心を痛めそうな時には。
そっと携帯を閉じる。そんな日もある。なんだか今日はどうしても眺める気分になれない。でもまた10分も経てば、また携帯を開いている。深呼吸をする。漠然とした不安と焦燥感がある。
でも、そんな時だから見えることもある。ずっと書き溜めていたメモ帳を眺めながら、重かった腰を上げ、パソコンの前に立つ。内に秘めていることを書く勇気を持つ。もしかしたら、同じような状況の誰かに届くかもしれないから。できるだけ素直になってみようと思う。大丈夫。あなたも僕もきっとうまくいく。
たまには、立ち止まることを覚える。
まずは簡単に自分のことを紹介してみる。noteを書いている2024年現在、僕は26歳。全国をまわりながら様々な若者と出会い、人生の相談を受けたり、講演を行ったりしている。講演を行っているというと、何か大きなことを成し遂げたみたいになるが、そうではなく、今もこれからも「それでもなお、人生は選べる」と思える若者を増やすため、ワクワクするような大人との出会いや相談できる人との出会い、10代の時にあったらいいなと思える体験・瞬間をつくる仕事をさせてもらっている。
今の仕事に心底誇りももっているし、やりがいもすこぶるある。だからこそ、自分がもっと動ける人間であれたらと常々思っている。どうして1日は24時間なのだと、もっとあってもいいんじゃないかと、思っている。
そんな26歳だ。
もともと、公務員(小学校の先生)をしていたので、そこから今の職業に就くことは正直大きな挑戦だった。大きな挑戦をしてみて、1年半。半端なく成長させてもらった分、まだまだなところもたくさん見つかった。伸びしろなのだと言い聞かせて進んできた。でもやっぱり進むだけじゃだめだった。振り返ることも必要なのだと感じた瞬間があった。その気持ちを素直に吐き出してみる。
僕はいつの間に、傷ついていたのだろう。
日々過ごす中で、ふと自分1人で考える時間がなかったことに気がついた。正しくは、1人で考える時間を作っていなかった。移動中は何かしら聞いているかインプットしてしまうし、起きている時間は作業をしてしまうし、おそらくずっと何かを考えている。
頭がずっと働いているので、パフォーマンスが落ちるときもある。そんなときは時間で解決する。そういうことを続けていると、自分にショックを受ける出来事があった。それは大切な人たちの誕生日を忘れていたこと。誕生日の数日後に気づいた自分にショックを受けた。もちろん後で「おめでとう」と伝えるが、その時に自分が少し限界だったことに気づく。
また、SNSを見るのが少しきつくなってきた。なんだか自分の何かが埋まっていない感覚があり、SNSを見て、まず起こる感情が「嫉妬」や「怒り」にも近い感情だった。そんな自分を改めて感じて、ああ、自分は結構疲れていたんだと思った。
なぜ、傷ついているのだろう。
このままでは、まずい。そう思ったので、少しだけ休む時間を入れることにした。その時間にまずは自分ひとりの時間を作る。そして、どうしてぼくは傷ついているのか、を考えていくうちに「傷つく」ことに関して興味を持ち始めたので、本屋に行って良さそうな本を買って読んでみた。
そんなこんなで少しずつ、「なぜ、傷ついているのだろう」ということについて、輪郭が見えてきたので、少しだけ共有できたらと思う。もちろん、自分が感じたことや読んだ本が全てではないと思うので、あなたに合うエッセンスだけ抽出して、持って帰ってもらえたら嬉しい。
痛み① わかってもらえない
まずは、人間関係での痛みについて。
正直僕もこの悩みは結構ある。「どうしてこんなに頑張っているのに」とか「自分が考えていることがうまく共感されない」とか、「一番理解されたいと思っている人にうまく伝えられない」などである。
「わかってもらえない」という感情は、特性上自分でためてしまうことが多いと思う。自分の経験から想像するに、「わかってもらえない」という感情は自分にこもっている感情なので、あまり人に伝えづらい。なんと厄介な痛みなのだろうか。
痛み② 比べてしまう
次も、人間関係にまつわることだ。実はぼくもよく人と比べてしまう。人と自分を比べてしまって、今の自分に落ち込んでしまう。SNSなどでよくやりがちだ。同じ同世代からの悩み相談でも、この悩みはよく聞く。
発信って、断片的な情報だし、そこから発信者の意図や考え、状況を読み取ることはすこぶる難しい。
