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不完全な愛の物語 前編

これは私が25歳の時、まだうつ病になる2年前くらいに書いた不完全な愛の物語。

…がむしゃらに泣く彼女を目の前に、僕は何もできない。

痩せ細った身体。
僕が手を伸ばし、触れてしまえば一瞬で壊れてしまいそう。
彼女を強く抱きしめたい衝動に駆られる。
でもそうすればきっと僕は彼女の事を狂おしいくらい愛してしまうだろう。
愛してやまなくて、終いには食い殺してしまうかもしれない。

そんな僕をよそに彼女は泣き続ける。
そうする事で、自分が存在しているのだということを確認するために。
世界中に主張するように。

彼女はひどく傷ついていた。
またひどく疲れていた。

「私をここから連れ出して」

彼女はそう僕に願った。
僕は勢いよく彼女の手を引き、
バイクの後ろへ乗せ、
何者かから逃げるかのように、颯爽と夜の道路を走った。
冷たい空気が僕等の肌を突き刺すようで痛い。

少し彼女の話をしようか。
さて、どこから話そうか。

彼女はとても弱くて脆い女性だ。
しかし時々すごく強い瞳で
まっすぐ何かを見据えている。
幼い頃から一人でいることが誰よりも好きで、
また独りでいることを誰よりも恐れていた。
強がって自分の夢を語るような人だった。
だけど僕は彼女にとっての本当の幸せの意味を知っている。

詳しいことはよく知らないけれど、
彼女は小さい頃父親と何かあったらしい。
それは真実なのか、単なる幻想なのか。
それ以来彼女は、彼女の中にかつてあった「大切なもの」を失っている。
彼女はその「大切なもの」を必死になって取り戻そうとしているように見える。
まるでそれに人生をかけているようで、滑稽で、儚くて。

そんな苦痛に満ちた人間らしい彼女を、
僕は密かに美しいと思った。
何故か愛らしくて、妖艶で。
すごく魅力的だと思った。
だけどそれと同時に、
もうすぐ彼女は死んでしまうのではないかと、
そんな気がしていた。

僕たちはしばらく無言で走っていた。
ちょうど彼女の涙が乾いてきた頃、
彼女は小さく「止めて」と呟いた。

僕たちがふと止まった場所は、
もう真っ暗になった海辺だった。
まんまるのお月様が夜空に浮かび、
星たちも輝いている。
僕は彼女が寒くならないよう、
自分のジャケットをそっとかけてあげた。

彼女は僕のジャケットを肩にかけたまま浜辺へ向かって歩くと、
海の水が少し足につくところで砂の上に寝転んだ。
僕も彼女の横に座る。


◇◇


「ねぇ、少し、話をしてもいい?」

静かに彼女は呟いた。
僕は黙ってうなずいた。

「私ね、すごく好きだった人がいたの。
ううん、好きなんてもんじゃない。愛しているなんて言葉じゃ足りないくらいその人の事を愛していた。多分私は世界中の誰を敵に回してもその人の味方でいたし、その人さえいてくれれば世界に誰一人存在していなくてもよかった。その人さえ傍にいてくれれば私は何でも良かった。でも、その人を自分の世界から消し去ることに決めた。」

正直僕は少し驚いていた。
すごく愛している人がいるなら、人間誰しもその人と一緒にいたいはずだ。
どんな手を使ってでも、どんな努力をしてでも手に入れようとするだろう。
それなのに何故彼女は彼を、彼女の世界から排除しなくてはならないのだろう。

そして僕はもう一つ別の理由で驚いていた。
普段自分の気持ちを素直に表さない彼女が、自ら僕に語りかけているのだ。
しかもいつもの強がりではない。
彼女は僕に本心や弱みを見せていた。

「彼はね、私にたくさんの素敵を教えてくれた。
人の優しさや愛しさ。また彼に対する想いは私にとって何もかも初めてのことだったの。
私は人を初めて愛した。彼は私に愛することを教えてくれた。
それは私の心を暖かくしてくれた。」

「だけど、彼は私の運命の人ではなかったの。こんなに好きでいたのに。」

それは何故?と僕は問いかけた。

「答えは簡単。彼は私に人を『愛する事』を教えてくれたけれども、私に『愛される事』はどういうことなのか教えてくれなかった。厳密に言うと、彼は私の事を愛してくれなかったの。私の片思いだった。」

それは辛いな…と僕は彼女に向かって呟いた。

「そう、それはすごく辛いこと。私は未だかつて、『本当の意味で愛される事はどういうことなのか』知らない。それも親でも兄弟でもない。ただの赤の他人から。私は恐らくそれを学ばなければ、きっと本当の意味で人を愛することもできないでしょう。」

「私はね、―――くん。人間の核心に触れたいの。私は本当の意味で生きているとはどんなことなのか知りたい。それも一人ではなくて、誰かと一緒に学んでいきたい。だって人間誰でもわがままで自分勝手で残酷な生き物でしょう?愛していた彼だって初めは完璧な存在だった。でもね、そんな完璧な彼が今ではこの世で一番不完全な生き物だった。そして不完全な彼を私は支えたいし彼の苦しみから救ってあげたいと思ったの。」

「ねぇ、少し彼の話をしてもいい?」

僕はやはり黙ってうなずいた。

続く


後編はこちらです:


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