息をするように本を読む65 〜木内一裕「藁の盾」〜
10億円。
あまりに金額が大き過ぎて、どれほどの価値があるものなのか、もはや私には図りかねる。
でも、とてつもない大金ではあるのだろう。
おそらくは多くの人の心を狂わせるくらいには。
物語は、前代未聞の新聞広告から始まる。
ある日の全国三大紙の朝刊見開き広告に、でかでかと太い活字が踊った。
「この男を殺してください」
大きな顔写真と「清丸国秀 34歳」の文字。
さらに「御礼として10億円お支払いします」と続き、依頼人の名前。そして、詳細が書かれていると思われるwebサイトのアドレスとフリーダイヤルの電話番号。
依頼人は、日本で屈指の大企業の創始者であり、巨大企業グループの筆頭株主。今は引退して、後進に経営権を譲っているものの依然、莫大な財力と権力を握っていることは間違いない。
彼が目に入れても痛くないほど可愛がっていた孫、小学1年生の少女がある日、拐われて惨殺された。
遺留物のDNA鑑定より、すぐに犯人は判明した。犯人は、清丸国英。
清丸は7年前にも同様の事件を起こして収監され、出所したばかりだった。
直ぐに全国指名手配がされたが、まだ捕まっていない。
何の罪もない幼い少女を、自分の邪悪な欲望のためにまるで花を踏み潰すように殺した男。そして、その行為に対して一片の悔いも罪悪感もない。人間の、クズ。
そんな男を殺したとして、そこまで罪の意識を感じなくて済む。もちろん、何年か刑務所に収監されなければならないが、その後、普通なら一生かかっても手にすることはできない莫大な大金が手に入る。
日本中が大騒ぎになり、ニュースやワイドショーはこの話で持ちきりだった
しかし、何だかまだ実感が伴わず、まるで絵空事のような感覚だった。
そう、清丸が警察に自ら出頭してくるまでは。
物語の主人公は、警視庁警護課の警察官。つまり、SPだ。名を銘苅という。3年前に妻を病気で亡くしていた。
彼は最初、あまりこの騒動に注目していなかった。むしろ苦々しく思っていた。
清丸が出頭してこれで終わり、とホッとしていたが、そうはならなかった。
銘苅は突然、上司から呼び出される。
清丸は逃亡先の福岡で悪仲間に匿われていたが、例の広告を見た仲間の1人に襲われて生命の危険を感じ、福岡県警に出頭してきた。清丸を取り調べるためにはその身柄を警視庁まで護送しなければならない。その途中、10億円欲しさの人間が襲撃してこないとも限らない。
警察の監護下にある容疑者を殺されるようなことがあっては、警察の面子は丸潰れだ。必ず、生きたまま清丸を東京へ護送しろ、というのが銘苅たちに課せられた任務だった。
銘苅は後輩のSPと警視庁捜査課の刑事2人、合わせて4人で福岡へ飛ぶ。
福岡県警に着いたとたん、銘苅たちは、清丸が福岡県警の留置所係の巡査に襲われて怪我をしたと聞かされる。
そしてその後、清丸は怪我の手当てのために運ばれた病院でも看護師にカリウムの静脈注射で殺害されかける。
10億円の誘惑に魅入られる者は、職業年齢性別は関係ない。
加えて警視庁に、真偽のほどはわからないが国内の左翼派過激グループによる国家権威の失墜を狙った清丸殺害予告が入った。
旧ソ連の地対空ミサイルや対戦車ロケット砲が数基持ち込まれたという情報も公安から届く。もはやテロだ。
国内の全ての航空会社は清丸の搭乗を拒否した。船舶会社もそうだ。まあ、当たり前だろう。
この状況でどうやって清丸を福岡から東京まで護送するか。
どんな手段を取ったとしても、周囲は全て敵、かもしれない。
もはや、この国には清丸が安全な場所はない。
この後は、ページを捲る手が止まらない、止められない展開が次から次へとやってくる。
清丸だけでなく、それを護衛する警察官たちもどんどん追い詰められていく。
誰が味方か、敵か、裏切り者か、全く分からず、10億の札束と人間のクズの生命を巡る攻防に、銃弾が飛び交う狂騒の幕が切って落とされた。
普通、こういう設定の場合、チームで危機を乗り越えていくうちに、清丸のいろいろな事情が徐々に明かされたり、主人公たちと分かり合えないなりに心の交流があって多少とも清丸に感情移入したり、とかいう展開が待っているものなのだが、それについては心配はいらない。
清丸には、同情や理解の余地はいっさい無い。
むしろ読み進めるうちに、穏和な(?)この私ですら、そのクズっぷりにますます嫌悪と怒りが増してきて、こいつ、本当に誰かに殺されちゃえばいいのでは?などと(不謹慎)思ってしまう。
銘苅を始め、清丸を護衛している警察官たちも、なぜ、こんなヤツを税金と自分たちの生命を懸けて護らなければならないのかと、何度も何度も葛藤する。
任務とはいえ、こんなヤツの人間の盾になれるのか。こんなヤツを護るために生命を落としても、それで納得できるのか。
もう誰も(登場人物たちはもちろん読者さえも)、誰が何を考えているのかわからない。
最初から清丸を害するつもりの者もいるだろうし、途中で考えを変える者もいるだろう。
状況からやむにやまれず、という者もいるかもしれない。
もう誰も信じられない。自分自身が自分のことすら信じられないのだから。
果たして、銘苅は任務を全うすることが出来るのか。
本を読むことは私には特別のことではない。生活の一部であり、呼吸することと同じことだ。
この作品、絶対に映像化は無理だろうと思っていたら、なんと三池崇史監督がメガホンをとって映画化されている。
賛否両論が山ほどあったようだが、私は清丸の大規模護送シーンや襲撃シーンの迫力と再現度に拍手を送りたいと思ったし、何より、清丸を演じた藤原竜也さんの演技に「すごい」と素直に感嘆した。
大沢たかおさん演じる銘苅と清丸の緊迫したやり取りもすごかったし、何より終盤の、原作にはない銘苅の血を吐くような台詞に胸を打たれた。
…大沢たかおさん、カッコよかったなぁ。
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