難しいにも関わらず、その発信の情報だけでよく判断してしまう。
そして、発信者がどうしても自分には大きく映ってしまい、その人を羨ましいと思ってしまう。その人もその人っぽい何かしらの生きづらさがあるはずなのに、そんなことなど一切ないように感じてしまう。だから、そっとSNSを閉じる。
痛み③ 「なんで自分が…」と思う出来事
予期せぬできごとに遭遇した時、「なんで自分が…」と思うことがある。それまでにちりつもで痛みが重なっていた時、「なんで自分が…」と思うできごとに遭遇したときは大変だ。なんとか繋ぎとめていた糸が危なくなる可能性がある。
そして、この「なんで自分が…」の恐ろしさは、一度出会ってしまうと不思議なことに2、3回続けて起こってしまうのである。ああ、恐ろしい。
そんな時、社会にも、誰かにも、もしかしたら人生にも原因を求めてしまうかもしれない。誰かに責められていると感じて、「なんで自分が…」から「わかってもらえない」のコンボ技とかも発生するから要注意である。そんな時には、一度深呼吸である。
痛み④ 漠然とした不安
最後は、漠然とした不安だ。今26歳の自分と同世代の人はおそらくこの不安に共感してくれるだろう。いや、もはや年齢など関係なく、今を生きる人みんな、この不安を持っているのかもしれない。
様々な葛藤とともに、様々な不安がおそってくる。そして、漠然とした不安は考えるのにもパワーがいるので、大抵はその不安を後回しにする。それよりも日常を忙しくする。予定をいれる。そんな僕みたいな人はいるだろうか。
でもたまにやっぱり傷ついていたことを思い出す。そして、また考えるタイミングを得るのだ。
心を痛めそうな時には
では最後に、そんな時に自分がよく行う処方箋を書いてみようと思う。科学的に立証されているものもあると思うが、どちらかというと独断と偏見で選ばせてもらった。こちらもあなたに合うエッセンスだけ抽出して、持って帰ってもらえたら嬉しい。
距離をおく
まずは、その対象となる物事から距離を取るのが良いと思う。もしかしたら知らないうちに、その対象となる物事しか見えてない状態なのかもしれない。だから、まずは距離を取る。
物理的にでも良いが、どちらかというとその対象について考える時間を減らす。そうして手放した時間は自分のもとに返ってくるから、またその時間をどう使うか、自分で選んでみる。
気持ちを書き出してみる
順番などは決まっていないが、自分は距離を取った後に、気持ちをとにかく書き出してみた。自分は何を感じていて、そこからどんな言葉が出てくるのか。とにかく、とにかく書いて、少し時間が経ってから眺めてみる。すると「自分はこんな事を考えていたのか」と、知らなかった自分に出会える気がする。
そして、書くってすごい行いで、いくら最初の書き出しが良くないことだったとしても、知らないうちに、どうやったらその悩みや痛みから解放されるのか、解決に向けて考え出す。だからそこまでとにかく書く。聞いた話には、ボールペンより鉛筆やシャープペンシルのほうがいいらしい。自分は数年ぶりにシャープペンシルを買うきっかけになった。
旅にでる計画を立てる
ある程度、落ち着いたら旅の計画を立てるのも良いかもしれない。もちろん、旅でもなんでもよくて、とにかく楽しみな日を未来にいれる。すると、少しだけ今が楽しくなってくる。
持論だが、できるだけ一人になれる楽しみな予定がいいかもしれない。一人でもワクワクできる、ワクワクしちゃうようなそんな予定をぜひ立ててみてほしい。
スケジュールを空けておく
あとは、予定について少しだけ処方箋を。自分がしんどい時って、人と会う予定を立てると、その予定が近づくにつれて「なんで入れてしまったのだろう」と思う時がある。そういうときは大抵、行ったら嬉しい予定と、行ったら疲れるけど嬉しい予定がある。
これもまた持論なのだが、心が弱まっている時は、「行ったら嬉しい予定」に絞ることをおすすめする。疲れるけど嬉しい予定は、その後の自分を苦しめる可能性がある。そして、ギリギリまで予定を入れた自分を責めてしまうので、そんなときはいさぎよく、ごめんなさいをするのが健全だ。
そして、これもまた大切なのは、ひとりになりすぎるのは良くないということだ。適度に人に会う予定をいれる。それが大切なのだと最近感じた。
相談する勇気を持ち続ける。
