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10月の終わりに、ふと思ったこと

今日で10月が終わり。
ふと思ったことを書こうとしてnoteを開いたら、日付が変わってもう11月になっていた。

書き残しておきたい気づき。
これまで生きてきて思うこと。

それは、「信じる」と「愛する」はセットであること。
また、それらを体現することは大袈裟なことではないかもしれないということ。そして、「期待」とそれらは似ているようで違うこと。

「期待」は、時にあらゆる関係性をずしりと重く、粘っこくしてしまうことがあると思う。おもりのようなものかもしれない。一見そのおもりは役割を果たしているように思える。なぜなら、そのおもりが外れると、紙はペラペラとどこかへ飛んでいってしまうからだ。ここでの紙は、双方の関係性のことをいう。

自分と、他人。
自分と、夢。
自分と、自分。

でも、おもりが必要な関係性は、そもそも大切な関係なのだろうか。
おもりの要らない関係。そんな関係を築ける選択を最初からする。それができるといいのかもしれない。あるいは、後から訓練をしておもりを取っ払うこともできるかもしれない。その訓練は時に困難なものかもしれないけれど、とても大切な気づきを与えてくれるものだと思う。

深く考えなくてもいいのかもしれない。

私はただ、自分のいる環境や周りの人を信じたいし愛していきたいと思う。
今までそれは、とても大袈裟なことのように感じていた。

でも今やっと、ただ「愛する」気持ちがあればいいんだと思うようになった。

それは例えば、職場での人間関係でも言えると思う。

たとえそれが仕事の時間だけの浅い関係性でも、ただそこに居てくれて「ありがとうございます」と心の中で思うこと。仕事をフォローしてくれたら、さらに「ありがとうございます」をちゃんと言葉にすること。

仕事仲間でもお客さんに対してでも、言葉に、心を込めること。大切なのは心を込めることで、その気持ちが上手に声の調子に乗っていなくてもいい。当たり前かもしれないのだけど、とても大事だなと思う。そして誰かと何か微笑ましい会話が少しでもできたら、その嬉しい気持ちを噛みしめること。

その人のためになることというのは人それぞれだから難しいけれど、例えばこの人大変そうだな、とか何か気づいたらちょっと行動してみること。フォローしてあげる、とか、声をかける、とか。

そして相手と何か自分の思うようにならないやり取りになってしまったとしても、こんなこともあるよねって心の中でにっこりすること。

そんなことでいいのかなって。
思えば、私の働いている二つの環境には良い人達ばかりだなと思う。

別に、その人達の裏がどうとか良くない想像する必要はない。
私はその人達が黙々と仕事をする姿を見て、あるいは誰かと話している姿を見て、あるがまま、良い人だな、と思う。

正義感が強い人。
いつも明るい人。
楽観的な人。
困難に冷静に対処する人。
少し愛想が悪くても真面目な人。
根が優しい人。

例えばそんな風に、周りの人の良いところに目を向けてみると、心が熱くなることがある。一人一人に良いところを見つけると、私はただ「ありがとう」と思うし、そう思える自分で居たいなと思う。

疲れていたりして「愛する」余裕がない時は勿論あるのだけど、ふとした時にそう思うだけでも違うかなって。そう。直接伝えられなくても、「愛する」ことはできるんだ。

そして、「愛する」と同時に「信じる」ことが大切だと思う。
両者は、切っても切り離せない関係かもしれない。

「信じる」とは、例えば相手の良いところを前面的に信じること。

もし良い人だと思っていた人の良くない面が少し見えただけで失望してしまう、というようなことがあれば、それは「信じる」ではなく「期待」なのかもしれない。

私は今まで他人との関係において、そういうことが度々あった。
でも、最近それを乗り越えてきた気がする。

それは、自分との関係を良好にしてきた結果だと思う。

他人を愛する前に、自分を愛さなければならない。
そして他人を信じる前に、自分を信じなければならない。

今の私はそう、思う。
実感を持ってそう、思えている。
不思議だ。

そして、「信じる」ことができるようになると、不安が少なくなった。

こうなるまでには色々なことがあったし、別に今でも常に自分や人を愛せるわけではない。もしかしたら、心身のバランスが整っているからそう思えているのかもしれないし、そう思うから心身が元気なのかもしれない。

鶏が先か卵が先か。

そういうことって往々にしてある。

とはいえ、少しずつ成長してるということか。
そういうことにしよう。

それじゃあ、明日も良い日に。
おやすみなさい。



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