変わり続けることで、変化に適応していく[12月12日~18日の日記]
2021年あけましておめでとうございます。
無事に新年が時元会津で、家族と迎えられ、ぼくは感無量です。今年は雪もたくさん降っているので、なおさら正月感が強いです。
朝から「御神酒」と称して、地酒を少し飲んで、1時頃から少し昼寝をしてからの今、です。
はい、まさにお正月という感じですね。
新年だし、たまにはいいかなと。
変わり続けることで、変化に適応する
ぼくは、2011年の震災をきっかけに新卒で入った証券会社を辞めて、その一年間だけ、受験生時代よりも“真剣な”、英語勉強期間があったんですね。
その時、モチベーションアップのために読んだ、安河内先生の本に、一文がが書いてあって、それを今でもよく、思い出すんです。
こんな言葉です。
引用は、この一冊です。
受験生時代を共にした同世代の方なら、一度は何かでご覧になったことがあるかもしれませんね、安河内先生。
今、テレビなどでよく見る、林修先生も、その時の東進ハイスクール有名講師陣の一人。この方ですね。
話が大きくそれました。
ぼくが言いたいことは、受験生時代の思い出話ではなくて、“何かに必死に打ち込んでいた時の何気ない記憶”って、わりとよく刻まれていたり、それが反芻してきたりしませんか?ということ。
ぼくは、結構そういうことあります。
冒頭の一文も、年が明けするなぁと大晦日に一年を振り返ってたり、次の一年を考えたり、いろいろ考えていた時に、急にフラッシュバックしてきたんです。
で、そういう現象が起きた時は、“今は、そういう時なんだ”という自己認識をする。そして、その記憶が反芻してきている「意味」を考えたりするのが好きなんですよね。
つまり、『変わり続けてきたんだなぁ』ということ。
2020年を振り返る
2020年は、とても大変な一年だった。
少なくとも「余裕だぜ」って人は、そんなにいないんじゃないかな、と。
で、ぼくも個人的に上半期(1月〜6月)くらいは、結構暗くて、辛い時間も結構あって、そもそも心身のバイオリズムがよくなくって、鬱々とした気分が続いていたりしました。
その時に書いていた日記や文章なんかを少し引用してみても、よく感じがわかると思います。まぁ、上がり下がりは日々ありますが、例として、“かなり大変そうだった”時のをあえて挙げます。
“自分史上最悪”だった、2020年前半
2019年の年末〜年明けにかけて、すごくお腹の調子がわるかったりしてたし、体も疲れていたのかもしれないです。
また、気分は天気にも左右されるもので。
あと、これなんかは、 #ぜんぶコロナのせい な案件ですね。
こうした1月や2月を経て、3月は、もろもろの停滞感を感じていた。
4月と5月はいわゆる「ステイホーム」月間だったので、ほとんど外出せずにいた。出社することすら許されず、仕事を半ば“強制的に”、在宅でさせられていたので、これは相当キツかった。
ぼくはたぶん、「命令されてそこにいる」ということが生来できない性格のようだったようです。
復調の兆しは“出社して”から
その後は、会社に「出社させて欲しい」と申し出たこともあり、7月からは出社組に入れてもらった。ちょうど感染も一旦収まって、出社枠を少し拡げる流れになったのも幸運だった。
そのタイミングでちょうどよく、本社から自分の運営している財団の方に「出向」させてもらうことになる。待遇はもちろんそのままスライド。かつ、本社の人事規程からは外してもらえることになる。
つまりは、『出社しても、在宅してもOK』という状態を得た。無敵だ。
それからは、みるみるうちに元気を取り戻した。
読んで字のごとく、「水を得た魚」というのはこのことか、と思うほどに少しずつだけど、体調も快方へ向かったし、発言や思考も前向きに進み始めた。
元々、エネルギー量が大きい人間ではある。
で、それを外に放出している時は調子がいい。
反対に自省や遠慮や忖度が行き過ぎたり、自分の側に負の矢印が向いた時が怖い。それは、今でもそう思っている。
“そういうもの”だから、気を付ける。
自分を守るために『いい習慣』が身についた
それと、2月頃から毎朝の習慣として始めた、「朝散歩」
これはとても自分の心身を健康にしてくれていて、おかげで無理なく、大晦日の昨日までほぼ毎日続けることができた。
