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コーチの私がコーチングを受けたら、叶う世界の地区長をへて畑を耕すアンパンマンになった
月1で受けているコーチングセッションを、今日も受けました。最近はセッションを受けてから書くまでに時間がかかっていた結果、前回のセッションのことは記事で残せておらず。(音声配信とその文字化はしたので、下に記事を貼っておきます)
今回のセッションのことは、すぐに残さないと!すごく大事なことが立ち現れた!忘れたくない!!!と思ったので、セッションを終えてすぐにnoteを開いています。
というわけで、今回のセッションの記録を、私のためにここに残します。私は信念として「人生をシェアしあうことは豊か」と思っていて、この私の記事が、どなたかの人生のスパイスになったら嬉しいです。
いつも読んでくださるみなさん、本当にありがとうございます!
▼前回の記事
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叶う世界の地区長になった前回のセッション
前回のセッションのことを文字で書けていないのが心残りなので、ここに簡単に振り返りをします。
前回の私は、ここのところの私のキーワードである「叶える」や「お金のブロック」というテーマでセッションが進み、じゃあ本当はどんな人になりたいの? という問いから「叶う世界の地区長になりたい」という言葉が出てきました。
私が憧れるなと思ってSNSを見ている方のひとりが、いつも笑顔で、みんなのお母さんのような方です。この方のことを、周りにいる人たちもきっと好きなんだろうなと思っていて、こんな世界が作れるって素敵だなと憧れています。
でも私は、たとえば実際に子どもを産んだこともないし、比喩とはいえ「お母さん」という存在からは程遠いのです。
じゃあ私らしく言い換えたらどんな存在になるのだろう? とたどった結果、「叶う世界の地区長」という存在にたどり着きました。
しかもこの「叶う世界」を私はもっと広げたいのだ、という願望にも気がつきました。
私はドイツに住んでいるからオフラインの集いはできないけれど、垣根をこえてみんなともっと近くにありたい。そんな願いに気づき、セッション終わりには初めてインスタライブをやってみました。
SNSでの世界の広がりも感じたこの1か月でした。
畑を耕すアンパンマンになった今回のセッション
宇宙のプラクティス
私は最近、こんなWSに参加していました。
楽しい時間でした〜!☺️もっともっと思考を手放して直感とかで生きていきたい😌🪐#宇宙のプラクティス https://t.co/4BeklGEzcf
— aimi💐ドイツに移住したコーチ (@aimi2191) March 25, 2024
これは実は、私の今のコーチが主催するイベント。
このWSで座学や対話によって自分の人生を生きることを学び、このおかげで今日のセッションがすごく耕されました。だからこれを紹介せずには今日のセッションを語れない!と思い紹介します。
ここで受けとった大きな概念は、「ルートに乗る」ということ。「いま私はこのルートに乗っている」と気づき、名前をつけたり意思を入れたり、何が障害になっているけどどうなりたいかを描いたりする。それによって、人はより自分の人生を生きられるようになる、ということだと受けとっています。
このWS中に私がシェアしたのは、2021年頃から始まった愛のルート。大きな失恋から始まり、退職と韓国留学をへて自分と向き合い、帰国の期間では一番身近な他者である家族と向き合い、ドイツに来てからは愛というもので関係していく他者としての恋人と向き合っています。相手に変化はあれど、「愛」に向き合っているルートです。
WSではこのルートをシェアしたけれど、同時に私は思いました。このルートはもともと私が見つけていたもので、ここで「ルートという概念に一致しただけ」なんだよな。しかもこれは私の人生かけて続くもので、たぶん一生変わり映えがないんだよな。もっとイマココのルートはないのかな、と。
そんな体験、いわばセッションとセッションの間に起きた耕しをへて、今日のコーチとの1on1のセッション。今日明らかになったのは、「愛」のルートが私にとって「国道」くらいに大きなものだとしたら、もうひとつ「県道」みたいなルートも横に走っているということでした。
これに名前がついたものが、「畑を耕すアンパンマン」のルートです。
世界が友達同士だと争いは起きない
昔から私が好きなことのひとつに、人と人をつなぐというものがあります。私が就職をした頃、大学のあった京都から実家のある高知に引き上げて、その後は高知に4年間住みました。この時の体験が特に思い出されます。
当時の私は、住んでいる場所が自分の地元=ホームであったこともあり、偶然高知が赴任先になった大学の知り合いや、私の職場に配属されてきた県外の子達を、私の友人たちと引き合わせていました。
高知といえば酒文化。同じテーブルを囲み、一緒に楽しく食事をする。その場を仕組むというよりは自然と会うことになって、違う店にいてもせまい高知のお町で出くわしたりして。そうやって誰かと誰かが知り合って、シナジー(相乗効果)が起きていくことが好きでした。
友人同士がつながると、もっといいことが起きる。何が起きるかはわからないけど、新しいイベントが生まれたり、新しいお仕事が生まれたりすることかもしれません。
でも、私がこれまでに得た体験から得ている信念でもっとも世界観の大きいものは、世界が友達同士だと争いは起きないということです。これは名ばかりの友達ではダメで、お互いにお互いのことを聴く器があって、本当の意味での友である必要があります。
世界が友人じゃないから、「あいつのこういうところが気に食わん」となり、誤解や怒りが生まれる。その最終形態が戦争なのだと思います。
ウクライナの戦争が始まったとき、私はウクライナ出身の友人を思い出し身を案じました。どこの争いも、人々が友人同士たっだら、理論上は起きないはず。そんな信念から、私は人と人のつながりの力を信じていて大切にしているのだと思います。
