「夜空はいつでも最高密度の青色だ」
はじめて詩集というものに触れた。twitterでいくつかの文を見る機会があって、最果タヒという詩人を知った。
はじめの印象は、絶望を与えてくれる存在だった。どうしてかわからないけど無責任な希望を与える現実に対して、絶望を与えてくれる詩は、わたしにとって共感的で、唯一寄り添ってくれる存在だと思えた。
詩集を読んでから、わたしという人間の存在とか、愛とか、死生観について、最果タヒの視点もくわえた多角的な理解ができた気がする。
でも、今まで読んだどんな本よりも難しかった。自分でもこんなに理解できないとは思ってなかった。
あとがきにもあるように、自分の経験と合わせた解釈をすることが勧められている詩なんだと思う。
正解は著者にしかなくて、だけど、わたしが正解を作ってもいいような、そんな詩だと思った。
あとから何度も読み返してみて気づいたけど、読む度にぼんやりしてた解像度が鮮明になったり、がらっと見方が変わったりした。
言葉を咀嚼して、咀嚼して、噛んで理解したはずの言葉が明日には意味を変えてわたしの目の前に現れているから、文学はむずかしい。
学校の図書館で借りたけど、お布団の横にずっと置いておきたい本だと思った。この本をわたしだけのものにしたいと思える作品だった。
だれかを愛したあと、ひとりで生きてるとき、おくすりを飲んだあと、愛されなかったとき、賢くなったとき、いろんなわたしが読んだら違う解釈ができるのかなって、すこし楽しみにしてる。まだ読み終わってないってことだよ。
今までのわたしは、夜空の色は黒だって、思って疑わなかった。夜って暗くて怖いし。だけど、夜空をよく見ると黒とは表現し難い藍色のようななにかが含まれていることに気づいた。
写真の中に収めてもなんだか違うし、色辞典を引いてもいまいちしっくりこない。肉眼で見てこそ感じられる「それ」こそが、夜空の色なんだと思う。
ほら、青空が照らされて映るものだとしたら、太陽が沈んだ後の空はもともと青かったものじゃん。
わたしは物理的なことにはからっきしだし(理系なのに)、著者が言いたかったこともそうだとは思わないけど、ひとつの「最高密度の青色」の解釈としてここに記しておきます。
普段生活して、表現しているわたしたちを青空とするなら、わたしたちの内面とか、純粋な気持ちとか、産まれた時から変わらないものが夜空なのかもしれないと思った。
都会をすきになった瞬間、その夜空は照らされてネオンが割り込んで美しく輝く。失われてしまうんだね
星みたいに輝く光がその人が産まれもつ才能や将来の選択肢で、それをきみは羨ましいと思った。星が死んだって、そのことに誰も気づかない。星はなにも知らないようにきらきら輝いている。
それこそが「最高密度の青色」だ、っていいたい。
子どものころは、誰より輝けると思っていました。幼稚園の卒園アルバムに書いてある将来の夢はアイドルでした。小学生のときは、ロックバンドとか、実況者とか、小説家とか、野球選手とか、いろんな夢に希望をもっていました。
中学生、高校生になって、星の光がどんどん輝きを失っていきました。大人になって、夜空を見ることが増えました。
夜空は怖いから目を背けてもいいけど、夜空に向き合ってる人はきっと強くなれるんじゃないか、って思います。
永遠に続くものは冗長です。どんなに深く愛していても、いつかあきが来る。飽きてしまって、空きを埋めようとする。
好きなところも嫌いなところも知ってしまって、好きでも嫌いでもない存在になる。
そうと分かっているなら、長くみんなに悲しまれるのだから、早く死んでしまう方がいいでしょう。そうして、誰かの記憶の中で永遠に生き続けるのです、美しいまま。
死はいつだって美しい。自死なら特に素晴らしい。バイクで日本一周したあと自殺した人も、ツイキャスで自殺配信をした人も、いちばん美しいまま死ねるなんて、いちばん綺麗なハッピーエンドだと思う。
わたしは綺麗な藍白色をした言葉がだいすきです。その美しい言葉を使うに値する人を羨ましく思います。19年間生きてきた中で染み付いたわたしという自己が、心の中のわたしを苦しめます。
わたしはわたしが大嫌いです。
こうして言葉で表現することでしか、わたしがわたしであることを認められません。
わたしは、短い永遠の中に生きていて、近いうちに寿命がくるのだろうと思います。それまでの間、わたしが生きた証をきみに覚えていてほしいです。
記憶が薄れてしまっても、あなたの心の成分になれたら嬉しく思います。
ここまで読んでくれてありがとうございました。
noteといっしょにTwitter:@EBF_6F7も始めたので、ぜひ繋がってください。ここまで読んだってことはぜったいわたしのこと好きでしょ
またね。
藍白/2022.11.14