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死についてのメモ

私のことをみて、良い評価をしてくれる人がいる。
私のことを好きだと言ってくれる人がいる。

私は本当に人に恵まれている。
彼らは、こんな私なんかのために
時間を割いて向き合ってくれようとしてくれる。

それがとても嬉しくて幸せだ。大事にしたいと思う。
でも、同時に怖い。

この時が決して永遠ではないことが分かるから。
いつかは過去になってしまうと知っているから。

美しいものに触れると、生きていたいって思う。
でも、人はいつかは必ず死ぬ。
この美しい時間を永遠に過ごすことは出来ない。

だから、私は時間に絶対の信頼を置いている。
死んだ後に、また会えるなんて信じてないから。

私の尊敬する映画監督である岩井俊二さんの作品
「リップヴァンウィンクルの花嫁」にこんなフレーズがある。

「わたしね コンビニとかスーパーとかで買い物してるとき
お店の人がわたしの買った物をせっせと袋に入れてくれるときにさ 
わたしなんかのためにその手がせっせと動いてくれてるんだよ 
わたしなんかのために
御菓子や御惣菜なんかを袋につめてくれてるわけ 
それを見てると胸がギュッとして泣きたくなる  
わたしには幸せの限界があるの
誰よりも早く限界がくる ありんこりも早く 
だってこの世界はさ 幸せだらけなんだよ  
みんながよくしてくれるんだ 
宅配便のおやじは私がここって言ったところまで運んでくれるし  こんな簡単に幸せが手に入ったらわたし壊れるから 
だから せめておカネ払って買うのが楽 
おカネってそのためにあるんだよ 
人の真心ややさしさがはっきり見えたら 
ありがたくてありがたくて壊れちゃうよ 
だからそれをおカネに置き換えて 見なかったことにするんだ 
だからこの世界は本当はやさしいんだよ」


幸せに包まれた彼女はこのセリフを、呟いた翌日
眠るように亡くなった。自殺だった。

彼女は未熟な自分の前に、
非常に美しく既に時間を経て完成したものを見ると、
ああ、私は通過するものだと感じて幸せと同時に
絶望を感じたのだと思う。
そして、死を置いていった。

私は死をもって、大切な彼らを繋ぎとめる気は、さらさらない。
だって、死でなくても、その時間を大事にしていれば、自然と彼らの演劇に私は登場していると思うから。

今は遠くにいるあの人も
直接会ったり連絡を取ったりしていなくても
大事な時間を共有してくれていた事実は変わらない。

大切な思い出って支えになるし、お守りになるし、居場所になる。

だから、私は死を恐れない。
恐れてはいけないのだと思う。

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