ゆるやかに生きる
自分のペースでゆるやかに生活したいと思うのに、なぜか気持ちが沈んだり、焦ったりしてしまいます。
私のやるべきことというのは、 それほど無いので、やるべきことをやって、できないことには目を向けないでいれば、かなり心が安定して過ごせるのでしょうが、なにもやることが無い時に不安を感じてしまうのです。
焦っていても結局は何もやっていないし、逆に体がぐったり疲れていてロクな動きもできない。
だったら気持ちを落ち着けることが先決です。
無駄な労力を使う。
それも必要とされていない時に、何もできないことを分かっていて、何もできない自分を責めるという所に力を注ぐという、無駄に無駄を重ねた労力。誰のためにもならなければ、自分のためにもならない……いや、覚悟してゆっくり休めば、回復するのも早いだろうに、自分を責めることに力を使っているので、ますます回復が遅れて、余計に何もできなってしまうのです。
もっと自分の時間を大切にして、主体的に生きたい。そう強く願いながら、なかなか上手く行きません。
世間では「他人軸で生きているとブレてしまうから、自分軸で生き直そう」というような自己啓発が盛んに行われています。
私も『自分軸』と思われるものを作るためにいろいろと工夫してきました。
もっと楽に生きたいので、自分の意思や感覚に目を向けようとしてきました。
それでも何故か上手くいかない。
「何とか頑張れる時には自分の意思で動くんだ!」と力んでいた結果、『躁鬱気味』と言われてしまいました。
調子が良い時は、自分が『コレ!』と思ったものに飛びつき、動けるうちに実績を残して自信を付けようとするが、途端にバーンアウトして動けなくなってしまい、余計に落ち込んで自信を失くす……
そういう時に限って、『できない自分』を責めるような状況になったり、他人から責められる(人というのは、相手の良いことには意識がなく、悪いことに意識が向きやすい)ことになったりしてしまうのです。
せっかく↑↑の時に出来そうだったことも無駄になり、劣等感と自責がさらに強くなってしまいます。
だから↑↑の時に動きすぎるのも問題。
しかし↓↓の時は自分が出来ることがほとんど無くて、そんな自分に嫌気が差してしまう。
そして、冒頭に書いたような心理に陥ってしまうのです。
以前にもいくつかの本を紹介していますが、私は自分のトラウマが、身体に染みついた感覚から来ているのではないかということを、本を読んでいくうちに理解してきました。
トラウマを受けると、危険をどう処理するのかという動物的な神経回路が優位になり、戦うか、逃げるか、フリーズするか、という原始的な反応しかできなくなってしまうという、ポリヴァーガル理論というものを知ったことから始まります。
神経回路というのは、人間も含めた動物全体に、生き延びるために備わっているものなので、意志の力とか、意欲とか、そんなもので操作できるものではないのです。
つまり、幼少期に親に食われるような恐怖を味わってきた個体である私は、そもそも安らげる感覚というものが発達せず、日々、親に何を言われるのか?言われたらどう反応すれば被害が少なくて済むのか?という『反応』をエクササイズしてきてしまったわけです。
そうして出来上がった神経回路が、私という人間の行動指針になっている。
それはいくら『気持ちを前向きにしよう』とか、『自分軸を取り戻そう』などと頑張っても意味がなかったわけです。
このトラウマと身体反応の関係を神経科学の側面から分析した本を読み始めました。
身体はトラウマを記憶する
ベッセル・ヴァン・デア・コーク
簡単にいえば、幼い頃から『火事だ!逃げろ!』と言われて逃げる訓練をされてきた私は、いつでも逃げるか死を覚悟をすることができているわけです。
火事は滅多に起こらないから普段はゆっくりして良いんだということは、身体に刻み込まれていないのです。
この世はいつでも火事が起きる状況だし、他人はほとんどが放火魔である。
そういう『記憶』が神経回路の奥深くに浸透している。
その行き過ぎた神経反応を解消するには、逃げなくても生きられるということを身体に記憶させて新しい神経回路を作っていくしかないのです。
ゆるやかに生きるためには、自分の原始的な神経回路を初期化して新たな神経回路を作り直していく必要があるのでしょう。
さて、どうやったら初期化出来るのか?
それを本の中から探っていきたいと思います。
何よりも、私の本当の望みは、
『心地良い環境でゆるやかに生きること』
これだけはブレない自分軸なのですから!
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