『ことり』 小川洋子
※この記事はネタバレを含みます。
小川洋子さんの『ことり』を2年ぶりくらいに読んだ。
読んだのは2回目だけれど、記憶から抜けていたストーリーを辿るうちに涙が溢れて止まらなかった。
私の記憶に残っていたのは、前半の小父さんとお兄さんの生活の部分がメインで、どこか社会から取り残されているような二人の生活の雰囲気が印象的だった。
ポーポー語と呼ばれる独自の言葉を話すお兄さん。その言葉を理解できるのは、弟である小父さんだけ。小父さんは小鳥たちが住まう保育園の鳥小屋を眺めるのが好きだった。お兄さんが亡くなった後も、小父さんはお兄さんが小鳥を静かに愛する姿を胸に刻んで、鳥小屋の世話をするようになる。
小父さんの生き方は淡々としている。鳥小屋を掃除し、ゲストハウスの管理人の仕事を静かにこなす日々。
小父さんが鳥に関する本を読みに通うようになった図書館で、司書の女性と出会う。彼女との出会いにより彼の心が照らされるが、何も関係性は発展しないまま司書の女性は結婚してしまう。そして二人はもう二度と会えなくなってしまう。
きっと小父さんは、司書とのわずかなやり取り、そして鳥が繋げてくれた二人の心の繋がりに感じた拭いようもない幸せを大切に胸にしまおうとしたのだろうと思う。
傷心の中、河川敷で老人に出会う場面。
老人は鈴虫が入った箱を持ち歩いている。私は純粋に、暗い箱に閉じ込められる鈴虫がなんだか可哀想だと思った。老人と二人で鈴虫の声に耳を澄ませるのが小父さんの習慣になるが、やがてその老人も姿を現さなくなってしまう。
さらに小父さんはある事件をきっかけに、鳥小屋の世話をさせてもらえなくなってしまう。やがてその鳥小屋も撤去されることとなる。
物語の最後、小父さんは庭にいた一匹の弱ったメジロを介抱することになる。ここからが感動的な部分なのに、全然覚えていなかったのが不思議だ。メジロと小父さんの時間に涙が止まらなかった。小父さんの一連の行動はメジロへの真の愛に溢れていて、胸が詰まった。
ある時、小父さんが世話するメジロの声に惹かれた男に声をかけられ、メジロとメジロ好きの男達が集う大会たるものに誘われる。その場面ではメジロを尊敬すると同時に哀れむ小父さんの心が読み取れる。最終的に小父さんが静かな怒りを募らせて、メジロが入った籠を次々と開け放って無言で逃げて帰る姿がかっこよかった。
そして何より、小父さんのメジロ。雄である彼が一生懸命に自分の声を磨く日々には胸打たれた。そのさえずりはきっとこの世のものとは思えないほど美しいのだろう。その声を想像して、私は読みながらただ涙を流すしかなかった。
最後に小父さんは、元気に立派に成長したメジロを放す直前で息を引き取る。メジロのさえずりを胸に携えてきっと幸せに亡くなったんだろうなと思う。でも、メジロはその後誰かによって無事に外に放されたのかどうかが気になった。
上手く表現できないけれど、この本は世の片隅でどうにかひっそりと生きる人を照らしてくれるように思う。
こんな風に私が簡単な感想を述べたところで、なんだかこの本の深い価値を充分に伝えられないようにも感じる。
そしてこの物語は、人生において大事なことは何か、幸せとは何か、を改めて語りかけてくれるようで、私の中の価値観にも通ずる部分と反対にそれと矛盾する部分を痛感させられた。
そんな本だった。私は本を2回以上読むことはあまりないけれど、この本は何回でも読みたいなと思う。また次に読んだ時には違う感覚になっているのかもしれない。
ところで本の題名の『ことり』が平仮名なのは、物語の中身を意識しているのかな。実は言葉がかけ合わさっているのも面白い。
そして今日は小川洋子さんの別の本『猫を抱いて象と泳ぐ』をゲットしたので、これもまた近々読んでいきたい。
小川洋子さんの簡潔な筆致とか、ストーリーの独特な世界観が本当にすごすぎる。
結局のところ、作家さんってとんでもなくすごいな、とばかり思う。毎回素敵な本を読んだ後は、あらゆる感情が作家さんへの尊敬に凝縮される。
すごいなぁ。
物語が生み出されるって、すごいなぁ。
おわり。