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*慣行農業とオーガニックの融合=地産地消!?
淡路島に移り住んですぐに、じいちゃんの畑を一緒に耕し始めた。
じいちゃんの畑はゴミでいっぱいだった。
畝の上には絨毯や毛布、土の中からは電池に時計、ホッカイロ、
ビン、缶、袋に入ったままの化学肥料。
なんでも出てきた。
燃やせるものは全て燃やしていた。
燃やせないものは埋めていた。
じいちゃんは大正元年生まれの人だから、土に還る物しかない時代を生きてきた。
だから、なんでも土に埋めておけば消えてなくなると思っていたらしい。
プラスチックなどの土に還らない物など分別することは出来なかったのだ。
私は気が狂ったように掃除した。
ゴミというゴミを全て分別し処分した。
燃やせない物も燃やしていたので、ここで野菜を作るのは少々気持ち悪かった。
そんな私を横目に、じいちゃんは大好きな黒飴をポケットから出して食べ、
小袋を畑にポイと捨てた。
それもいちいち拾って回った。
その翌年、じいちゃんは天に帰った。
ほぼ1世紀を生きたじいちゃんは、亡くなる2か月前まで好きな畑を耕していた。
入院していたじいちゃんは、退院したら自分でサツマイモの苗を植えるから、と私にサツマイモの苗を買わせてはくれなかった。
まだまだ自分でやる気だったのだ。
私と畑の取り合いをし、叔母をあきれさせた。
勝手に自然農とか初めてしまった私に、
「なんであいつは草を放ったらかしにしてるんや!」と怒っていた。
98にもなるじいちゃんに、自然農が云々・・なんて、
とてもじゃないけど言えなかった。
慣行農業で苦労してやってきた、じいちゃんの人生を否定できなかったし、
畑にゴミを埋めてしまうじいちゃんの事も否定できなかった。
だって、じいちゃんにはそれしか選択肢がなかっただろうから。
私はじいちゃんを尊敬していた。
子供のころから、この人はなんだか分からないけど凄い人だと思っていた。
だけど、ここに住んでみて分かったのは、凄いのはじいちゃんだけではなかったということだった。
淡路島の人達が凄い人達だったのだ。
じいちゃんみたいに凄い人はそこら中にゴロゴロいっぱいいた。
農家に定年はないから、80を過ぎて農業を続けているのは当たり前。
若者より目を爛々とさせ、生き生きしているのだ。
淡路島のネイティブには脱帽である。
畏怖の念すら抱いてしまうのだった。
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数人の仲間と米作りを始めた時、地元のネイティブ達は少し遠巻きに私たちを眺めていた。
無農薬、無肥料で米を作ろうなんて、地元の人からすれば
「なんて馬鹿げたことを・・」と思っていたことだろう。
しかし、毎週毎週集まっては田圃の世話をする私たちを
そっとしておいてくれたのも束の間、
しびれを切らせたかのように突然私たちに協力しはじめた。
古い農機具を出してきて貸してくれたり、
作業を手伝ってくれたり、アドバイスしてくれたり、
お茶を買ってきてくれたり・・
田圃に猪が入り稲を倒されたので、急いで電柵を張ったとき、
その電柵の下草が電気を漏電させてしまうから、これを使えと
除草剤の噴霧器を背負ってきたり・・。
さすがにそれは使えない、とお断りすると
「なへなーーー!!(なんでやー!)」
と怒られたけれど・・
それでも、訳の分からない米作りを始めた若者達を
排除もせず、否定もせず、むしろ面白がられているようだった。
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昨今、オーガニックだ、有機農法だと価値観の転換が起こる時代となった。
淡路島には、無農薬で野菜を栽培する若者が増え、
慣行農法でやってきたこのネイティブ達と入り混じりながら、
少しずつ景色が変化してきた。
はじめは「無農薬なんかで野菜や米が作れっかよ!」と言い張っていたじいさんも、
最近では「うちの野菜は農薬使ってへんでー」とそれを売り文句にし始めた。
長年慣行農業をやってきたネイティブ達にとって、新しい価値観の無農薬栽培なんて
まったく話にならないことだろうと思いきや、
以外に否定もせず、すんなり新しい価値観を受け入れた。
生産者は消費者のニーズに沿って作物を作っている。
けれど、長年大きくて安くてきれいで美味しい作物を求められ、
その通りに作ってきた農家さん達が、
最近いきなり無農薬の野菜が欲しいと言われて、戸惑わないわけがない。
しかも、今現役の農家さん達はそこそこの高齢者たちだ。
それでも、生産者は消費者のニーズの変化に敏感なのだろう。
近所の農家のおっちゃんも、
「最近はインターネットで無農薬の野菜が売れていると言うが、本当か?」
とわざわざ聞きにきた。
いまさら無農薬に変更したくはないが、やっぱり気になるのだろう。
けれどうちの畑を見て、
「お前のような畑では、やっぱり野菜は栽培できない」と言って帰っていったが・・。
それでも消費者が求めていない物を作っても意味はないのだ。
消費者の意識の変化しだいで、このおっちゃんも農業の仕方を考える時が来るかもしれないな・・。
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慣行農業を長年営んできた淡路島のネイティブ達は、
もうずいぶんと高齢者が多くなってきている。
そして、若い移住者たちが、新しい農業をし始めている。
そんな、価値観の全く違う若者たちを、否定せず、
排除することなく、家や畑を貸し、協力してくれるのだ。
そんなネイティブ達の存在は偉大であって、
私たち移住者は彼らなくしては何もできない。
お互いの価値観を尊重し合い、共にこの地で生きていけたらいいな、なんて思う。
だから、という訳でもないが、近所の農家さんから頂くお野菜や、
産直で買う野菜は無農薬ではなくても、有難く頂く。
地産地消というキーワードが、なんとなく平和な気がするのだ。
あまりオーガニック、オーガニックと声高に叫ぶよりも、
地元の農家さんの作ったものを、近くにいる人が食べる。
近所の知り合いや子供が、自分の野菜を食べると思うと、
そんなにたくさんの農薬を使ったりしないんじゃないだろうか。
慣行農家さんだって、自宅で食べる野菜に大量の農薬を使ったりしない。
オーガニックがいい!と声高に叫ぶのは、自分たちのニーズの変化を知らせるためにも必要なことだとは思うけれども、
一方で、今まで消費者のニーズに答えて苦労してきた慣行農家さん達を
否定してしまうことにもなりかねない、と思うのだ。
「否定から、良い結果は生れない・・」
畑から、いまだに出てくる黒飴の小袋を拾いながら、
じいちゃんにそう言われているような気がした。
それにしても・・どんだけ黒飴食べたんじゃ
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