である僕らが生きていくためには、他者の承認が不可欠である。自身の絶対的な価値観だけで突き進めるのは、一握りの芸術家くらいだ(彼らはむしろ、承認されない苦しさを糧にしているのかもしれないが)。
僕らは大なり小なり、他人の目を気にして生きている。容姿、地位、仕事の能力など、他者にどう思われているかを考えずに生きられる人はいない。
メンヘラに当てはまらない人も他者の目を気にして生きている。情緒不安定になることもあれば、自己肯定感が下がることもある。だが彼らは、メンヘラとは呼ばれない。彼らとメンヘラの決定的な違いは、共感能力だ。
共感能力をある程度備えている人間は、周りの人が自分をどう評価し、どういう感情を抱いているのかを感じ取ることができる。だが、共感能力が低いと、周りの人間が自分に抱いている感情や評価を感じ取れない。だからいつも不安なのだ。
恋愛で考えると分かりやすい。共感能力の高い人は、仕草や言動で相手が自分に好意を持っているか、それとも嫌われているかを感じ取れる。だが、共感能力が低いとそれが分からない。メンヘラの常套句である「私(僕)のこと好き?」と聞く以外に、相手の好意を確かめる方法がないのだ。
他者の気持ちが分からないので、形ある評価を求める。恋愛の例なら「私(僕)のこと好き?」と質問し「好き」という言質を取ることで、初めて「相手は自分のことが好きなんだ」と確信を得られる(悪い男(女)の嘘を見抜けず騙されるのも、こういったところに原因がある)。
そしてメンヘラは恋愛だけでなく、人生すべてにおいてメンヘラである。恋愛では「好き」という言質を取る。仕事においては、年収や役職という形で自分の評価を確かめる。というより、それでしか確かめられない。
また、仕事だけでなく、人間関係全般で見られるメンヘラの行動は「マウント」である。人間関係において、メンヘラは猿山の猿のようだ。彼らは周囲を威嚇してマウントを取ることで、自分が猿山の中でどの地位にいるのかを確かめているのである。
形ある承認を得られれば一時的に満たされるのだが、問題は持続性がないことだ。共感能力が高ければ、関係が続く限り相手からの感情、評価を常に更新し続けることができる。少し不安になっても「いや、こういう言動をしているということは、まだ好意がある」と自己完結できる。
一方でメンヘラは、相手の感情を更新するには再びマウントを取ったり「私(僕)のこと好き?」と聞く必要があるのだ。
これは非常に効率が悪いし、他者との関係悪化にも繋がる。恋愛依存とはよくいったもので、メンヘラは喫煙と同じだ。タバコを吸えば多幸感に包まれるが、ニコチンが切れたらイライラが込み上げる。そしてそれはタバコでしか解消できない。マナーを守っている喫煙者は世間になんの迷惑もかけていないが、メンヘラはマウントを取ったり周囲に悪影響を及ぼすので厄介だ。
このように、短期的に見てもメンヘラは非効率だが、人生という長い期間で見るとさらに非効率的だ。ライフステージによって人間関係は常に変わっていく。クラスが変わる、友達が変わる、職場が変わる。猿山が変わるたび、彼らはマウントを取らなければいけない。
彼らは職場や学校では常にマウントを取り続け、LINEで恋人から好きの言質を搾り取らなければ生きていかれない。タチの悪いマグロのようなもので、形ある承認を摂取し続けないと生きられないのだ。
対処法
これまでは、メンヘラの原因と、それにより発生する言動について書いてきた。では、そんなメンヘラに出会ってしまったらどうしたらいいか。
まず、恋人の場合。これはもうシンプルで、縁を切ったほうがいい。メンヘラ=恋愛が想起されるように、メンヘラという特性が最も発揮されるのが恋愛だ。
極度のメンヘラと付き合っていた知人に聞いた話がある。
相手はとても精神が不安定で、ある日、知人の元に別れを告げるメールを届いた。その時知人が食い下がり愛を伝えることで、恋人は感動し涙を流し、無事に仲直りした。これだけならよくある痴話喧嘩にも見てる。だが、これをなんとほぼ毎月、3年間繰り返していたらしい。
この知人の恋人は、僕が挙げた特徴の最も顕著な例だ。相手の気持ちが分からなくなり、別れを告げ引き止めてもらうことで愛を確かめる。そしてまた不安になると同じことを繰り返す。
こんな人間とはすぐに縁を切ったほうがいい。だが、恋は盲目とはよくいったもので、そういった状況になるとむしろ「自分がこの人を守るんな」と謎の義務感が湧いてくる。
健全な人間でも、いや、むしろ健全な人間だからこそ、不安定な人間を守る慈愛の心が芽生えてしまうことがある。愛の炎が消えても、義務感で頑張れてしまうのだ。そして、別れてから100%後悔する。
先の例で紹介した知人が別れて数年後、2人で飲みながらメンヘラ恋人との過去を振り返り「青春を返せ!!」と嘆いていた。
そうならないためには、良き相談役を持つことだ。
僕の知人のように、恋愛はメンヘラはおろか健全な心を持つ人の判断力も曇らせてしまう。家族や友人に事前に話しておけば、自身の判断が間違ったときは正してくれる。ゾンビ映画の「俺が感染したら躊躇せず引き金を引いてくれ」のようなものだ。
メンヘラに惑わされてしまっても、全力で頬を殴って目を覚まさせてくれる友がいれば安心だ。
恋人だけでなく、職場でメンヘラに出会うこともある。メンヘラも人間なので、流石に恋愛の時のような言動はしない。職場のメンヘラの傾向はマウントだ。同期をこき下ろしたり他部署の仕事を軽んじたり、必死に自分の地位を高く見せようとする。
