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【薬屋のひとりごと】なぜ猫猫は毒が好きなのか?ー死の誘惑との関係ー
猫猫はなぜ毒や死に惹かれるのか?「死ぬなら毒がいい」と語り、死体の上でキノコ狩りをして興奮する彼女は、本当に死の誘惑に囚われているのか?それとも、彼女が見つめているのは死の先にある“変化”なのか?
1. 猫猫と死の誘惑 ― 彼女はタナトスに囚われているのか?
1-1. 死体の上でキノコ狩りを楽しんでいたことに興奮する猫猫
猫猫は壬氏の命により、「毒キノコの調査」という名目でキノコ狩りを楽しんでいた。しかし、その後になって、自分が立っていた場所の下には死体が埋まっていたと知る。
死体を養分に育ったかもしれないキノコを採っていたなど、普通の人なら恐れ、忌避する場面だ。しかし猫猫は、まるで面白い発見をしたかのように興奮し、壬氏の前だということを忘れてはしゃいでしまう。
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©日向夏・イマジカインフォス/「薬屋のひとりごと」製作委員会
猫猫はこれまでも、毒へのこだわりを見せてきた。
・「もし私を処刑する場合、毒殺にしていただけませんか?」
・「どうせならフグがいいな〜。内臓をうまくスープに忍ばせて……。あの舌先が痺れる感じがたまらないんだよな〜」
・毒や薬の実験でただれた皮膚を隠すため、常に包帯が巻かれている左腕
いくら毒と薬に執着があるド変態の趣味とはいえ、あまりにも行き過ぎではないか?猫猫の行動の根底には、もしかしたら「タナトス(死の欲動)」が潜んでいるのかもしれないと思わざるを得ないほどだ。
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©日向夏・イマジカインフォス/「薬屋のひとりごと」製作委員会
そこで本記事では、猫猫の毒への執着がタナトスから来ているのかどうか考えてみたい。
タナトスは、簡単に一言で言えば死ぬことへの誘惑であり、死そのものを神格化した神です。
2. 猫猫の毒への執着とタナトスの関係
2-1. 「あの舌先がしびれる感じがいいんだよなぁ」 ― 毒と快楽
猫猫が「死」に無関心ではないことは、これまでも幾度となく見られた。
先にも述べたが、彼女は「死ぬなら毒がいい」と言い、フグの毒で死ぬ自分を想像して、憧れに似た表情を浮かべる。そのとき彼女は、「あの舌先がしびれる感じがいいんだよなぁ」と、毒そのものがもたらす感覚を楽しむように呟いた。
また、園遊会の毒味では、毒を口に含んだ瞬間、恍惚の表情を浮かべている。まるで、毒が自分の中に広がる感覚を味わい、それに魅了されるかのように。
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2-2. 猫猫は死に惹かれているのか? ― タナトスとの関係
猫猫の職業は毒味役であり、彼女は常に死と隣り合わせにいる。それでも彼女は怯えることなく、むしろ「毒による変化」「死に至るプロセス」に興味を持ち続けている。
また猫猫は花街の生まれであり、華やかな表舞台の裏の顔を知っている。妓女は若くて健康で人気がある時は良いが、梅毒に犯されたり、妊娠したり、人気を失ったりすると、離れにいわば幽閉され、死を待つだけの存在となる。
さらに、この時代の生まれによる身分の低さは、上流階級に位置する人間の一言で命が吹き飛ぶ。それほどまでに軽い。
このように、猫猫にとって「死」は非常に身近なもので、日常的にその辺に転がっているものだ。ゆえに、彼女は「自分はいつ死んでもおかしくない」と思っているに違いない。
ならば、「死に方ぐらいは選び取りたい。最期は愛する毒で。」と思っていても不思議ではない。これは、諦めの境地にも見えるが、しかし同時に、毒で死ぬことへの憧れにも見える。
つまり、彼女は死を忌避するだけでなく、タナトスに突き動かされ、死そのものに惹かれているようにも思えるのだ。
3. 人の死体から生えたキノコ
3-1. 生命の循環と、猫猫の疑問
死体が埋まった土の上でキノコ狩りを楽しんでいたことを嬉しそうに話す猫猫を見て、壬氏は軽蔑のまなざしを向ける。当然、猫猫が採ってきた数々のキノコは没収だ。
壬氏にとってみれば、死体を養分に育ったキノコを研究することなど、「死者への冒涜」に値するのだろう。一般的にはそれが普通である。
しかし、猫猫は「純粋な好奇心なのに~」と悔しがる。
そのとき、没収されたキノコのうち一つがこぼれ落ちた。
猫猫はそれをじっと見つめながら、静かに呟く。
「死体から生えるキノコか…。あるとすれば、どんな姿で、どんな効能があるのだろう…」
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©日向夏・イマジカインフォス/「薬屋のひとりごと」製作委員会
このセリフをよく咀嚼してみれば、彼女の興味は死そのものではなく、死が生へと変化するプロセスにあることを示してはいないだろうか。
冬虫夏草は、虫の亡骸を苗床にしたキノコだ。それは、不老長寿の秘薬と言われるほど、体に良い影響を与えると言われている。ならば、「忌むべきものとされる人の死体は、どんな効能のキノコを生すのか?」。
そんなことは、死そのものに惹かれている者は想像もしまい。
「死」という生命の終わりが「生」という生命の始まりを生む、自然界の循環の不思議。人間が、処刑されたのだろうと自殺だろうと、失恋で命を絶とうと孤独で餓死したのだろうと、人間の思いや死に至る過程とはまったく関係なく、その死体には等しく、同じ姿・同じ効能のキノコが生えるのである。
人の情動と自然の冷たさ…この対比の不思議さに、猫猫は囚われているのではないだろうか?
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©日向夏・イマジカインフォス/「薬屋のひとりごと」製作委員会
すなわち、猫猫の「死」への憧れは、タナトス的な破滅願望とは異なる。猫猫は、死そのものに憧れているのではなく、死が変化し、新たな生へと繋がることの不思議さに心を奪われているのだ。
タナトスに囚われた者は、死へと引き寄せられる。しかし猫猫が見つめているのは、「死が終わりではなく、何か新しいものを生む」という事実そのものだ。
4. 生命の循環の神秘と残酷さ
死は、消滅ではない。変化だ。腐敗は、新たな生命を育むための過程であり、死者は土へと還り、別の形で生まれ変わる。
猫猫が毒に興味を持つのも、死体の上でキノコ狩りをしていたことに興奮するのも、すべては「死の向こう側にある未知」を知りたいという衝動から生まれている。
猫猫の興味は、死そのものではなく、「生と死の境界が交差する瞬間」にあるのだ。だからこそ彼女は、死の誘惑に囚われることなく、冷静にそれを見つめ続ける。
毒も、死も、そして死体から生まれるキノコも――それらはすべて、生命の流れの中で形を変えながら続いていく。
猫猫はタナトスに惹かれているのではない。彼女が見つめているのは、死を超えた先に広がる“変化”なのだから。
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