オリンピックイヤー(閏年)だったから『366日』あるうち、『252日』を去年は歩いた。1月とか2月でツイッターや手帳に記録が抜けている時もあるけど、実数ベースでもおよそ『7割』は歩くことができた。
こうやって、『できたこと』が一つ一つ積み上がってやがては『自信』という自己肯定感に繋がっていくと思う。
それを可視化することも大事だと思って、途中からはツイッターで毎日定点写真とともに何か言葉を綴るようになった。多くは、その日のやることだっったり、前日の記憶だったり、些細なことを書いている。
こうした一連のツイートは参考までに一つ貼っておくので、下のリンクから飛んでもらえると、その前後に続く『自己肯定感の素』がみて取れると思う。
たまに、抜けていたりするかもしれないけれど、歩いた日は9割9分記録しているので、ほぼヌケはない。
ご参考までに!(今の現状で苦しむ誰かのために)
朝、30分〜40分くらいの単なる“ウォーキング”ではある。
だけど、バカにできない。
というのも、大事なのはその時間を確保するため必要なのは、“朝、ちゃんと起きること”だったりするからだ。
いろんなことが、生活に紐づいている。
もちろん、朝の軽い運動習慣って、いろんなところで推奨されていたりするのだけど、まずは、ベッドから起きないと始まらないわけで。
平日は妻が7時半には家を出る。それはしばらく変わらない。
ぼくはそれまでに朝の活動を終えて家にいなければならない。まだ、娘を一人だけにはできないから。おかげでロボットみたいに定期的に起きて、散歩にいくという習慣が出来上がった。
これも、2020年で得た一つの『いい習慣』だったように思っている。
元旦の今日も、さっそく朝イチで歩いてきました!元気!
『ライフスタイル』にも大きな変化
「働き方改革」が叫ばれて久しい。
が、これをいろんなところで声高に叫ばれているのが、ぼくはどうにも納得がいかない。
というのも、「働き方」って、あくまでスタイルの話だから、本来は大した話ではないと思っている。
「出社する」も「リモート」も、もっと言えば「定時で帰る」も「深夜残業する」も「休日働く」も、本来なら“自分で選べる”ようにすればいい、というのがずーっと持論だったから。国を上げてやるような話ではない。
必要なのは、働く意識改革ですからね。
そんな中、“コロナを利用して”もう一つ大きな変化を得たのが、これ。
『ふくしまテレワーク』で、“旅して働く”が実現
福島県の施策で10月からスタートした補助金事業「ふくしまテレワーク」を仲良くしている地元の社長さんから教えてもらい、さっそく申請することにした。
会社単位では到底許可が降りない話。だけれど、ぼくが1on1などでずっと『地元Uターン』の想いを伝えていた上司が、この件すぐに理解を示してくれて、『出向者』ということで、特別に期間限定で送り出してくれた。
これには、本当にびっくりしたし、上司に感謝している。だからこそ、単に「ワーケーションしてきました!」では個人的に済ませたくない案件だと思っている。
「旅をすること」が目的ではないのだから、当たり前だ。
家族にも、とても感謝をしている。
妻と娘と離れて、家を留守にしている。平日4日の家事育児を妻に任せて、福島で生活するわけなのだ。何らかの『成果物』を持って帰らないといけないと思っている。
そして今でもそれは、継続中だ。
昨年の11月中頃から、今月1月末までのおよそ2ヶ月半。
ある程度、この先の道筋は見えてきた。
それ以上に、ものすごい量のインプットと思考がある時間になっている。やはり、『アイデアは移動距離に比例する』というのは真意を突いている。
自分でも一番意外だったのは、思いの外このライフスタイルに自分がフィットしているとわかったこと。
その日の宿さえ決まっていれば、わりと遠くまで行けてしまうし、次の日以降のことはその日中に、なんとか延泊交渉をするなり、次の候補地を探すなりすればいい、という思考。なかなか図太い。
常に移動することで身体的な疲労感もあるかと思ったけれど、それほどでもなかった。