次は「頼る」ことについて。急な告白なのだが、僕は人に頼ることが苦手だ。あまり人に頼るという選択肢を取らず、自分で抱え込んでしまうことが多い。でも、そんな自分だからこそ、「人に頼る」ことをテーマとして生きていきたいと思う。
相談することは正直、勇気がいる行いだ。
相談だったらできる、は少し違うと思っていて、相談は人に迷惑をかける行いだから「あまりやってはいけない」と思っている人が多いと思う。自分も含めて。
そんな中、僕は今年、こんな言葉をある人が使っていることを知った。
「助けてはプレゼントだよ」
頼られた人は、意外と嬉しいものだったりする。だから迷惑がかかっているではなくて、早めに頼ることはプレゼントなのだと思うきっかけとなった。
でもまだ「頼る」ことはうまくない。むしろまだまだヘタだと思う。だからこそ、あなたと一緒にうまくなりたいと思う。
視点か焦点を変えてみる。
最近、ハッとした出来事があった。その出来事のおかげで、最近自分の周りで渦巻いていた頭を悩ませるような出来事は、自分がそう思い込んでいるだけかもしれないと気づいた。
もちろん状況は変わっていないかもしれない。でも、「なぜできないのか?」の原因に着目しすぎるのではなくて、「どうしたらできるようになるのか?」の未来への意思に着目してみる。すると本当にびっくりするくらい、気分が変わる。そうしたら話す言葉も変わるので、もしかしたら結果も変わるかもしれない。少なくとも、僕は変わると信じている。
最後に
まずは、ここまで読み進めてくれて本当にありがたい。本当にありがとう。もしかしたら途中読み進めると辛かったこともあったかもしれない。読み進めるのをやめた人もきっといるだろう。その人もどこかでまた自分を後押しする文章やきっかけに出会えることを願っている。
では最後に、自分が信じていることを書いてみる。
発信は見えるものだけではない。心に留めている時期があっていい。
僕はここ1、2年、極端に発信することが減った。学生時代はとても発信していたのに、歳を重ねるにつれて、文章を発信することについて少し臆病になっている自分がいた。
でもそれもそれで良いと思う。発信する時期もあれば、考えを心に留めている時期もあるだろう。
おそらくその留めている考えは、発信していない間も心のなかで成長し、いつか何かのきっかけで、その考えが発芽するかもしれない。だから留めていることもまた、大切な、人生の時期なのである。その時期だからこそできる、あなたらしい成長の仕方で、おそらくその数年後、大きく人生は変化していくのではないかとさえ思う。だから大丈夫だよって、今と未来の自分たちに伝えたい。
ただ、一さいは過ぎて行きます。
これは太宰治さんの『人間失格』という本の一節だ。『人間失格』の内容はほとんど覚えていないのに、なぜだかこの言葉だけ、あらゆる人生の場面で思い出してしまう。もはや現在の座右の銘といっても過言ではない。
自分の解釈では、人生もし難しいことや大変なことがあったとしても、それは続くものではなく、いつか過ぎ去ってしまうことだから、そんな気にすんな!って言われているような気がしている。
そして、実際にこれまでそうなってきていることが多いので、おそらくそうなんだと思う。きっとあなたの周りにある何かしらの生きづらさも、いつか、過ぎ去ってしまうことだから、大丈夫って伝えたい。あんまり無責任なことは言えないけどね。
ただ、いる。それだけで、嬉しいこともある。
生きていると、働いていると、たまに人を「価値」というモノサシではかってしまうことがある。そんなことしたくないのに、無意識にやってしまう。でも、そうじゃないよなって何度も思い返す。「ただ、いる」それだけでも、嬉しいときってたくさんある。いてくれてありがとうって、何度もそんな場面に出会う。
僕とあなたはもしかしたら出会っているかもしれないし、まだ出会ってないかもしれない。でもあなたはそういう存在なのだと僕は思っている。
生きててくれてありがとうって、恥ずかしくて直接は言えそうにないから、ここに書き記しておこうと思う。
だから、もしさみしくなったり、心が痛くなりそうだったら、またこのnoteに戻ってくるのもいいだろう。僕もたまに戻ってこようと思う。
最後まで読んでくれたあなたへ。本当に読んでくれてありがとう。どこかでまた直接会えるといいね。その時まで。
森本瑛.