なんとなく、今までの活動を時系列にまとめたいという気になった。人生の半分以上寝ていたからか、年数ばかりが経ち、けれどもぽつぽつと動いた形跡があるので一覧にしてみたい。 生まれた家には、金子みすゞの詩集が何冊かあった。しいて言うならこれが詩の原風景という気がする。 小学校高学年。イラスト付きの童話を3本書いて、おばあちゃんに褒められる。 中学。GREEでポエムのような何かをつぶやくように残す。 高校。歌詞を書いたが曲にはならず、小説を書こうとしては詩になってしまう。
裏庭の番人さんはいなくなり綻んでいく蝶つがいたち ふたりしか乗れない舟に収まって雨のしずくと雪のひとひら 底なしの沼にすすんで掬われてヤモリの舌のように冷たい 心臓の一番奥をくすぐられだいじな翅をひらいてしまう しゅうしゅうと息吐くように抱き合ってロールキャベツは蝶の食卓 銀のラメまぶされている白葡萄ありのままでは光らないから 蜘蛛の巣のキャンディ口に含んだらきみの和毛にしたたる唾液 その赤毛くるくる巻いてナポリタンスパゲッティのように占う 催花雨の滲んでしま
今年は最後に、自分の本をつくって売りに行くことができた。本には簡単にあとがきを書いたけど、熱を出しながらだったし、いろいろ思ったことがあったのでもう少し書いてみる。 今までの作品を本にまとめようと思ったきっかけは、たくさんの人が賞に応募する中から選ばれるまで、歌集になることを待ちきれなかったからだと思う。 自分の本をつくったのは初めてではなかった。短歌とイラストの合作本を出したことがある。 でもそのときも、自力ではなかった。わたしの短歌を好きと言ってくれる人がいて、その子
所属している、鯨骨生物群集というインターネット文芸部からのお知らせです。 タイミングがいいのか悪いのか、ツイッターが不安定のため色々なSNSでネプリのお知らせをしています。色々な媒体をフォローしてくださってる方には余計に、同じ宣伝ばかりですみません。 今回お知らせしたい内容はこの2つです! ①あたらしいネプリが出ました 記念すべき部誌第10号です。今回は短歌9首を書き下ろしました。毎回テーマを決めて各自好きに書いていますが、今回のお題は「運」でした。 短歌だけではな
電気はあって当たり前じゃないんだと電気代が言っている。奇跡で、魔法だし、命がけだ。
毎日がピークのようで喉元までいっぱいになる日々だなと思っていたら、満月だった。 月曜日から金曜日まで、自分の時間をどんなふうに過ごすか考える。かならずしもその通りに動くわけでもなく、そうしなければいけないわけでもなく、ただ時間割を考えるのが楽しいから。好きなだけ自由を感じる贅沢な時間。 ごみをまとめたり、布団を干したり、日々のやることをひとつずつこなした代わりに、きれいな部屋で暮らせたり、いい匂いのするふかふかの布団でねむれる。 今日はポトフを作ってくれるというから、パ
飽きちゃうから、わたしには合ってるんだとおもいますって言った。 流浪の民のような、街から街へ旅するサーカス団のような、今の状態が気に入っている。 あんまり期待に応えようとすると破綻することがよくわかったから。無責任で、がんばらないでいる練習。 きっと面白さを求めて大変そうなところに行った人が、毎日同じことの繰り返しだとぼやいていた。 大きすぎる期待を、どんなふうに処理するんだろう。 自分の胸の、燃え残りのようなものをなぞりながら、一度だけすれ違っただけの人たちのゆく
同じような繰り返しで、何も思わないような乾いた日々でも、何も感じていないわけではない。 連休というのは、普段は会えない人たちに会うことができるのですね。 少しの刺激があれば、反応が戻ってくる。毎日は生まれてこなかった言葉がねむっていただけみたい。 明日はまた仕事と思いながら出かけていたときの、いつも迫ってくるような時間の流れ方を思い出した。 これでいいんだろうかと、いつも似合わない服を着ているような顔。 迷っているのも、本当はそうしたくて迷っている。 友だちと散歩