それ以上に各地のいろんな人に会い、絶えずインプットとアウトプットの新陳代謝をあげること、美味しいものをちゃんと食べて、無理せずしっかり寝て、朝の散歩をするなど、『基本的な生活習慣』や『体調管理』を今まで以上に励行するようになった。つまりは、動かないでじっとしている時よりも、心身共に健康になった。
かなりのスピード感を持って迎えた年末は、それそのままの勢いで走り切って仕事納めまで行った。このライフスタイルは単なる「働き方改革」なんていう生優しいものではない。自分の未来を賭けた本気の『生活実験』だと思っている。
むしろ、そのくらいの気概で生きていたいよね、いつも。
さて、ようやく2021年の話
ぼくが読者だったら、「長いな」と思ってここまで読んでないかもしれないし、むしろ昔話はいいから…と目次からここに飛んできているかもしれない。でも、それでもいい、書き残して置きたかった。
さて、先にお伝えしておくと、今年は多分早い段階で「大異動」があると思っています。
仕事なのか、生活なのか。それは今月一月の結果にもよるかもしれないけど、個人的には本当にワクワクしている状態が続いている。
そうした思考の結果や未来の話については、今回新たにタイトルをリニューアルした『生活考。』に綴じ込んでいこうと思っています。
もしこうした活動や、その後の動向を追体験したいという方は、こちらをご購読くださいね。個人的にコメントで意見などももらえると自分自身の振り返りにもなるので、今後の参考にさせていただきます。
このマガジンは元々、2019年にぼくが『珈琲店』を生業にしようと思った時に立ち上げて、その都度、思考の経過を綴っていきたいと思っていたもの。
マガジンは『1,000円』と少しお高く感じるかも知れませんが、コレ『一回買い切り型』なので、「単発」で買うよりもお得だし、更新したらそれがそのまま反映されていくので良いかと思っています。
ぼくは、自分が買ったりして、一番購読しやすい人の形を真似してこのスタイルに落ち着きました。どんなものも、まずは自分がやってみて試すというのは基本スタイルです。
noteでの発信は、今年で3年目
このnoteでの発信も一日ずつの積み重ねでここまできました。
2019年の12月、ふと娘の誕生日に「やってみるか!」ではじめた生活日記。そこから、自分なりのやり方で無理なく、続けられる形を選んできました。今年も3年目だし、『1,000日』という遠かった目標も射程圏内なので、健康無事で1日を積み重ねていけるように、大切に育てていこうと思っています。
続けることは、『誠意』であり『至誠』だ。
その人の『生きる姿勢』でもある。
やがてそれは『信用』になる。
言い続けること、やり続けること。
そしてそれを発信し続けることで『証』を残す。
そういう気持ちでこれまでもやってきましたし、これからもやっていきます。基本的な仕様はそんな感じで。基本的には前向きに。健康第一で。
2021年は大きく歩みを進める一年になると思います。
これからも、どうぞよろしくお願いします。
*
[12月12日~18日の日記]
この週は、カラオケ明けの土曜日から始まって、週明け東京、娘と共に、水曜からは福島の土湯温泉にてワーケーション。旅をしながら働くスタイルに娘を帯同して、どのくらいできるのかを実験運用してみました。
結論、結構できました。
それでは見ていきましょう!
12月12日(土)
まずは、金曜日の浅草で、ガラガラの街でカラオケ納めをしてきた明くる朝。喉は疲弊しているものの、気持ち的にスッキリしたところの方が大きくて、やっぱり「歌う」は大事なアクティビティなんだな、と実感する。
朝、7寺半頃に起きて、ゆっくりと近所を散歩。この日は妻の方に予定があるので、それを優先し、基本的にはお留守番をしていた日。
散歩の帰り道に、カツサンドとサラダを買って帰って、妻と半分こして食べる。土日の散歩からのセブンで買い物するのは、結構スムーズに充実した朝ごはんを食べられるから好きかも知れない。
文字通り「ゆっくり」していた土曜日。手帳を見返すと、いろいろと考える時間も取れていたようで、昨年からnoteで書いてきた、マガジン「珈琲考。」のタイトルを変えようか…なんていうメモをしてる。この頃から、少しずつその着想があったんだと今、知った。
で、少し前にタイトルだけ改変したマガジンがこちら!
