息をするように本を読む40〜上橋菜穂子「狐笛のかなた」
「狐笛のかなた」は、数ある上橋さんの作品の中でも珍しい1巻完結のファンタジー児童小説である。
そして、他の上橋作品と同様に、児童書だけの枠にはめてしまうのはもったいないほど、面白い。
この作品の冒頭はとても映像的だ。
風が吹き渡る夕暮れのススキの枯野。
黄金色の目と火のように赤い毛並みを持つ小狐が、まるで火矢が飛ぶように走っていく。
小狐は敵の放った何頭もの犬に追われている。脇腹に傷も負っているようだ。
もうだめかと思われたとき、小狐の視線の先にひとりの少女が現れた。
小狐は最後の力を振り絞り、少女に向かって走る。
母を亡くし祖母と暮らす少女、小夜と、神々の世とこの世のあわいに生まれた霊狐、野火の出会いの場面。
ここから物語が始まる。
物語の舞台は日本。
そして、神々や闇に住まう妖したちが、人々の世にもっと身近だった時代のこと。
春名乃国と湯来乃国。
隣合う2つの国は、その境を流れる川の水利を巡って長年争ってきた。
争いは憎しみと恨みを呼び、もうどうしようもないところまできていた。
春名乃国の領主に仕えていた小夜の母はこの2つの国の争いに巻き込まれて、小夜がまだ5つのときに命を落とした。
小夜の母は、自然界の万象の力と会話をし、その助けを借りてさまざまな不思議を行うことが出来る「呪者」の血を受け継ぐ者であり、小夜にもその力があったが、小夜の母は呪者の力を嫌い、小夜に跡を継がせるつもりはなかった。
母亡き後、何も知らない小夜は、祖母の元で明るい目をした優しい娘に成長した。
しかし、小狐を助けた夜、湯木乃国の呪者の呪いから逃れるためにずっと屋敷に閉じ込められていた春名乃国の領主の次男、小春丸と出会ったことから、小夜の運命は思いもよらない方へ動き始め、彼女や彼女のことを心配する者たちの思いに関係なく、小夜は怨みと憎しみと呪いの渦巻く只中へ巻き込まれていく。
怨みや憎しみの連鎖は悲劇だ。
その代で終えられるならばまだしも、その子その孫に伝えられ、いつまでも争いや対立が続く。彼ら自身に罪があったわけではないのに、先人からの怨みで黒く染まっていく。
やがて、なぜ、何のために争っているのか誰にもわからなくなる。
ただ争いのために争い、そしてまた新たな怨みや憎悪を生む。
取り返しのつかない犠牲を積み重ねていることに気づいていないのか、気づいていても知らないふりをしているのか。
物語の中だけの話ではない。
毎日、新聞やニュースで似たような話を読み、聞く。
争いの火種は目新しいものはない。ほとんどが過去に端を発したものばかりだ。
過去の過ちは許されるものではないだろう。忘れることはできないかもしれない。
でも、争い続ければまた次の憎悪を次の世代が受け継ぐことになるのだ。
その怨みや憎しみが集団の連帯を形作り、エネルギーの元になっている。それではあまりに悲しすぎるのではないか。
この物語のある人物はこの連鎖を断ち切るためにひとつの決断をする。
そして、小夜もまた。
それが正しいことか、本当によかったのかどうかは読まれた方のそれぞれの判断だろう。
上橋作品はどれもそうだが、この物語も情景描写が素晴らしい。
冒頭で小夜と野火が出逢う夕暮れの枯れ野、野辺遊びに出かけた春の若狭野、野火がひた走る彼の世と此の世のあわいの風景…。
目の前にまざまざと見える。
その美しい風景と、小夜と野火の切ないほどまっすぐな心が重なる。
こんな面白い本を子どもたちだけにドクセンさせちゃうなんて不公平だ!
とは、文庫版「狐笛のかなた」のあとがきに書かれている宮部みゆきさんの弁である。
私も激しく同意する。
本を読むことは私には特別のことではない。生活の一部であり、呼吸することと同じことだ。
私は上橋作品はいつもはハードカバーの単行本か軽装版のソフトカバーを買う。
文庫だと挿絵がないからだ。
でもこの「狐笛のかなた」はたまたま文庫本しかなかった。
挿絵がないのは残念だったけど、宮部みゆきさんと金原瑞人さん、お二人のあとがきがついていてそれを読めたことは嬉しかった。
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