わたしが素直に、心のままに生きたら、誰も友だちでいてくれないと思っていた。 今まで押さえつけていた、一生分の嫌いが溢れてくるから、取り出してみたり包まれてみたりする。 思ってもいい。言葉にしてもいい。もういいよって呼ばれたら、稚魚のように元来たところへ放す。 すべてわたしの意図したように、計算と工夫で、努力して手に入れたものだとしても。 望んでもらえた奇跡があったように、知らない誰かがわたしの歌を口ずさんでくれることもあるかもしれない。 レインコートに水たばこの甘い
えらくもなれないし、だめにもなりきれない。この中ぐらいをうまく持続してゆくのが人生なんて。途方もなくむずかしい。
土曜日の街はなかなか朝にならない。日曜日はさらに時間が止まっている。寝ぼけた街を尻目に、朝一番の風を吹かせた。静かなのはいいことだ。 なんだか本当に、心から願ったことが次々と叶ったりしている。呟くだけでもなくて、手帳に書き込むだけでもなくて、文章にするのが良かったのかもしれないけれどわからない。 どうせなら新月から始めたほうが良かったと思ったけれど、思いついたときが始めどき。なにか書き残すと満足して眠れる気もする。
想像できることは実現できるとか、「想いだけが生きる全て」という歌詞だとかを、いまだにずっと大切に抱えていた。また信じようと思えた。 「迷わずに行けるなら心が砕けてもいいわ」という呪文を何度も繰り返し唱えて、本当に心が砕けてしまった。骨折したところみたいに、またいつでも折れやすくなっている。どんな材質でできているのだろうか、それでも今はふつうに動く。 どんなに惨めに思えるときでも、すでに全ての望みを叶えてしまっている。そんな歌も聴いて育った。 そのうえでこれから、強く強く願
彼はよく、ぼくのところを訪ねてくる。行く当てがないんだ、と。 とてもすまなそうに言うけれど、彼はいつでも遠慮ない。 ぼくが招き入れるのを待つことなく、ぼくのところに土足であがり込んでくる。いつだってそう。 ぼくと彼とは長い付き合いだ。だけど彼と仲よく笑いあったりはしない。僕らのあいだにあるのは、秘密。 彼が訪ねてくるとき、ぼくはきまって泣きたくなる。へんだよね。 ぼくは必死でそれをこらえて、彼を受けいれようとするんだ。 ぼくらは並んで座ることにしている。泣き顔をみ
歌は訴うものという。僕から君へ、切実に。 届きますように彼女や彼でなく二人称現在のあなたへ
夢のような場所を見つけた。ディズニーランドにはそこまでときめきを感じられないでいたけれど、好きなものに囲まれたらそれがその人にとっての夢の国。わたしにとって好きなものとは、本と食べ物とカフェインとお酒と、そして何より一人でぼーっとする時間。その全てが揃うお店が、歩いていけるところにあった。 雑誌におしゃべり禁止のカフェと載っていたのを見てからずっと気になっていたのだが、思っていたよりしあわせ空間だったので勇気を出してよかったと思う。ご飯と飲み物もとても美味しかった。 わ
世界にひとつだけ、あなただけのものが作れるという売り方に弱い。ずるいと思う。 けれど、わたしだけが所有するものなど、自分の肉体以外にないだろう。そしてそれも結局は宇宙の一部で、今だけの借りものである。 だからこそかもしれない。わたしは自分がなくなるときが好きだ。好きな音楽に浸っているとき、何か大きなものと溶け合ってひとつになる瞬間がもっとも心地好い。 好きという感情をもってすら、何をも所有することはできない。自他との区別は曖昧で、輪郭があやふやになって浸透してしまいそう