
悲しみと絶望のずんどこ(;^ω^)
挿絵を見て、こう思った方・・・きっといると思います。
永谷園?(*´▽`*) お茶漬け?(*´▽`*)って・・・
違いますよぉ~~(;^ω^)
想像つかないでしょうけど、
ちゃんと意味のある挿絵なのです(*´▽`*)
ここで、noteさんで記事を書き始めたのも、ゆる~くではありますが、
俯き気味になりがちになってしまった人へ向けて
大丈夫だよ~!(*´▽`*)
こんなワシみたいなゆる~いオッサンでも、元気になれたんだから、
きっと大丈夫!この先、きっと明る未来があるからね!
って気持ちを伝えたくて!
その思いがワシの原動力なのですぢゃ(*´▽`*)
先日、音声配信で、ちらっとお話しましたが、
実はワシ、20代後半から30代後半ぐらいの10年ぐらい、重度の鬱と必死に戦っておりました(;^_^A
自分で言うのもヘンかとも思いますが、ワシ、真面目にコツコツタイプなんですよ(;^ω^)
で、柔らかい雰囲気だったがため、ほんとに何かと貧乏くじを引くことばかりで、自分では特に意識していなかったのですが
、
ある時から世界の全てがグレーに見えるようになってしまいました(;^_^A
怖いですよね(;^_^A・・・こころが壊れると
世界に溢れる綺麗な物が全て、輝きを失って見えるんですよ(;^ω^)
ほんとに彩りを感じなくなるという・・・
自分自身の感動センサーが動作しなくなってしまうんですよ(;^ω^)
しかも・・・これが一番苦しいのですが・・・沈みきってる時は感動センサーが全く作動してないから、心の奥底では悲しさも虚しさも感じてはいるけど、
まぁ・・・しかたないか・・・
みたいな感じでなんとか耐えれるのですけどね(;^_^A
ところがですよ・・・一時的にせよ、心に元気が戻り始めると、
その元気と相反する暗闇の帳が心そのものを覆いつくすように、
心に力を失っていた時とは比べ物にならないほどに強烈な
高い波が・・・
苦しさと切なさと悲しみが、ほんとに津波のように押し寄せてくるのですよ(;^ω^)
ほんとにね・・・
葛飾北斎の代表的な版画
「神奈川沖浪裏」のような
凄まじい荒波、高波が容赦なく全身どころか、心の奥底まで覆いかぶさって押しつぶしてくるのです(;^_^A
ね? 永谷園でも、お茶漬けでもなかったでしょ?(*´▽`*)
で、話しを戻しますね(;^_^A
とてつもなく恐ろしい高波・・・
通常の生活の中で、何かの拍子に感じる悲しさとか、そういうレベルじゃないほどに重く暗く苦しい悲しさと虚しさと切なさが
全てミックスされた
そんな、もののけ姫の「祟り神」もびっくりな苦しさがね・・・(;^_^A
しかも闘病生活が長く続くとね・・・
自分の心を守ろうという無意識の防衛本能で
感情そのものを失くすという方向へ
心が舵を切りだすようになるのです(;^_^A
これってね・・・エネルギーに満ちている健康な時でさえ、絶対に避けたい事態だと思うでしょ?
だって、喜怒哀楽すべてがなくなるのではなく、
感動する心とか他者への愛情とかの、
人間らしさ的な部分が・・・
完全に凍り付いて
金庫に入れて、
その上から鎖でぐるぐる巻きにして、
その上、
南京錠で施錠!
どこまでやるんじゃい(;^_^A
というほどに幾重にも心に蓋をしてしまうのです。無意識レベルで(;^_^A
これね・・・脱出マジックみたいに人を楽しませるエンターティンメントならいざしらず・・・
自分の心が、液体窒素を浴びて固まった
「ターミネーター T-1000」
状態になるんですよ(;^_^A
それをね・・・避けることすらできない・・・心の金縛り状態で受け入れて耐えるという選択肢しかなくなるのですよ(;^_^A
みなさん、ワシの記事を読んでいただいてる皆さんでしたら、
ワシがどんなに感情豊かでストレートなおっさんかを感じてくださってると思うのですが、
今の解りやすい表情豊かなキャラとは正反対の
鉄仮面な ヒロトっつぁん
を想像してみてください(;^_^A
それ、もうワシとは言えない別人ですから(;^ω^)
あの頃の苦しさには二度となりたくない!
そう思うと同時に、
あの頃の苦しさが実体験を通して身に沁みて解るから、
あの苦しさに耐えてる人に、こう言ってあげたいのです・・・
大丈夫だよ!
今は、どんなに世界がグレーに見えていても、絶対大丈夫!
鏡に向かって、その向こうにいる自分に向けて
嘘でもいいから笑顔を向けてみてね!
向こうが全く見えないほどに永い坂道が目の前に立ちふさがっていても、
たとえ僅かでもいい、登るという意思さえ、心の奥に持ってさえいれば
時間がかかっても、必ず登り切ることもできるし、
登り切ったら、景色が一面に広がるからね!
だから、絶対大丈夫!
勇気がもてなくても、
一緒に歩いてくれる人が必ず
あなたにもいるからね!
あなたの幸せを心から願って祈ってくれる人は必ずいるということを
忘れないでね!
決してひとりじゃないからね!
と、心の奥底から全身全霊で伝えたいのです
だからタイトルで使ったのは
どん底ではなく
「ずんどこ」なのです
これは、たとえ今は完全に抵抗するだけの力がなくても、
言葉の上で、絶対にどん底にまで心を挫けさせない為の
当時のワシの、ほんとにささやかな抵抗、悪あがきだったから。
「どん底」を「どん底」とだけは決して認めなかったワシの抵抗心だったのです。
いつか、あなた自身が、他の人へ向けて語る日がきた時に、
同じように力強く
絶対だいじょうぶだよ!
と言える日が来た時のために、どん底という魔王級の強敵に立ち向かい
この、ずんどこがぁ~!(。◕ˇдˇ◕。)/
ずんどこなんぞに負けてたまるきゃ~!(。◕ˇдˇ◕。)/
と少しでも勇気をもっていただければと心から思っています。
その願いを込めて、ずんどことさせていただいてます。
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