ちなみに写真は、実家の会津で散歩中に撮った「山」と「田んぼ」と「木」と「お墓」の構図がバランスよく撮れたもの。こういうなんでもない風景の重なりを納めていきたいのです。2021年は、写真もしっかりとやっていきたいですね。「カメラ」ではなく「写真」をね。
生活を記録に残すことを、しっかりと。
12月13日(日)
8時半に起床し、散歩に出る。妻と交互に外に出てくる。
家に戻ってきてからはnoteを読んだり、書いたりする。
しかしまぁ、2020年もよくnoteを使っていたなぁと思う。
実は過去に、「note社に転職しよう」と考えていた時期もあって、そういう時にぼくはまず「とにかく飽きるまで使ってみよう!」という思考になる。
「ほぼ日」についても同じ発想なのだけど、まずは、ユーザーで愛せるものを作っている会社かどうか?をとても重視する。で、結果的に2年以上に渡って、毎日更新する生活に欠かせないツールになった。
結局、別件で諸々やることが多くなって、今の状況に至っているものの、ゆくゆくは、「note社」とは仕事でご一緒したいなとは思っていて、「ほぼ日」とも同様のことを考えている。
好きなものは、逆立ちしてもやっぱり好きなんだよな。
たまに、猛烈に「逗子に行きたい」って思いが炸裂する。この日がまさにそうで、そういう時、逗子に住んでる友人にすぐLINEで連絡をとる。そうして、自分の気持ちをなだめて、バランスをとる。
新年早々に行ってこようとは思っている。逗子、行きたい。
お昼は、映画に行った妻と、留守番部隊のぼくと娘が中間地点の桜台で行きつけの中華レストランで待ち合わせして、一緒にご飯を食べる。妻が地元なので顔馴染みでリラックスしていられるお店。地元にこういうお店があるといい。
ぼくは瓶ビールと牡蠣の炒め物とチャーハンを食べる。たまに食べたくなるちょっと濃い味。
その後は、妻と入れ替わって、ぼくが近くの銭湯に行きサウナに入ってくる。かなりととのう、いい感じ。こういうちょっとした息抜きの時間やアクティビティをいくつか持っていたい、常に。
夜は、白菜と残っていた豚肉で鍋を作った。無論、美味しくできた。
12月14日(月)
6時45分に起床した月曜日。妻の出社時間までに散歩を終えるため、少しペースを早めて、ラジオ体操も抜きにして帰宅。それでも十分、いつものコースは回ってこれる。
朝ごはんに、前日の残り汁に「喜多方ラーメン」を突っ込んで、美味しくいただく。それと、長野の「わざわざ」で買ったシュトーレンを二、三切れ食べて、コーヒーを飲む。うまい。最高に決まる。
月火の二日間は出社にしていたので、そこでしかできない作業をする。
お昼は、チームの同僚と一緒におしゃべりしながら、アトレ恵比寿のレストランへ。前は週一で通っていたサラダの美味しいお店。ここでもなお、大盛りのサラダを食べる。友人は、パスタの大盛りか何かを注文。
お互いに趣味が高じて、費用が嵩んでいるから、「事業化」した方がお得だよね、という話をする。本当にそう。個人事業の届出を考えているので、これをきっかけに少し本を読んでみようと思った。
すぐ行動するのが自分の強み。
夜は、ご飯に、焼きサバ、白菜と卵のお味噌汁。ありもの料理がすごく上手な妻です。
12月15日(火)
6時起床。年内出社最終日。あとは全部リモートの予定。
オフィスでできる作業を全て終わらせてこないと、な一日。と言ってもそんんなにあるわけでもない。
朝は、普通に散歩をして、帰ってきておにぎりとコーヒーで朝ごはん。
体重も計って特に変化なし。よく食べて、よく運動している。
昼は、いつものイタリアンでパスタを食べる。おじさんコンビに、「年内最後になります」「来年もどうぞよろしく」と早めの挨拶を交わす。
夜は、ご飯に味噌汁、豚バラ大根で夕飯。
12月16日(水)
6時半に起床して、散歩。
朝ごはんは納豆と豚バラ大根残りを片付ける。
この日は、有給をとって1日移動日にしていた。娘を連れて朝一移動してから、通常業務はさすがに無理があると思ったので、正解だった。
