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図らずもシンクロしてしまった不調本
頭木弘樹編『イライラ文学館 不安や怒りで爆発しそうなときのための9つ物語』なるアンソロジーがある。「イライラしたときにはイライラした物語を!」と書いてあって、最近イライラしがちな私は思わず手に取った。
ターコイズと黒の2色刷りの表紙はもやもやした枠の中に頭を抱える男性の絵が散らばっていて、すっきりしたデザインの中にこの本のテーマが感じられ、川名潤さんの装丁が光る。中身は現代小説から大正文学から随筆から漫画、ロシア文学にフランス文学そして韓国文学と多彩である。いずれも短い中に身体や心の不調とそれにまつわる出来事を鮮烈に描いている。
イライラのリアリティ
筒井康隆「心臓に悪い」は、心臓血管神経症を患う主人公が左遷に遭うのだが、妻が赴任地に送った薬がなかなか届かず、運送会社のコールセンターと格闘する話。上司も医者も妻も主人公の病気に対して呑気で、本人の深刻さが全然受け止められていない。さらに、コールセンターの人はもっと無関心だ。主人公は遠く離れた島に異動になったため、発作を抑える薬が手元にない状況はとても不安なのである。しかし、そういう彼の訴えはコールセンターの人にとっては毎日色々なところからかかってくる電話の一つに過ぎず、その必死さは受話器の向こうには微塵も伝わらない。身体の不調が根本にあって、その上周囲の理解がなく八方塞がりな状況が最高にイライラが募って然るべしでその表現が見事なのだが、最後の数行がイライラをぶち破る破壊力と爽快さを持っていてとても良い。
不調が狂わせる
志賀直哉「剃刀」は、十年間客の顔に傷をつけた事がないという剃刀名人の芳三郎が、熱を出している日に仕事をしようとして思うようにいかず、衝撃的な行動に出てしまうという話。主人公の芳三郎が熱で苦しんでいるので全体的に薄暗いトーンで描かれている。身体が重いので周りの者の言動が癪に障る感じがリアル。物語のラストで主人公がある行動に出てしまうまで、一瞬一瞬が研ぎ澄まされていくような筆致がすごかった。この世に主人公ただ一人なのではないかと錯覚するような静謐さの中にその出来事が静かにどかんと起こるのがとても印象的だった。普段ならあり得ない衝動が不調から引き起こされることはあるのだと思い知らされる。
アントン・チェーホフ「ねむい」は子守りとして他人の家で働く十三歳の娘ワーリカが、眠ることを許されない環境でやはりあり得ないような行動に出る話。夜は泣き続ける赤子の揺りかごを揺すり続けなければならず、日中は主人夫婦の言いつける仕事をこなし続けなければならない。そしてまた夜泣きの赤子。ブラックどころの話ではない。「剃刀」と近いところもあるが、こちらはより人間の極限状態を描いている。確実に睡眠が足りていない状況で睡魔に耐えようとしているときの表現が、まさにそうだよなと思わされるような秀逸さ。一昔前の物語だけど中身は全然古くない。人間の身体機能は時代が変わっても大きくは変わらないことがよく分かった。比喩が多用されているし、どこまでが夢でどこからが現実か曖昧な感じがする文章はずっとまどろみの中にいるようで、この短編を読み終わるまでに何度も睡魔に負けてしまった。
痛みが世界を変えてしまう
