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子供の自分が、なって欲しかった親とは

「私が子供の頃に、欲しかった親の姿とは何か」

これを一晩考えていました。

でも、結局「今になって思う」といった後付けの理想論は沢山出てきたのですけれど、「子供の時、思っていた」というものは正直出てきませんでした。

子供からすれば親というのは、例えどんな親であったとしても「最も愛されたい存在」であることが揺るぎないからでしょうか。

先日noteにも書いた「ぼくがこどものころ、ほしかった親になる」という本を読んだのがそもそものキッカケです。

35歳フォトグラファー。子供はまだ2歳。ガンで余命3年の診断を受け、「残された数年で、子供にしてあげられることは何か」ということに向き合う本です。

子供はまだ満足に喋ることも出来ない中で受けた余命宣告。その後の数年という時間の過ごし方について、なにも考えないほうがどうかしています。

そんな文字通り必死の教育論は、ある種の怖さも感じさせました。

堀江さんの「すべての教育は洗脳である」という著書があるように、私もそう思っています。教育は洗脳だと。巷では多様化が叫ばれてひさしいけれど、特に親と子供の間で行われる教育は全くそれとは別次元のものです。

教育とは「親が好ましいと思う価値観を子供にすりこむこと」。

そこには多様性などはなく、自分と同じものを作り出そうとする洗脳に他なりません。選択肢を持ってほしいとか、子供にゆだねているようで、そういう考え方や価値観を刷り込もうとしているのと同じなのです。

教育とは元々そういうものなのです。

親としてしてあげたほうがいいと思うことは沢山あります。子供としても期待に応えたい気持ちはきっとあるのでしょう。そして、そこには自分という1人の人間の自我もある。

教育がどんなものであれ、全く行わないという選択肢はありません。

育児をするという行為自体が教育と密接に関わっていますからね。そんな中で、私たちは意図するしないに関わらず私も色んな価値観を子供に洗脳していくのです。

もはや自分がなにを望むことが正解なのかわからないけれど、とにかく我が子は歪まない様に育ってほしい。

この本を読んで、そんな神頼みにも似た渇望を覚えました。写真展には行けそうもないけれど、この人の生み出した写真には触れてみたいな。


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「欲しいものリスト」に眠っている本を買いたいです!(*´ω`*)