のちに広報の仕事で起業することになる「広報になりたくなかった」新卒の話
先日、新卒でお世話になった会社の代表からメッセージが届いた。
「こんにちは、福岡楽しんでそうですね。この間、宮崎の女性3人が組織化をしたいと話していて。そのロールモデルが『ふたり広報』と聞いてちょっと誇らしかったです」と。
このメッセージを読んで、嬉しかったことが2つある。
ひとつは自分自身ではなく、私が運営しているフリーランス広報ユニット「ふたり広報」の“チーム”をロールモデルと感じていただけたこと。
もうひとつは、代表が「広報」として起業した私を少しでも誇りに感じて、認めてくれたことである。
なぜなら、新卒の頃、広報を軸に起業することになるなんて、微塵も思っていなかっただけでなく、なりたいとさえ思っていなかったからだ。
広報になった後も「自分には向いていない」と、1年近く悩み続けた。
そんな私が、なぜ広報になって“しまった”のか。
春の空気に後押しされて、自分の新卒時代の出来事を振り返ってみたいと思う。
22歳、まちづくりの会社に新卒で入社
2016年4月、私はまちづくりを手がける「UDS株式会社」に新卒で入社した。初めて同期12人全員と顔を合わせた瞬間だった。
私は4年制の文系大学を卒業したばかりの22歳だった。しかし、周りの同期は、3分の1ほどが建築科の大学院卒で、長期留学の経験を持つメンバーも多かったので、実際の年齢もまとう雰囲気も、自分より何倍も大人に見えた。
一般的な就活解禁時期より早く内定をもらい、インターンも経験していたので、社会人として働くことはとても楽しみだった。
入社式の翌日からは、早速1ヶ月の新卒研修がスタートする。と言っても、大手企業のような外部講師を招く、きっちりしたビジネス研修が組まれるわけではない。
役員の時間だけが押さえられており、自分たちで質問を考えて各事業内容を理解したり、運営するホテルの現場に派遣され、ベッドメイキングや接客をしたりなど、かなり放置プレイ…いやいや実践的な研修だった。(マナー研修は「本を読んで、自分たちでロールプレイまでしておいてね!」と人事に元気に言われた)
そして、入社1ヶ月後には、新卒研修の集大成となる「配属希望プレゼン」があるという。企画・設計・運営の各部署の仕事を体験し、新卒が自分自身で、どの部署でどんなことをしたいのかを発表するのだ。
企画職への憧れ。だが、ポジションに空きはない
研修を受ける前の私は、具体的な業務についてほぼイメージを持っておらず、キャリアパスなんて全く想像がついていなかった。
当時大学生で、就活イベントに参加していた私を見て声をかけてくれた先輩は、経営企画部の広報担当だったので、なんとなく広報配属かなと思いつつ、私は企画職に憧れを抱いていた。
朝から晩まで研修に追われ、社会人としての洗礼を受けた1ヶ月間を終え、プレゼン当日を迎えた。
プレゼンは、配属を決める会長、代表、役員、研修を担当した人事のほか、業務時間中の先輩も聞きにくる。
専門分野を学んで入社し、設計や運営を志望していたメンバーは、意志が揺らぐことなく、まっすぐに希望する部署への想いを伝えていた。
対して、企画職を希望するメンバーは、それぞれが不安を抱えていた。なぜなら全員企画・全員営業のマインドが浸透しており、企画ポジションに“空き”があるわけではないからだ。その中でも事業企画やホテル開発を担当するのは、狭き門だった。
私は無謀にも、企画職に手を挙げることにした。
順当にいけば、広報になるのだろうが、特に専門性のない文系の新卒が不動産の企画に携われるチャンスはそうそう巡ってこない。この会社ならではのチャレンジをするなら「企画」だと考えた。
実際に事業部の話も聞き、企画がコアにあり、そこから設計・施工を経て、運営につながっていくこともわかった。場所の選定から収支計画、コンセプトに至るまで、企画力があれば事業を”つくる”ことができる。
「企画という響きがかっこいい」「なんとなくクリエイティブそう!」みたいな浅い動機も少なからずあったと思う。それでも当時の自分なりに、企画と広報のキャリアを天秤にかけて、真剣に考えた。
経験やスキルが足りていない自覚。それでも・・・
同じく手を上げていたのは、慶應SFCで都市計画を学んでいて大手スタートアップからも内定が出ていた優秀な同期や、北欧出身で東北大学に留学経験があるマルチリンガルの同期で、自分に経験やスキルが足りていないことは自覚していた。それでも…。
ドキドキしながら、自分の番を待ち、ついにその時が来た。
「私が希望するのは、ホテル事業開発部です!」
そう言って理由を述べた。
この1ヶ月で体験して感じたこと、異文化理解やSNS発信など、これからの場づくりに必要な強みを持っていることなど。
希望先は第二希望まで発表することになっていたが、第一希望しか言わなかった。第二希望で「広報」を出したら、間違いなく広報に配属されることがわかっていたから。
