太宰治『水仙』読書感想
この本は、芸術家志望の資産家の行く末を描いた短編小説です。
資産や資産家に対する、太宰治の考えが分かる作品だと思います。ネタバレ含みつつ考えてみたいと思います。
導入として、太宰が昔読んだ小説の内容が書かれます。ある剣術が得意な殿様が、家来たちと試合をして片っ端から打ち破っていました。
あるとき殿様が庭園を散歩していたところ、変なささやきが庭の暗闇の奥から聞こえたそうです。
「殿様もこのごろは、なかなかの御上達だ。負けてあげるほうも楽になった。」
「あははは。」
家来たちの不用心な私語でした。そこで殿様は狂ったように家来に決闘を申し込みますが、家来は全員負け死んでしまいます。殿様は家からも見放され、牢屋での生活を送ることになります。
殿様が家来の悪口に逆上したという話ですが、太宰は独自の解釈を加えます。殿様は「本当に剣術の素晴らしい名人だったのではないか」と太宰は思います。「家来たちもわざと負けていたのではなく、本当に殿様の腕前にかなわず、庭園の私語も、家来たちの卑劣な負け惜しみによるものだったのではないだろうか」と考えます。
太宰はこの小説に絡め、一人の女性のことも次いで思い出します。
その女性は草田静子と言い、太宰の生家と付き合いのある草田家に嫁いだ、太宰と歳の近いの女性でした。静子夫人は、ある日「私は天才だ」と言い、家を出てしまったそうです。
静子夫人は、草田家に嫁ぎ数年経ったあとに実家が破産してしまいました。そのせいか「無智なくらいに明るく笑うひと」だった夫人は「骨のずいに徹するくらいの冷厳な語調」の人間に変わっていました。実家の破産により、冷たい高慢な人間になってしまったんですね。
夫の草田氏は、夫人を慰める一手段として、夫人に洋画を習わせたそうです。
一週間に一度、近所の老画伯のアトリエに通わせたのです。それから周りの研究生達や画伯や夫がほめ、夫人は気が大きくなり「あたしは天才だ」と口走って家出したそうです。太宰は「話を聞きながら何度も噴き出しそうになって困った。お金持の家庭にありがちな、ばかばかしい喜劇だ。」と書いています。
夫人には子供もいましたが、多額の金を持ち出し、ひとりで仕事をしたいと家を飛び出します。
数か月経ち、少しずつ売れっ子作家になっていた太宰のもとに、夫人が「あなたは芸術家なんでしょう、私も芸術で生きたい」と訪ねてきます。夫人が画伯の研究生たちとお酒を飲みまくる生活をしていました。そのことを、太宰は草田氏の手紙で知っていました。太宰は「芸術なんて、今の時代にはないです」ということを夫人に言い、夫人に家に帰るよう諭しますが、数か月後ある手紙がきます。
夫人からの手紙でした。体に障害が出る病気になってしまったこと、太宰に芸術を否定され目が覚めたと。太宰は、殿様と家来の話を思い出し、自分は夫人にとっての家来役のようなことをしてしまったのではないかと悩みます。才能を剥ぐような真似をしてしまったのではないかと思ったんですね。そして、悲痛なラストへ向かっていきます。
私は、小説内の風景や花などの自然の描写が好きで、この小説でも「水仙の描写」があるかと思いわくわくしましたが「いい水仙の絵だった」という言葉あたりで、それ以上の視覚的な描写は出てきません。ただ自然や物の描写があまりないところにまた、太宰っぽさも感じました。
この『水仙』は、一見すると資産家への批判のようで、人間の弱さ、意思のままならなさに言及している作品だとも思いました。
また図書館で本を探してみたいと思います。
ちょっとnote更新が空いちゃってたのですが、また更新していければいいな~と思ってます。
ありがとうございました。