そういう相手への対処法は2つだ。ひたすら肯定してあげる、きっぱり拒絶するのどちらかだ。
立場や仕事内容上、関係を崩したくない場合、ひたすら肯定してあげよう。あなたはすごい人で、頼りになると言ってあげよう。そうすれば相手はまんざらでもない顔をして、あなたを"良い人"だと認定するはずだ。心が不安定になりマウントを取ってくきたら、笑顔で肯定してあげよう。不快かもしれないが、共感能力の高いあなたは笑顔で受け流せるはずだ。本質的な自分の評価を知っているあなたにとって、上辺だけのマウントや侮蔑は、目の前のハエのようなものだから。
関係が悪化しても支障のない相手の場合、バッサリ拒絶してしまおう。形ある拒絶を示したあなたは、相手にとってこの上なく憎い敵になる。そして二度と寄ってこなくなるだろう。ハエが邪魔なら叩いてしまえ、ということだ。とはいえ、逆にメンヘラが悪化して過激な攻撃を仕掛けてくる可能性があるので、1つ目の方法がおすすめだ。
克服法
健全な心を持つ人でも、一時的にメンヘラ状態に陥ってしまうこともあるだろう。そうなってしまった時の対処法も紹介する。
まず、対処療法。
これは"自信をつけること"だ。趣味でも仕事でもなんでもいい「これだけは人に負けない」と思えるようなことを身につけよう。とはいえ、共感能力の低いメンヘラはそもそも「これだけは人に負けない」と思うことが難しい。"圧倒的な自信"どころか"実力に裏打ちされたマウント"という形になってさらに人間関係が悪化する可能性もある。
自信をつけても他人の気持ちが理解できないことには変わりない。なので、本質的な原因療法は共感能力の低さの改善、すなわち共感能力を高めることだ。
そもそも、メンヘラの共感能力の低さには「他人に興味がない」という原因がある。「私のこと好き?」としつこく聞くメンヘラは、自分が相手のことを好きかどうかより、自分がどう思われている重要なのだ。
メンヘラにとって「自分がどう思われているか」が重要であり、外の世界は「自分を肯定してくれるかどうか」でしかない。「相手を好きだから自分のことも好きでいてほしい」のではなく「相手が好きでいてくれるから自分も好き」なのだ。
仕事や人間関係でマウントを取る人も同じで「この人と仲良くしたい、快適に働きたい」よりも「この人より上であることを示したい」という心理が働いている。
もちろん、恋愛において「相手が自分のことを好きか」は非常に重要だ。だが、いくら共感能力が高くても、相手の感情を全て知ることはできないし、操ることもできない。共感能力が高い人は相手の感情を理解するが、操作するわけではない。相手の感情を理解した上で、自分の感情と擦り合わせて意思決定する。だから自分の行動に納得しており、自己肯定感が高いのだ。
なので、メンヘラは「自分がどう思っているか」をしっかり考えるべきだ。
とはいえ、それをすぐに実践できるならメンヘラという悲劇はこの世に生まれていない。本質的にメンヘラを克服するには「自分と相手の感情について考える機会を増やすこと」だ。
なぜ自分はこんな言動をしたのか、それで相手はどう感じたのかを内省すること。共感能力が高いといっても、結局は人の気持ちをすべて理解することは不可能だ。僕らにできるのは"自分と相手の関係についてたくさん考える"、それだけだ。
現状の人間関係から始めてもいいし、次のクラスや職場から気持ちを切り替えてもいいが、本番の人間関係でミスるのも怖い。"相手と自身の関係についてたくさん考えること"の良い練習、それが映画や小説だ。
映画や小説のテーマは、いってしまえばすべて人間関係や他者との関わり方だ。
なんの悩みもない人生が存在しないように、なんの悩みもない映画や小説は存在しない。ある時は恋に悩み、ある時は仕事に悩む。ある悩みに対してどう乗り越えるか、それを描くのが映画や小説だ。
そして、映画や小説を観るとき僕らは、いつも第三者だ。なので、"恋は盲目"が起こらない。ヤバい恋人と付き合っている知人に冷静にアドバイスするようにどうすべきかを考えられる。
映画や小説は、いわば人間関係のケーススタディだ。自分が人生で直面するよりも多くの、質の異なる悩みに出会い、それに対する答えまで知ることができる。
実際、人生を過ごす中で「この人、あの小説に出てくる不幸な終わりを迎えた人物と同じだ」と思うこともあれば「今の自分、あの映画の主人公と同じ精神状況にあるな」と自己を客観視できることもある。
とはいえ、小説や映画とは関係なく共感能力が高い人もいる。その最たるもの、そしてメンヘラと程遠い存在が"陽キャ"だ。
陽キャというのは生まれ持った性質もあるが、幼少期、青年期の経験が陽キャを作る要因だ。表面的には友達に囲まれ明るく過ごしている性格身恵まれた人間に見えるが、そのほとんどは数多くの人間関係の問題を経験している。グループの中で仲間外れにされたり、恋人に振られたり、陽キャは人よりも多くの、生身のケーススタディを持っているのだ。
とはいえ、これまでの経験を悔やんでも仕方ないので、メンヘラになってしまった人たちは、たくさん本を読み、映画を観るべきだ。
目の前の人間が何を考え、どういう意思で行動しているのか。それに思いを巡らすだけで、人間関係はより豊かに、そして美しくなるはずだ
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