未来へのメッセージ
今、働いていることが不思議に思います
14歳の冬から保健室登校になり
後に不登校と精神科を受診することに
基本的に外出は出来ない、したくない、無理、
部屋もカーテンを締め切って真っ暗闇にしていた
そういった真っ暗闇で孤独な空間が自分の人生と同じなんだ
私はもう光や希望なんていらないよ
だって光は手で掴めないし、希望はどうせ裏切るじゃないか
手に入らないなら、裏切られるのなら、望まない
家族も主治医も優しかったけど心は寂しくて、苦しくて、叫びたい、
泣きたいのに、思うように涙も流れなくなってきた
ほらね、世界から、神様から、見放されてるよ
当時はマイナス思考、ネガティヴ思考というより
あまり物事をとらえることが出来ませんでした
目に映るものすら信じない
見えないものはもっと信じられない
だから寂しかった、孤独だった、どうにか現状から脱出したかった
でももがけばもがくほど苦しみにはまり
死ぬほど疲れるだけ
そして真っ暗闇な部屋で夜は起きて、朝の時間になると
死んだように眠り続けました
人ってすがるものや、かけらの希望がないと
生きてるのか、死んでるのか、分からないのかも
そんなことをボンヤリ考える毎日…
***
こんな人生なのに今必死で働いているのは
亡くなった母を家族の中で
一番多く側で見ていたからです
母は私の何倍も何倍も生きることを諦めず
生きることを望んでいました
だけど体の病気がその望みを
叶えさせてはくれなかった
母を亡くしたとき20歳でした
どうしようか、これからどうすべきか、
たくさん悩み頭に浮かんだのは
ちゃんと生きよう
私が泣いてばかりなんて
お母さんは少しも望んではいないよ
そこから真っ直ぐ変われたわけではありません
病気は壁になり、長く引きこもっていたのも壁でした
鬱から躁になると「無敵でなんでも出来る!!!」
ハイテンションにも多々なり
後でまた落ち込みましたね
ただ病気に負けたくない気持ちは消えませんでした
なぜなら母からの最後の課題だと思うことがこちら
生きられる可能性が1%でもあるのなら
頑張ってみなさい
失敗してもいい、間違えてもいい、
だから諦めないで、納得いくまで、
愛音の思う形でやってごらん
きっと母がこう言っていると心で分かっていたからです
大変でした、今も大変だけど諦めない
だって強い母の娘だもの
きっともう大丈夫、大丈夫だよ
1人で生きていないのは充分に分かる
家族と主治医は今も過去も支えてくれている
職場にも私の努力や苦悩が伝わって
少しずつ認めてくれている
夢や目標がすぐに叶わなくても
それを含めて人生だと分かるようにもなった
神様や世界に見放されたわけではないことも分かった
きっと挑戦の時で、いつか神様に胸を張ってこう言おう
苦しかったとき、死にたかったとき
ホント沢山あったよね
だけどこうして生きてることが
私の人生で最高の誇り
それにお母さんの意志も受け継いでいる
もう自分のことを孤独なんて思わないよ!
この人生と命をくれたこと
ありがとう!!
*愛音*