アンパンマンとやなせさん
私の出身は高知県の香美市。なかでも昔でいう(今も地名はあるけれど)香北町という場所が出身地です。
ここには一番最初の、アミューズメントではなくまさに展示をする場所としてのアンパンマンミュージアムがあります。当時の私の家はそこから徒歩圏内で、外されていなければ保育園児だった私の絵も飾られています。
私は「アンパンマン大好き!」という子どもではなかったと自覚しているのですが、それでも高知に育てば、アンパンマンややなせさんからの影響が強くありました。
保育園の運動会ではアンパンマンのプラカードをひとり1つ作って入場したし、小学校の遠足は1年生と6年生が手をつないでアンパンマンミュージアム前の広場へ。ちなみに私の推しキャラはドキンちゃん。
中学生になると私はJRで通学するようになったのですが、県内を走るJRと民間協業の線には、1駅ずつやなせさんが書いたキャラクターがいます。
当時の私は特になんとも思わず彼らを見ていたけれど、大人になりやなせさんのことを知るにつれて、私のなかに新たな思いが育ちました。
彼らは愛の人だ。彼らは見返りを求めるのではなく、ただ自分がそうしたいから愛を差し出す、愛の人だ。
先ほど書いた、私の本線のルートは「愛」。私は心のどこかで、彼らの「愛」にも影響を受けていたようです。
それで、この「愛を差し出す」と「お金を受けとる」を、思考の世界の私は両立しないものだと無意識から否定していました。だって、無償の愛ではお金は稼げないじゃないですか。みなさん、そう思いませんか。
でも、今日のセッションを受けて、「これは両立していたんだ」と気づくことになりました。お金を稼ごう、愛の対価としてお金をもらおうと思わなくても、愛を差し出していたらいつかお金もやってくる。お金を稼ぎたいから行動するのではなく、愛を差し出していたらお金がやってくることもあるんだ。そんな発見がありました。
自分ひとりでは思い至らない、インパクトの大きい気づきが起きるから、コーチをつけてセッションを受けるのは欠かせない。あらためて、私の人生に欠かせないと思うものです。
私とおばあちゃんの家の畑
今回気づいた、国道の横にある県道のようなルート。これに名前をつけようとしたとき、実はアンパンマンという存在には違和感がありました。だって、彼はみんなのところに飛んでいって、自分を消耗させるように顔を差し出すじゃないですか。これは、私の思う世界ではないと思いました。
それで湧いてきたのが、私のおばあちゃんの家の畑という風景。おばあちゃんの家は、家の裏に小さな畑があります。
ここには田んぼも隣接していて、生態系が豊かなのです。先日の一時帰国の時にもここに行って、母に頼まれて玉ねぎに肥料をやりました。
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肥料をやろうとして気づいたのは、これは1月だったのですが、この小さな穴にもたくさん草が生えていたことです。
祖母と祖父の畑を母と弟が耕して、玉ねぎの種をまいた。耕した土には水が入り、虫もそこにいる。時間が経ち玉ねぎの芽が出ているだけでなく、自然と草も生えている。自然の営みの豊かさ、因果も良し悪しもなくそこにあることを、ただ私は受けとりました。
この畑のことを、私はセッション中に思い出していました。私が入ろうとしている新しいルートで、私は「畑を耕す」をやりたいのではないか。畑は耕されずとも、そこには自生する草や木という命があるのだろうけど、私はその土壌に意思を込めて、畑を耕したいのではないか。
私が耕した畑には、自然に水や虫が入り、手入れをされながら実が育つ。私は花のおしべをとってめしべと受粉させたいわけではない。でも、それを自然と起こす虫のような存在を受け入れることで、いや違うな、虫たちを拒絶しないことで、自然と何かの実ができる。
そんな場を作りたいということなのではと思いました。
つながり、開かれた畑、村ができる
私がこれから乗るルート、あるいはもう乗り始めているルートは何か。ここまでのことをまとめたら、「畑を耕すアンパンマン」の姿が浮かびました。
アンパンマンの私が畑の手入れをすることで、畑には豊かな実がなっていく。それに引き寄せられて、アンパンマンとして街に出かけずとも、みんなが畑まで来てくれる。
畑には実がなっているから、アンパンマンの私は顔を差し出す=自己犠牲をする必要はない。私が受粉をさせずとも=力を用いて誰かや何かを操作せずとも、その畑にはつながりが生まれる。
私がただ畑を耕し、畑をみんなに開き、愛を渡していたらつながりができていく。もしかしたら、「この畑 / aimiさんの近くに住みたい」と、村ができるかも。
私はこの「畑を耕す」「畑を開く」の活動を、あえてベルリンからオンラインでやる。高知のお町でやっていたことを、オンラインでも実践してみる。そのための場所は実はもうあるし、ほかに構想もある。だから、この「畑を耕すアンパンマン」のルートに乗った意識をもって、行動していってしまおう。
そんなイメージを膨らませたセッションでした。
気づいたらここまでで4000文字ほどの記事を書いていました。読んでくださったみなさん、ありがとうございます。みなさんがこれを読んでくださることも一種の愛です。
いつも私の言葉を受けとってくださってありがとう。何か感じたことがあれば、いつでもコメントに残してください。
▼最後にお知らせ
コーチングセッションをドイツからZoomにて提供しています!
「aimiの言葉に共感する」「aimiという人物になんだか興味が湧く」と思ってくださる方、お力になれることがあるかもしれません。
セッションの詳細はこちらをご覧ください☺️
ただ、最近はセッションの募集を閉じていることが多いです。aimiと関われる場の情報を受けとりたいと思ってくださる方は、このnote、Twitter、メルマガなどをフォローいただけたら嬉しいです☺️
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