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執筆療法
noteを始めて1年と8ヶ月くらい経つ。素人なりに継続的に何かを書いてきて、書くという行為によって生きやすくなっている部分が少なからずあると思っている。そんなわけで、自分にとっての書くということについて振り返ってみたい。
ところで、私は普段は小説しか読まないけど、きっかけがあって執筆論の本を読んだ。『ライティングの哲学 書けない悩みのための執筆論』という、千葉雅也、山内朋樹、読書猿、瀬下翔太の4名による新書だ。書くことを生業としていて学生に教えていたりもする人たちだから、さぞ高尚なことが書かれているのだろうと思い、正直なところあまり気が進まなかったのだが、読んでみたら納得・共感できるところ多々で、自分のことを振り返るきっかけにもなった。
この本は4人の座談会とそれぞれの寄稿、そして再度の座談会という構成になっている。冒頭の座談会では主にアウトライナーというツールに関しての語り合いが展開される。アウトライナーは箇条書きができるツールで、階層立てることもできる便利なツールだ。執筆のどこかの過程でアウトライナーを使っている4人が、それぞれの使い方について語っていく。一つ目の共感ポイントとして、小さなタスクも全てアウトライナーに書き出すことによって仕事がうまく流れていくというものがあった。これは普段仕事をするときに私もやっていることで、どんな些細な業務もアウトライナーに書き出して、やったらチェックボックスにチェックを入れるというのを3年くらい続けている。思いついたらすぐ書くことによって忘れにくいし、忘れても思い出せる。業務量が増えても全て見渡せるようになっていて把握できているという安心感がある。やる気がないときはリストから比較的こなしやすい業務を選んで取り掛かるうちに、他の業務もこなしていくことができる。そして、チェックを入れることで日々小さな達成感を累積できる上、過去の分も見渡せるからこれまでの仕事が累積されていく感じがする。あまり意識していなかったけど、普段から書くという行為に救われている部分があるということだ。
そして、この本では「断念」が一つのキーワードになっている。〆切が来るから、今の時点でできるのはここまでと諦める。無理やりにでも断念する。私はあるときからnoteを週に1回更新することを自分に義務付けた。仕事をしているし平日夜も休日も予定がたくさんあるのに、それにnoteは趣味の範疇なのだからこだわる必要なんてないのに、続けている。この記事で50週連続投稿になる。もっと工夫の余地があるのではないかとほぼ毎回思っているが、日曜の夜には諦めてそのときその時点で書けたものを投稿している。生きているだけで体の中に生まれ続けてしまう思考や言葉を吐き出すためにnoteを始めたのに、うまく書けずに悩んでいるうちに日々が過ぎてしまい、書きたかったはずのものがしなびてしまうことがよくあった。週に1回、無理にでも投稿することにしたら、無骨な文章でもそのときの新鮮な気持ちが刻まれて、次の週には新しいことを考えることができるようになった。自分の中で滞留してしまわずに適時にアウトプットを続けられるようになったということだ。これはとても健康的な状態だと感じる。献血すると古い血を排出して新しい血を作るから体がすっきりすると言う人がいる。献血したことのない私にはその感覚が分からないけど、感情や言葉をアウトプットすることで次なる感情や言葉が出てくるようになるというのは似た感覚かもしれない。
『ライティングの哲学 書けない悩みのための執筆論』は、書くことにこだわり、救われ、苦しんでいる4人がその人間臭さを存分に晒している本だった。私は書くことを生業にしているわけではないから、書く苦しさも、書くことで救われて健康になれるという側面も、骨身にこたえるほどのものではないかもしれないのだけど、両方大事にしてよくよく観察して、これからも適度に書いていきたい。