東京から郡山へ新幹線で移動。娘はだいぶしっかりとしてきて、自分の着替えなどをリュックに詰めてこられるようになった。たまに疲れた感じにはなるけれど「一緒に旅ができるかもな」と思ったりした。
娘と、海外二人旅とか行きたい。
移動時に食べた「シウマイ弁当」でお昼ご飯。
郡山に着くと、雪も降ってきたりしていて、娘は初雪を見れてとても大喜び。そのまま母と待ち合わせして、娘を預ける。
個人でオフィスを借りている「ブルーバード」に行き、ちょっと別件のミーティングもできたりして、思った以上に収穫があった日。たのしみ。
ホットのチャイを飲む。
夕方くらいに母の運転で娘と3人福島の土湯温泉「YUMORI」へ移動。途中コンビニでお惣菜などを買い込む。
チェックインして、温泉に浸かって買ってきた夕飯を食べて、この日は就寝。
12月17日(木)
7時頃に起床。
旅先では、しっかりと目覚める。よく寝れた、温泉はやっぱりいい。
朝からしっかりとドカ雪で、宿から長靴を借りて散歩に出るも、10分くらいぐるっと回って帰ってくる。さすがにこの雪は想定してなかった。
この日は1日、ずっと降り続けて、結局12月では記録的な雪となったらしい。福島市はそもそもそんなに雪が降らない街だから、市街地は余計に大変そう。
朝ごはんは予約していた発酵食プレートをいただき、娘も喜んで食べた。
母に娘をまかせつつ、ぼくは日中は業務にかかる。安心して作業に集中でき、この日のやれることは全部こなせた。母はつよし。
昼ごはんは、近くの飲食店が休みが多かったので、別の旅館のレストランで豚の生姜焼きを食べた。前も使ったことがあるけど、美味しいお店だった。
夕方に、娘と母が会津に戻ることになっており、娘は「おばあちゃんと行く」とついて行くことに。高速でゆっくりと時間をかけて到着したみたい。無事で何より。
夜まで作業をして、この日は、夜だけ開けていた「みらく」へ。前も連日通ったけれど、餃子の有名な美味しいお店。瓶ビールと熱燗、おつまみや餃子で美味しく夕飯を食べて、やどで用意してくれた「貸し切り風呂」に入らせてもらう。
母と娘がいたら、二人共喜んだと思いつつ、すごくいい温泉を一人優雅に味わう。今度また、妻も連れてみんなで来よう。
23時頃就寝。
12月18日(金)
この日も朝から、散歩に出るも長靴を借りないと歩けないくらい。朝一でお風呂にも入って、温まってから、いつもの朝食をいただき、その後作業。
お昼の時間を利用して福島市に移動し、県庁に挨拶。ふくしまテレワークの状況を誰に言われるでもなく、報告に行く。こういうのすごく大事。
県庁や担当課にもしっかり顔を憶えてもらいつつ、新しい補助金や支援金の話なども教えてもらう。ネットで探すよりも、地方はこういう方がいい話が聞けるのは、楽天時代に経験済み。今回もいい時間だった。
担当課の方もすごく熱心で思いのある方々だった。
県庁が終わり、ちょっと知り合いのお店に寄り道して、ハンバーグ定食をいただく。少し店主とお話をしつつ、福島の現状を聞いたりなどする。
15時目処で会津の高校に約束をしていたので、まずは福島駅から郡山へ移動は新幹線。その後、磐越西線に乗り換えて、会津へ。
時間的にもギリギリだったので、やむなくタクシーを使う。なるべく歩く時間を作りたいのだけど、遅刻はできないので。
葵高校という会津の元は女子校にて、打ち合わせ。美術の先生を紹介いただき、ついでに生徒さんを何人か紹介してもらいつつ、仕事の話をする。
こういう仕事と地域のクロスオーバーがとても心地よいし、やりがいがある。少しでも若い世代に、自分のやっている仕事を伝えていきたいと思っている。
それが終わると外はもうすっかり暗くて、しかも雪。
実家に帰る方向の最終のバスに乗り込んで、帰宅。実家で出た野菜たっぷりの鍋がとても胃袋にしみた。
移動距離がすごいあったけど、なかなか充実した1日。
今週は、以上!
ぼくも誰かの応援をしようと思います!