つまらない人に共通する特徴・それにより発生する問題
僕は常々、面白い人でありたいと思っている。だが、"面白い人"の明確な基準は無いし、その姿も多種多様だ。
トークが上手い人、天然な人、寡黙なのに突然秀逸なことを言う人。面白さは様々だし、それを面白いと感じるかは人によって異なる。
だが反対に、つまらない人には共通する特徴がある。
それは"共感能力の欠如"だ。面白さは千差万別だが、つまらなさはほぼこれに起因している。
共感能力の欠如を発端にいろいろな問題が発生し、つまらなさを形成している。
共感能力の欠如により発生する問題をいくつか挙げて"つまらない人"を分析してみる。
01.他人に興味を持てない
まず、共感能力が低いと、他人に興味を持てない。相手がどんな話をしてもその感情に共感できないので、文字通り他人事だ。
芸能人の私生活には興味がある人は多くても、道端ですれ違ったおじさんの今朝の朝食なんかには1ミリの関心もないだろう。
これは極端な例だが、共感能力が低い人は身近な人にもなかなか興味が持てない。
興味がないので深掘りすることも広げることもできず、気の抜けた相槌ばかり。首を上下に振るだけの赤べこのようになってしまうのだ。
02.会話の比率が偏る
興味がない会話は退屈で仕方がないので、自分が興味のある話をしたくなる。相手の話は赤べこでやり過ごし、相手が息をついた途端会話の主導権を奪い取り、堰を切ったように喋りだす。会話の比率が偏り、相手は話を聞くばかりになってしまう。
「ふーん、そうなんだ。それより聞いてよ!」
といった具合だ。
03.話題のチョイスが悪い
自分が話してばかりでも、面白ければまだ救いがある。だが、共感能力の低い人は、前述のように他人に興味を持てないので、対話相手に合わせた適切な話題のチョイスができない。相手が興味のない、自分がしたいだけの話を延々と喋ってしまうことになる。
たとえ相手が共感能力が高く優しい人でも、まったく知らない話題について捲し立てられたら、話を盛り上げるにも限界があり、次第に相槌を打つことしかできなくなる。共感能力が低い人は、相手を強制的に赤べこにしてしまうのだ。
04.自分は楽しい
一番問題なのは、相手はつまらなくても、本人は楽しいということ。自分がしたい話をしているんだから当然だ。普通の人は相手が退屈な顔をしていたら不安になるが、他人に興味がないので相手が退屈な顔をしていようが愛想笑いしていようが気付かない。赤べこと人間の区別がつかないのだ。
幸か不幸か「お前つまんないよ」とわざわざ言ってくれる人はこの日本に少ない。相手が「こいつおもんないな」と思いながら愛想笑いしてるのを見て「楽しい会話ができた」「俺は会話が上手い」と勘違いして満足してしまうのだ。
05.自分語りおじさんになる
そして、悲しいことにこの傾向は歳を重ねるごとに増していく。新卒社員なら素敵な先輩が飲み会後にこっそり注意してくれるかもしれない。だが中堅になり役職が上がれば、どれだけつまらなくても注意できる人はそうそう居なくなる。こうして部下に武勇伝を語って悦に浸る"自分語りおじさん"になるのだ。
なので、つまらない人が自分のつまらなさに気づく機会はほぼゼロに近い。つまらない人につける薬はないのだ。
どうだろう。あなたの周りにもこんな人が居るのではないだろうか。つまらない人に付ける薬はないが、自分がつまらない人になっていないかをメタ認知することはできる。
"つまらない人"とは言ったが、どんな人でも時と場合によってこの傾向が現れてしまうこともある。
面白い人の面白さは多種多様。だが、翻って考えると、共感能力の高さが面白い人の共通項なのかもしれない。
人の話を聞くときは興味を持つこと、自分の話をする時は"自分が話したい"だけでなく“相手が興味がありそうか"を考えること。
この2つを心に留めて、赤べこ製造機にならないように気をつけよう。