ひきこもりだった「私」へ
こんにちは、愛音です
「ひきこもり」
不登校になって、部屋のカーテンを全部しめて、電気をつけないで、ひたすら布団の中で体を丸めて呼吸をする生活。
部屋から出るのはトイレ、お腹が空いた時。お風呂は入る気力がなかったので入浴だけを理由で部屋を出ることはなかったです。あと児童相談所での面談の日は部屋を出て母の手を握りしめ、外出していました。
なぜひきこもっていたのか?
私の場合、もう何も出来なかったんです。学校で闘いすぎて、気力ゼロ、だから不登校になりました。家にいればまた元気になるのか、いいえ、そんなに簡単でも単純でもない。
心にできた傷は回復する前にえぐられて、聞こえない悲鳴を上げ、少しその痛みになれる頃またえぐられる、そして悲鳴をあげる。学校にいた時は本当にこのえぐられる、悲鳴、えぐられる、悲鳴の繰り返しで頭も心もおかしくなりました。
授業妨害、教師への反抗心、文字にすればこれだけですが、14歳の私には信じ難い光景が日々繰り広げられていたんです。
だから家にいれば勝手に傷は癒える、というのは幻想もいいところ。癒える傷なら不登校になる前に、ひきこもる前に癒えています。
ひきこもってもなにも問題は解決しない、
そうです。解決しません。ただ悪化もしなかったんです。部屋にいて、布団の中で体を丸めて抱きしめていると自分の呼吸しか聞こえない。ずっと求めていた安らぎがそこにありました。
煩い教室、怒る教師、気にせず好き勝手する生徒、
その現実からやっと、やっと抜け出せたんです。言葉にはしなかったけれど、幸せでした。きっと私はあの時、穏やかな時間を手にしたんです。
えぐられる傷、慣れた頃にまたえぐられる、悲鳴をあげても救われない、そんな現実からやっと布団の中で解放されました。
私はあのひきこもっていた時間は必要だったと思っています。なぜなら、生きていたからです。闘わず、生きられる。安心して呼吸ができる。傷をえぐる出来事もない。それにより誰にも聞こえない悲鳴をあげる必要もない。
確かに問題解決はしません。ただ私はひきこもりを選択して、命を繋いでくれた「私」にありがとうと伝えたい。
死んでしまったら今の私はいません。父と笑いながらする生活も、こうしてnoteで繋がれる皆さんとの時間も、生きてくれたからあるんです。
ひきこもりが問題なんじゃない。
ひきこもりしか選べない状況まで1人で抱えた事のほうが大きな問題。
これは個人的な考えですが、ひきこもることで自身の心を守ってるのだとしたら。私はひきこもりでもいいと思います。大切なものは、譲れないものは守りたい。
布団の中で丸まって、呼吸して、真っ暗な部屋だったけど、そんな私にもこうして未来がある。
頑張ったね。よく護ってくれたね。ありがとう、ありがとう。
「私」が護ってくれたこの体と心を大切にしながら、この先は私が歩くから。ゆっくりお休み、あの時の「私」
*愛音*
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