有村 叶雨

アリムラ カナメ

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ほどける舟

4月のはじめに突然、青森に行きました。 12時間ほど寝て目覚めると、そこは青森でした。 なぜ、この地に降り立ったかというと、あの舟が青森県十和田湖にあらわれるという噂をきいたからです。 はじめて、その舟をみたのは森の中でした。 明るくも暗くもない、その森で、赤い糸がまとわりついた黒い舟々を私は見ました。 糸は舟たちを、どこか遠くへ運ぶ役割を持っているようでした。 死ぬまでにもう一度みたい、そう思わせられるような美しい光景でした。 青森にも、1そうの舟が湖に浮かん

    • 死についてのメモ

      私のことをみて、良い評価をしてくれる人がいる。 私のことを好きだと言ってくれる人がいる。 私は本当に人に恵まれている。 彼らは、こんな私なんかのために 時間を割いて向き合ってくれようとしてくれる。 それがとても嬉しくて幸せだ。大事にしたいと思う。 でも、同時に怖い。 この時が決して永遠ではないことが分かるから。 いつかは過去になってしまうと知っているから。 美しいものに触れると、生きていたいって思う。 でも、人はいつかは必ず死ぬ。 この美しい時間を永遠に過ごすことは出

      • 後頭部のこびと

        昨日の夜から右後頭部をコツコツ叩く小人が住み着いているようです。 なにしろ見えない位置ですから、どんな姿をしているかは分かりません。 今日は雨が降ったり青空になったり忙しい天気でした。 こういう日に小人は出現します。 コツコツ、コツコツ メトロノームのように規則正しく叩きます。 おそらく打楽器の奏者を目指しているのだろうと思われます。 いつか、上手くなったら目の前で演奏を聴かせて欲しいものです。

        • 骨髄ドナーを考える

          深夜にコンビニでアイスコーヒーを買って、家でネットサーフィンをしていました。 そろそろ献血が出来る時期だからです。 私は、人を救いたいという強い思いから献血に行くのではありません。 そんな、えらい人間ではないのです。 単に血液が身体から抜けていく感覚が面白いからです。 死ぬときはこんな感じなのかな、みたいな 浅はかな動機です。すいません。 「あなたは100人に1人?!」 突然、水玉模様のワンピースを着た女の子に話しかけられました。 なんでも、骨髄の提供者になら

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        ほどける舟

          奇妙な対話

          彼女とのファーストコンタクトは最悪だった。 怒られる、逃げたくなった。 初対面なのに挨拶もなく、口角を少しも動かさない。何年も笑っていないような表情は、皺としてくっきりと表れており、威圧感がある。 なにしろ、こちらにちらりとも目を向けてくれないのだ。 そのような態度を取られるような理由が思い当たらない。 こちらが意図せず気を悪くさせたのなら、謝れば良いのだが、そのような隙も与えてくれないようだった。 すこぶる相性が悪いらしい。 しかし、そのような彼女との関係も、束の間に

          奇妙な対話

          フキノトウ

          フキノトウをとりました。 モサモサしていて、やわらかくて 妖精みたいで、かわいくって 苦くて渋かった。

          フキノトウ

          ダンボール

          昨日まで、ダンボールの中の物を出して、ひたすらたたんでを繰り返していました。 また、たくさんの箱男を生産してしまいました。 疲れたのでしばらく休みます。 数日前に南米の方に頼んだ寝袋が届きました。 キャンプに行くのが楽しみになりました。 嬉しくて嬉しくて、ベットの上で寝袋に包まって寝ました。

          ダンボール

          あおいひと

          今日は昭和の日でした。 国から休みなさいと言われましたから、何もしていません。ご飯を丸めて食べていただけです。 強いて言えば、ご飯の塊を持って、ぼーっとしているときに道路を挟んだ家の隙間に青い人間がいるのを見たくらいです。 遠くてよく見えなかったのですが、大きな白い袋を運んでいるようでした。 背丈が中指ぐらいだとすると、500円玉くらいの荷物を運んでいました。 休みの日も働いてくれるなんて、ありがたいなと思いました。

          あおいひと

          note先輩

          唐突ですがブログアカウントを作ってみました。難しいのでやめたくなりました。note先輩が、心底丁寧に新人研修をしてくれるのに期待に応えられそうにありません。 なぜいきなり作ってみたくなったかというと、先日、ひそかに尊敬している先生が別名義でブログを書いていたという話を教えてくれたからです。 これからの時代は、やはりブログアカウントのひとつも持っていなければならないなと思いました。