肩書は 【かつお節コーディネーター】
先日、37の誕生日を迎えました。
若い頃には自分はきっと20代には結婚して子供を産んで、家庭に入ってるのだろうな…なんて将来を想像していましたが、蓋を開けてみたら家庭に入るどころか、伝統と男の世界に飛び込んでいました。
自分でも想定していなかった未来に、だけれど、とてもワクワクしながら今、かつお節屋で3年目を迎えています。
これまでの2年間は、かつお節屋の『目利きの見習い 兼 営業』として働いておりました。これまではあくまでも単なる営業として、一歩引いた形での働きをしておりました。会社の一員としては未熟であり、理解できていないことも多かったためです。しかし3年目に入り、少しずつ馴染んで新しい仕事の提案ややり方も、他のスタッフに受けて入れてもらえるようになってきた現状と、何より今後は世代交代や会社としての方針を考えて動いていかないといけないことを考えると、表に立って働いていく必要があると考えました。
そこで、自分の仕事を説明するときの呼び名を、変えました。
今までの『目利きの見習い 兼 営業』も続けますが最初の自己紹介は『かつお節コーディネーター』と改めます。
【かつお節コーディネーター】とは
かつお節コーディネーターという言葉は、私の業務を包括的に表したものですが、この【コーディネーター】という言葉には由来があります。
私の尊敬している庖丁コーディネーターの廣瀬康二さん(食道具 竹上@京都)に倣ってつけたものです。
廣瀬さんは、もともと京都にある料理道具 有次さんで二十余年修行され、その後独立されるときに庖丁コーディネーターとして始められましたが、その業務内容が一般的な料理道具屋さんや庖丁屋さん、刃物屋さんとは異質ものなのです。
一般的なところでは、庖丁や道具を売って、研ぎまではしてくれるかと思いますが、大抵はここでおしまいです。
しかし、廣瀬さんは専門店ならではの本刃付けや重心バランスの調整といった技術の他に、庖丁の歪みを取る調整や、料理人さんに合ったものの提案、また扱い方や管理の技術面での指導、そして何よりも重点を置かれているのは、『庖丁刀』というものを一つの文化としてとらえて、物販や技術だけでなく、そこにまつわる物事も含めて、総合的に取り扱い、伝えておられます。
私が【かつお節コーディネーター】と名乗ることを決めたのは、一つには以前廣瀬さんと時間を設けてお話した時に、自分が行っている内容と、これから目指している事などを廣瀬さんから
「それこそコーディネーターというお仕事に近いのではないでしょうか?」
というお言葉をいただいたことと、もう一つは自分の役割を考えたときにやはり他に一言で当てはまる言葉がなかったためです。
『コーディネーター』を翻訳すると、『調整をする人』や『調整して統合する人』と出てきます。
私の役割は単にお店に営業で売り込みに行くだけでも、代表の稲葉から目利きの技術を受け継ぐだけでもなく、
①料理人としての知識で以て料理人さん一人一人の求める理想の出汁となるかつお節の情報を聞き出し、目利きに伝えてそれに沿った節を仕立ててもらう(目利きと料理人を繋ぐ)事
②料理人さんの求める出汁に合わせて、その他の出汁素材のアドバイスや提案、内容によっては他社をご紹介する事
③上質なかつお節や出汁の味、その知識を伝える事
④忘れ去られてしまった目利きという仕事をもう一度復活させるために広くしらせ、かつお節は本来はそういった仕事が必要なものであることを伝える事や、目利きができる人、それを目指す人を増やす事
⑤作り手となる職人さんを買い支え、また若手の育成のために適正な評価と指導をする事
⑥海洋資源が急激に減少している中にあっても、それが認知されず、また取りつくす事へ日本自体も参加しているという危機的状況から、原料となるカツオ(水産資源全般)の保護やかつお節原料へのモラル向上を訴求していく事
⑦出汁にまつわる食文化や背景歴史を伝えて、日本をより深く知ってもらい、未来に繋げていく事
大まかに分けますと、このようなことを考えて動いております。
これらの内容を、包括的に一言で表現すると『コーディネーター』になったのです。
廣瀬さんに先日「かつお節コーディネーターと名乗っていきます」と伝えたときにとても喜んでくださったことは、私にはより一層気が引き締まったものです。期待を込めて、私にも【コーディネーター】と付けてくださったのですから、気負わなくとも、想いを裏切ることだけはしたくないと一つの覚悟にもなりました。
これからの時代に
私たちかつお節屋は『時代に取り残されたような仕事』と言われています。
同業者からもそんな言葉を聞きますし、この業界や仕事に対して未来を感じている人は、実はあまり多くありません。
それは、このnoteを読んでくださっている読者の方にも、その意味が理解できるところがあるのではないでしょうか。
一体どれほどの方が、日常的に出汁を引いたり、かつお節を削っているでしょうか? 10人に1人、日常的にかつお節で出汁を引いていたらそれは万々歳です。
ならばかつお節を自宅で削っている人は…? いったいどのくらいの割合でしょうか。
その総数は、決して大きな数ではない事は容易に想像がつきます。
そう、現代においては完全に少数派となっているのです。
だからこそ、わざわざ手間をかけてまで料理をする意味のあるものやこれに代わるものがないといえるほどのものであることが、かつお節が生き残っていく道だと考えています。そして、これから先のカツオという資源が急激に減っていくことが容易に予測される中で、かつお節を未来に繋いでいく数少ない道でもあると思います。
約40年前から始まったかつお節の大量生産大量消費の中で、昔の美味しいかつお節は徐々に作れなくなり、その技術も廃れていき、ついには日本人の作り手が殆どいなくなってしまっています。
新しいものに挑戦できる環境どころかこの文化を継続していける人材も失われているのが、かつお節業界の現状なのです。
誰かが、どこかが、疲弊して潰れていくようなやり方は通用しなくなるよとようやく言われ始めた矢先に、このコロナで急激にその世界に突入していきました。
本来なら10年単位で起こる変革が、わずか1年で起こってしまったのだと感じています。
「かつお節屋の意義とは。かつお節の意味とは。タイコウの役割とは。」
この問題に対して常に自問自答するためにも、かつお節コーディネーターと名乗り、働いていくことを決めました。
この仕事に、私は未来を感じていますし、切り開いていく役割を担うと決めています。そうでなければ、世襲や婿が跡を継ぐことが当たり前の男の世界に飛び込んだりしません。
幸いにも、かつお節の仲買問屋さんに後継者として若い女性が、一人奮闘しながらいらっしゃいます。年齢は私の方が一回り上なのですが、代々続くかつお節問屋の娘さんが、私と同時代にこうやって同じ方向を向いて進んでいくれるという、奇跡のような幸運もありますし、若手の生産者も一人、「美味しいかつお節が作りたいんです」と、作り手に立候補をしてくれました。
そして、素晴らしい昆布の問屋さんといりこの問屋さんもいます。
これだけのご縁が奇跡のように繋がっていて、これをどう未来に形作っていくか、それは自分次第だと思います。
決して容易い道ではありませんが、未来に美味しいかつお節や、日本食が残っている世界を繋げていきたいと思っています。
ささやかな、私の肩書の変更には、このような想いも込めております。
大風呂敷広げてきちんと回収できるように、これから頑張っていきます。
文章に残して、後の世代に繋いでいきたいと思っています。 サポートいただけると、とても励みになります。 よろしくお願いします。