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もし哲学がなかったら(4):経済編 ~インド・イラン(古代ペルシャ)・西洋・東アジア・イスラム哲学の視点から~
経済とは物質的な豊かさを創出し、それを分配する仕組みを指します。しかし、その背後には深い哲学的思索が息づいています。本稿では、インド哲学、イラン(古代ペルシャ)の思想、西洋哲学、東アジア哲学、そしてイスラム哲学が経済思想にどのような影響を与えてきたかを歴史的脈絡に基づいて探り、もしこれらの哲学的伝統が存在しなかった場合、経済がどのような姿を取っていたのかを考察します。
1.インド哲学と経済観:欲望と節制のバランス
インド哲学は人生の目的を『ダルマ(倫理)』『アルタ(富・経済)』『カーマ(欲望)』『モークシャ(解脱)』とする4つの価値概念(プルシャールタ)で捉え、その中で経済活動(アルタ)は重要な要素とされます。しかし、ウパニシャッドや仏教、ジャイナ教などの思想では、欲望の無制限な拡大が苦しみを生み出すとされ、持続可能な幸福には節度や利他的行為が欠かせないと説かれました。
ダーナ(Dāna): 他者への施しや寄進を通じて社会全体の繁栄に寄与する理念。
サンヤマ(Saṃyama): 自制心を養い、資源を持続的に利用する態度。
もしインド哲学が存在しなかったならば、欲望を抑える倫理的規範が希薄となり、短期的利益の極大化や資源の浪費、環境破壊、社会的不平等が一層早期に顕在化した可能性があります。インド哲学が説く『欲望と節制のバランス』は、現代の持続可能性や公平性の議論にも示唆を与えています。
2.イラン(古代ペルシャ)思想と経済観:善悪と倫理の調和
古代イラン、特にゾロアスター教思想は、善(アシャ)と悪(ドルージュ)の二元論に基づき、倫理的行為を通じて世界の調和を保つことを重視しました。経済活動においても、真実と正義(アシャ)に則った行為が求められ、不正な搾取や虚偽(ドルージュ)は戒められました。
アシャ(Aša): 真実・秩序を意味し、資源や富の利用はこの秩序に則るべきとされました。
この倫理観は、富の公平な分配や互助の精神を生み出し、後のイスラム哲学にも引き継がれました。
もし古代イランの思想が存在しなかったならば、経済活動における善悪や正義の指標が弱まり、富の集中や格差の拡大が早期に進行した可能性があります。
3.西洋哲学と経済思想:理性と秩序の探求
古代ギリシャを起点とする西洋哲学は、理性による分析と倫理的検証を重視し、経済現象を理論的に捉える枠組みを形成しました。アリストテレスは『自然的富』と『非自然的富』を区別し、無制限な蓄財の弊害を指摘しました。
中世スコラ哲学者たちは、アリストテレス哲学をキリスト教神学と統合し、富の使い方を倫理的に問い直しました。近代では、アダム・スミスが市場メカニズムや『見えざる手』の概念を提示し、個人の利害追求が社会全体の資源配分に寄与しうることを説きました。
もし西洋哲学が存在しなかったならば、合理的分析の欠如した非体系的な経済活動が横行し、非効率性と不安定性が早期に社会を蝕んだ可能性があります。
4.東アジア哲学と経済観:調和と共同体の価値
イランまでが東洋に含まれるため『東洋哲学』という呼称は広範ですが、ここでは主に漢字文化圏の中国思想を例示します。儒教は『仁』や『礼』を通じて、富を共同体の幸福拡大に結び付けるよう説きます。道家思想は自然との調和を重視し、過度な搾取や浪費を戒め、持続可能な資源利用に繋がる視座を提示しました。
もし東アジア哲学が存在しなかったならば、共同体や社会的調和を重視する価値観が薄れ、極端な個人主義的競争や環境破壊がさらに加速していた可能性があります。
5.イスラム哲学と経済観:公正と共有の精神
イスラム哲学は、古代ギリシャや古代イランの知見を吸収しつつ、独自の倫理的枠組みを形成しました。イスラム法(シャリーア)は、公正(ʻadl)な富の分配や、利子(リバ)の禁止を通じた弱者の保護を重視し、社会全体の安定と調和を図ります。
ザカート(Zakāt): 富者が一定割合を貧者や弱者に分配する制度。
リバ(Ribā)禁止: 利子取引を禁じ、弱者搾取を回避する仕組み。
ムダーラバ(Muḍārabah)、ムシャーラカ(Mushārakah): 利益・損失を共有する投資・金融モデルで、参加者間の倫理的責任とリスク分担を促します。
もしイスラム哲学が存在しなかったならば、経済活動が短期的な利益偏重となり、格差拡大や社会的分断が一層進んだ可能性があります。
結論:哲学が示す経済の未来
インドの欲望と節制、イラン(古代ペルシャ)の善悪二元論に基づく倫理、西洋の理性と効率、東アジアの調和と共同体重視、イスラムの公正と共有――これら多様な哲学的伝統は、経済活動に倫理・調和・持続可能性をもたらす重要な基盤として機能してきました。
現代社会が直面する気候変動、資源枯渇、貧富格差といった問題に対峙するには、過去の哲学的遺産を再評価し、新たな経済モデルを模索する必要があります。哲学的思索が提供する倫理的な羅針盤は、私たちが持続可能で公正な経済システムを構築するための道しるべとなるでしょう。
武智倫太郎