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LGBT基本法のゆくえについて。
先日、岸田首相がLGBTQの当事者団体の代表と面会しました。当初は30分の予定が50分に渡ってやりとりがされたといいます。首相秘書官の「問題発言」からLGBT基本法への機運がいっきに高まり、自民党の茂木幹事長もかなり前のめりな発言をしていることから、広島サミットを前に通常国会で議員立法が成立する可能性は高まっているように思います。
いわゆる性的少数者に対する人権保障や理解を増進させる措置は社会的にも必要性が高いものであり、諸外国でさまざまな前向きな政策が講じられていることからみても、立法化は望ましいことだと思います。一方で、「差別禁止」のニュアンスについてはさまざまな意見が飛び交っている状況にあり、容易にはひとつの結論が導けないというのも現実かもしれません。
マイノリティの尊厳を認め、差別を禁止することに反対する人はほとんどいないのではないでしょうか。普通に考えたら、社会的弱者であるマイノリティを保護するような政策を講じることに反対する理由はなく、なぜここまで意見が分かれるのかに疑問を抱く人も少なくないかもしれません。
この点は、マイノリティ当事者の実態をみたり、意見をきくのが一番よいと思います。ひとくちに当事者といっても、さまざまな立場があり、抱えている課題も異なります。
そもそも、性的指向と性自認、性表現はまったく異なる概念です。LGBTというと、とかくメディアなどではいわゆる同性愛がクローズアップされがちで、同性婚の議論を連想させるような流れが非常に多いですが、そうした性的指向の問題と、男性が女性の格好をしたり、女性が男性のような振る舞いをしたりする性表現とは、まったく異なります。
そうすると、いわゆるLGBTQの中の「T」とか「Q」の中には、十分や議論や国民的な理解が得られないままにマイノリティの「差別禁止」の法律ができると、あたかもある性表現をとっている人が、法律で世の中にメッセージ性を打ち出している性的指向や性自認の問題とイコールではないかという、誤ったとらえ方をされてしまうのではないかと悩む人もいます。
例えば、男性が自分自身のファッション性と合致する表現を求めて女性の服装をしたとき、新たな法律によって「差別禁止」という規制が与えられることで、そうした自由な表現への理解が促進されるとしたらプラスかもしれませんが、「あの人は差別してはいけない=典型的なマイノリティだ」と扱われたとしたら不本意であり、それだけでなく新たな誤解や偏見が深まるというリスクもあります。
そして、「差別禁止」を法律で規定するには、だれをどのように差別することが禁止されるかという明確な定義規定が必要となります。戸籍上の性別では保護されないマイノリティの人権を保護する特別法ですから、当然戸籍上の性別とは異なる状況にある人を何らかの形で保護するという立て付けが考えられますが、この線引きは実際問題としては相当に難問だといえます。
性自認をあくまで本人の主観による自覚だと考えるなら、極端な例でいえば、先週まで女性たった人が今日男性になり、来週にはまた女性に戻るかもしれないといったことが、理屈上は起こり得ることになります。これを週単位は行き過ぎだとして例えば3か月は空白期間を空けなければならないとしても、理屈上は一年の間に性別を行き来するような状況が生まれるかもしれません。
米国や西欧諸国などでは、性自認による性別変更が犯罪を後押ししているような悪質な例もみられますが、同時に若年者が十分な考慮と将来への計画を経ずに安易に性別変更することで、のちのち後悔して元の性別に戻ったり、そもそも自らの性自認が不分明になるようなケースもあり、権利の保護と従来の性別規範に基づく生活体系とのバランスは、相当に難しい問題だということが確認されています。
もちろん、マイノリティであるゆえに差別されたり、さまざまな社会的な問題を抱えている人もたくさんいる厳しい現実に対して、国や自治体のみならず社会全体として理解や配慮を増進し、バックアップしていくことはとても大切なことだと思います。今までそうした点において日本は諸外国から後れをとっている部分がある以上、何らかの立法化を進めることが必要だというのは、多くの国民にとっても基本的な共通認識なのではないでしょうか。
その上で、だからこそいたずらに政争の具として政治的立場とからめてこれらのテーマを取り扱ったり、国論を二分するようなイデオロギー論争的な社会運動を盛り上げたりするような手法もまた控えるべきではないかと思います。少なくとも憲法の根本理念や民法の根幹的な規定に影響するような議論については、国民の多数派が妥当だと判断しうるたしかな共通の基盤を構築することを最優先すべきだといえるのではないでしょうか。
世の中、もちろん何が正しいか、何が間違っているかという議論も大切ですが、このような国論を分けかねない大きなテーマに関しては、むしろどう理解を共有すれば国民全体のコンセンサスが得られるかといった現実的な視点の方が大事なのかもしれません。ひとりでも多くの人が立場を超えて頷けるような基本法、理念法が早急に成立することを願ってやみません。
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![橘亜季@『男はスカートをはいてはいけないのか?』の著者](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/17629935/profile_8319cb0caf78896ecc276399c2b8ba22.jpeg?width=600&crop=1:1,smart)