プレゼンを終えると、少し離れた先に座っていたメンターの上司が呆れて笑っていた。直前に資料から第二希望を抜いたからだ。
同じく企画職希望で、仲の良かった同期は「中国の子会社」への配属を希望した。新卒で、中国に駐在するなんて、異例だ。
でも、彼女の本気度が伝わってくるプレゼンだった。同期みんなのプレゼンを、仕事への想いを、純粋にかっこいいと思った。
配属発表。後悔はなかった
全員のプレゼンが終わると、30分ほど別室で役員陣だけの会議が行われる。そこで、プレゼン内容を踏まえた最終的な配属先が決まるのだ。
予定より長引いている。心が落ち着かないままでいると、「議論に時間がかかり、お待たせしました…!」と言って、配属発表が始まった。
第一希望に配属が決まった同期の安堵した顔を見ると、自分も嬉しくなる。
同期の半数以上は、涙したのではないかと思うくらい、毎日必死で自分に向き合ってきたのだ。
そして、自分の番がきた。
「配属先は、広報です!」
先ほど笑顔を浮かべていた、経営企画部の役員が「来たくないかもだけど(笑)」と言いながら、配属結果を渡してくれた。
決死のプレゼンで高揚していた気持ちが、「やっぱりだめだったか」と現実に引き戻される。前向きな表情で受け取りたかったけれど、悔しさが残っていたと思う。
「企画と名乗れるようになれるのは、何年後だろう」と、始まったばかりの社会人生活を不安に思った。
他の企画希望者は見事そのポジションを勝ち取り、中国配属を希望した同期は、無事後日、正式に中国行きが決まった。
自分にとっては、いきなりの挫折だった。でも、役員全員を前にして、やりたいことを思いっきり伝えたこと自体に後悔はない。
希望部署の役員には、「本当に来てほしいと思った。いまは教育体制が整っていないから、また数年後に仕事をしましょう」という言葉をもらった。代表にも「広報からがんばっていこう!」と励まされ、企画職への憧れを抱いたまま私の広報キャリアがスタートした。
「広報に向いていない」宣言
広報に配属されてからもいくつかの壁にぶつかった。
まず、部署には新卒どころか年齢が近い先輩が誰もおらず、右も左もわかっていない私は、ビジネスマナーから叩き直されることになる。
さらには、入社の決め手となった広報の先輩に、入社数ヶ月であっさり「産休に入るからまたね〜!」と笑顔で言われて泣いた。(そんな自由なところが大好きだけど)
そして、社員全員分(当時100名程度)の誕生日にメッセージを送るバースデーメールや、東北から沖縄までいるメンバーのインタビュー記事作成、10拠点以上の納会の企画・運営など、人見知りな私にとって発狂しそうなミッションがいくつも下された。
特に、普段の業務で接点がない拠点メンバーの取材は、心理的負担が大きかった。みんな忙しいので、ビクビクしながら拠点を訪れ、「すみません」と謝りながら話を聞いてまわった。
配属後、2ヶ月ほどで音を上げて、「私、広報に向いていないと思うんですが…」とストレートに上司に相談したこともある。
向いてるかどうかを判断するのは早いから、「とりあえずコミュニケーションも仕事だと思ってやるしかない」という返答で、さらに涙目だった。だが同時に、このタフな先輩たちに囲まれて生きていくしかないと腹を括った瞬間でもあった。
という感じで、「なんで私が広報に…」と思いながら、目の前の仕事に必死で食らいつく日々だった。
1年後に届いた、たくさんの感謝のメッセージ
そんなドタバタの日々を過ごし、気がつけば広報になってから1年が経とうとしていた。
当時の会社には、1年の締めくくりとして、社内で匿名で感謝のメッセージを送りあい、それを1冊の本にまとめた「サンクスブック」をつくる恒例行事があり、メイン担当を任された。
ひとり5通程度×100人以上のメッセージを手打ちで入稿していく作業には心が折れたけれど、普段見えないメンバー同士の感謝のメッセージには心が熱くなる。
そして、働き始めて間もない自分宛にも、いろいろな部署の先輩から労いの言葉や、感謝の言葉がたくさん届いて、自分の仕事を肯定することができた。
そして今。巡り巡って、広報の会社で起業している自分がいる。
広報は、企画のようにアイデアを生み出す仕事ではない。
広報は、企画のように売上をつくる仕事ではない。
そんな風に、広報の仕事の可能性に制限をかけていたのは自分だったと気づく。広報の仕事にもアイデアは活かせるし、広報が売上に貢献することだってできる。
どんな仕事も制限を決めずにやってみれば、いろいろな仕事とのつながりが見えてくる。今の仕事を積み重ねれば、やりたかった仕事のすぐ側まで、たどり着けるかもしれない。
今やりたいことがあるなら、声に出そう。すぐには叶わないかもしれないけれど。
まだ何も持たないあなたの挑戦を見守ってくれる人は、必ずいる。
あっという間に社会人8年目を迎えたけれど、私の広報キャリアは、あの広報を希望しなかった、プレゼンから始まったことを忘れたくない。
読んでいただき、ありがとうございます!サポートは、お疲れさまのビールとして美味しくいただきます🍻