怒りの矛先
ピーター・A・ラヴィーン
『トラウマと記憶』
ベッセル・ヴァン・デア・コーク
『身体はトラウマを記憶する』
アリス・ミラー
『魂の殺人ー親は子どもに何をしたかー』
など、トラウマ関連の本を読んできました。
その前に、
ステファン・W・ポージェス
『ポリヴェーガル理論』
を読んで、いくら自分で生き方を変えようと努力しても難しいのは、そもそも幼少期に受けたトラウマが、自分でコントロールできる顕在意識ではなく、神経回路という動物の本能の次元に異常を起こさせてしまうからだということが分かり、目からウロコでした。
要するに
1. 生まれた時から、親の性格や親の歪んだ価値観によって、子どもは深く傷つけられることがある。
2. 子ども=人間は、個を守るための本能が備わっているため、まだ未熟で全面的に守られなければいけない時期に守られなかった。守られないどころか、無防備なところに攻撃を加えられたなどということがあれば、神経そのものがバグを起こし、脳、神経、身体全体が不具合を起こしてしまう。
3. そんな大きな欠陥を抱えながらも生きなくてはいけない状況は不本意であり、自分に対しても、他者に対しても、人間そのものに対しても、大きな怒りや不満を抱えてしまう。しかし、それをあからさまに表出する場も機会も無い。
4. 怒りは、抑えれば抑えるほど非常に大きく御し難いものとなり、反動形成で無差別攻撃的な性格になるか、最大限にこじれると、正義という名を借りて虐殺や戦争などといった大変な事態を引き起こすことになる。
5. そしてその原因が親への恨みであるということを自覚することは滅多にない。
ということがわかってきました。
虐待を受けた女児が、手がつけられないほど暴力的になってしまい、社会から見捨てられてしまう
『システム・クラッシャー』という映画や、
豊かな生活を得るために、家族を守るためにという大義名分の元に、アウシュビッツ強制収容所でいかに合理的にユダヤ人を殺害するかを考え続けた、収容所所長ルドルフ・ヘスとその家族の日常を描いた『関心領域』という映画を観ました。
これらの映画にも共通点があります。
それは主人公たちが、その親から虐待や支配的教育を受けて育ったということだったのです。
『システム・クラッシャー』はフィクションですが、実際にこういう子どもに出会った監督が描いたストーリーなので、現実に即しています。おそらく取材の過程で、親の虐待が影響しているということに気づいたのではないでしょうか?
逆に『関心領域』は史実を元にした叙述的なもので、ヘスの生育歴については一切触れられていません。
しかし、ちょうど読んでいたアリス・ミラーの『魂の殺人』の中で、ヘスがどうしてあのような残酷な行為を冷静に行うことができたのか?という分析で、ヘスの生育歴に大いに原因があると書かれていたのです。
本を読んで映画を観ると、ヘスの矛盾した行為 ー職務に忠実で、誇りを持っているように振る舞いながら、自虐的な行為にふけったり、常に不安に怯えているような様子ー がすごく理解できるような気がしたのです。
あくまで私が感じた共通点でしかありませんが、的を得ているのではないかと思います。
ただ、虐待を受けた人がみな残虐性を持つというふうに原因と結果を混同して誤解して欲しくはありません。
人間が異常な行動に走ってしまった結果について考える時、虐待という共通点が浮かび上がるということなのです。
それほどまでに、幼少期の親の支配や虐待などは、人間の身体(脳や神経も含む)を破壊する力を持っているということなのです。
ポリヴェーガル理論が打ち立てられ、トラウマが人間の神経反応に大きく影響するということがわかってきてから、心理学や精神医学の界隈では、それほどまでに大きなダメージを受けながらも生き抜こうとする人間の生命力の強さを評価する声も聞かれるようになりました。
その生命力の強さは怒りのエネルギーの強さでもあります。
怒りは自分の身を守ろうとする『闘争反応』なのです。
しかし無力な子どもの頃に一方的に大人から攻撃を受けた人は、本来闘うべき相手が誰なのかを判別できなくなってしまいます。
しかしそのエネルギー自体はとても強く、不遇な目に遭えば遭うほど増していきます。
闘うべき相手を見極められない怒りのエネルギーは、無差別に相手を攻撃する『強度行動障害』として現れたり、ホロコーストのような残虐行為にまで繋がってしまうこともある、ということなのです。
ピーター・A・ラヴィーン氏は、患者が安全な環境でトラウマの元凶を探り、その怒りのエネルギーを他に被害が及ばないところで発散させるという『ソマティック・エクスペリエンス』というセラピーを開発しました。
これまで自分のトラウマに向き合うというセラピーは数多くありましたが、トラウマに向き合ったあと、その怒りや悲しみをサポートすることはせずに、自己責任で解消させるものばかりで、多くの患者がトラウマを再体験して余計に具合が悪くてなってしまうという問題が起きていました。
患者の顕在意識上で問題を解決しようとしても、神経レベルで傷を負っているものをどうすることもできません。
そうやって辛い過去を再体験して傷を深めた上に放置という、あまりにも杜撰な対応がされていたのです。
ラヴィーン氏は、意識上で解決するのではなく、行動を通して
『自分にはエネルギーがある。生命力がある。怒りは自分を守るべき大切なもので、適切なところでは発揮して良いのである』
ということを身体に覚えさせていくという方法を発見したのです。
怒りは持っていて良い感情なのです。
そして無垢な子どもへの虐待という『最も許しがたい行為』に対して報復するべきと感じることは、人間として動物として『当たり前の感覚』なのです。
しかし虐待が、子どもが唯一『信頼するべき人間』である親によって行われるとき、子どもは敵がどこに居るのかわからなくなってしまうのです。
そしてその『防衛のエネルギー』が、全く見当違いの人や、ユダヤ人などの特定の民族に向かう。
人間の力の恐ろしさと悲しさなのでしょう。