ル・クレジオ「ボーモンがはじめてその痛みを経験した日」は、直接そう言われているわけではないけどこのアンソロジーの中核となる一編だろう。主人公のボーモンが歯痛の症状を思えてから朝になるまでを描いている。一刻一刻が克明に描かれていて、時間が経つのが遅い感じが、身体が不調で苦しいけどどうしようもないときのリアリティに満ちている。折しも私はこの短編を読んでいる途中で数年ぶりに発熱し、倦怠感や頭痛や筋肉痛や痰などの症状に悩まされることになった。この短編は直喩も暗喩も多用されていて、一見かなりマジカルなことが起こる。不調が起こっているのは自分自身の身体なのに、それによって部屋の中にある物の様相が大きく変化していく。そして肉体も変容していく……。その一連の流れは、健康なときだったら「ちょっと変な小説だな」で終わっていたかもしれないが、体調不良真っ最中で読んだことで全てがしっくり来た。自分の症状が悪化しそうな気がして、こんなときに読むのも嫌だなと思いつつ読んでいたが、この物語は今や私の味方であると感じる。
谷崎潤一郎「病褥の幻想」は、歯痛に苦しむ主人公が常日頃から抱える地震への不安が夢に表れる話。痛みのあまり、痛くないと思えば痛くなくなったり、どれでも任意の歯を痛みださせることができるようになるというのが面白い。でもこの短編ではボーモンとは違って歯痛そのものよりも地震への不安に紙幅が割かれている。身体の不調によって普段から心に巣食っている不安が増幅するのである。谷崎は地震恐怖症だったとのことで、主人公の地震への恐怖は谷崎自身の考えが大きく反映されていると推測できるが、地震に関して解明されていることは現代とはやはり違うから、現代の感覚では不安の抱え方が納得できる部分とできない部分があって、そういう意味でも面白かった。
痒みと並行する日常
内田百閒「掻痒記」は随筆で、大学を出てすぐの時期の、頭が痒かった頃のことを描いている。痒みに耐えかねて頭を叩いてもらったり、髪を切ればましになると思って床屋に行けば嫌な顔をされたり、病院に行けば包帯を巻かれて余計痒くなったり、なかなか解決しない。最後に剃刀を当てるところはこちらもすっきりした気持ちになるが、タイトルの割には頭の痒みばかりにフォーカスを当てているというのでもなく、ニート生活が淡々と綴られているのが私は好きである。
ストレスが身体を変容させる
ソ・ユミ「当面人間」は、ストレスを抱えた人間たちの身体にひびが入ったり、逆にふにゃふにゃになったりするという世界線の話である。前の会社には必要とされずに辞めてしまって、転職先では誰も味方のいない劣悪な環境の職場で働くことになり、空き巣など身の回りの嫌な出来事も重なる。一つ一つの出来事が主人公にダメージを与え、身体にひびが入っていく。ストレスフルな状態がベースにあると、嫌な出来事が重なったときにダメージが大きくなる。この物語のようにそれが身体に分かりやすく現れてくれたほうがむしろ良いのではないかと思った。気づかぬうちに抱え込むよりは目に見えてくれたほうが良い。そして、主人公の友人が主人公にあまり同情せずちょっと冷めたスタンスなのがあまり見ないパターンなので不思議な気持ちになりながら読んだ。
気分は身体が知っている
土田よしこ「わけもなく楽しくて…!?の巻」「ムシムシイライラの巻」(『つる姫じゃ〜っ!』より)は、漫画2編。なんか分からないけど楽しい気分だったり、なぜか無性にイライラしていたり。それはやはり身体の調子と結びついている。後者は特に、PMSそのものという感じでとても共感できた。内容と関係ない感想であるが、「なぜか今日はしどく気分がよかった」という文があり、「ひどく」が「しどく」になっているのでヒとシの混同が起こっているということで、この現象ががっつり活字で残っているのに少し感動してしまった。
物語とシンクロしてみて
全編読んできて、身体の不調がいかに平静な心を失わせ、世界の見え方を変えてしまうかということをよくよく考えさせられた。「ねむい」を読みながら眠ってしまったり、「ボーモンがはじめてその痛みを経験した日」を読みながら体調不良と闘ったり、図らずも物語と自分の身体をシンクロさせてしまったおかげで、物語はよりくっきりと浮かび上がり私の心身に刻まれた。健康はマジで大事だし、イライラしたときはまたこの本に戻ってこようと思う。