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大遅刻の朝に

この月曜日は朝から山手線が大幅に遅延をしておりました。ホームドアの点検ということだったらしいのですが、通勤ラッシュに直撃した関係で大きな駅なんかでは入場規制が張られ、たくさんの人に影響が出たということです。

おれも御多分にもれずなかなか電車に乗れなくて、朝いちばんで行われる全社ミーティングに間に合わないということがかなり早い段階で確定しました。この調子だと30分以上は会社に遅刻をすると見立てて、会社のスラックを見ますと、「電車が大幅に遅れているので全社ミーティングに出られません」という連絡が山のように届いています。

こういった、大遅刻が自分の責任でないところで確定した日の朝というのは、最悪!と思う一方、本音の深い所で何か気分が高揚している自分がいるのです。

決まった時間に起きて、決まった時間の電車に乗って、決まった時間に出勤をする。一端の社会人として当然の行動なのでありますが、それはすなわちいつもの日常、取るに足らない一日の始まりでございます。その予定調和がガラガラと音を立てて崩れる瞬間になんともゾクゾクする、最近流行りの「地面師たち」風に申し上げますと、エクスタシーを感じるのです。

これが5分とか10分とか、少しの遅刻なら自分の努力次第で取り返せる場合もありますんで、必死になって間に合わせようと頑張るのですが、これがより遅くなりますと、30分も1時間も大して変わらないよねってことになってくるのです。

自分がいなければどうしようもない仕事などであったとしても、これだけ大幅に遅延しますと、もはや世界はおれの不在を意に介さず、不在のまま動こうとするのです。その瞬間、責任感とか使命感といったものから暫時解放されると言ってもよいでしょうね。

入場規制になった駅のホーム、階段の前には足止めを食らっている人たちがたくさんいました。おれもその行列に加わります。すると、目の前の人がスマートフォンを片手にメッセンジャーかなにかで会社の関係者と思しき人に遅刻する旨を連絡しているのが目に入ってまいりました。

既におれは大遅刻が確定して解放感を味わっておりますから、そういうのを悠々と観察をしてしまうわけです。さてこの人はどんな言い訳をするのだろうか、何分くらいの遅れを見込んで到着予定時間を連絡するのか、または具体的な時間は敢えて連絡しないのか?そのあたりが気になってくるわけです。

その人は、結局20分ほどの遅刻をするだろうと目星を立てて、一度●時に着きますとメッセンジャーに打ち込んだのですが、しばらく逡巡したのちにテキストをすばやく削除し、「大幅に遅れます」と具体的な到着時間には触れず一言で済ませて送信をしていました。受信した側に届くのはこの7文字あまりの短い文章ですが、おれはこの短文にまとまるまでの葛藤を知っている。

このメッセンジャーに限った話ではなく、誰もがメールや書類なんかのビジネス・テキストを送信する前に、このような書いては消しての作業を繰り返しているのでしょう。おれもよくやります。みんなそうなんですね。そう考えると、日ごろ届く仕事のメール等の無機質な文字の羅列にも体温が宿るような気がしませんでしょうか?無数のビジネス書類やレターには、人には届かない人間味が生まれてすぐに消えていく。しゃぼん玉のようですね。

大幅に遅延した電車を待つホームでは、多くの人が電車が来るのを待っていたり、会社の人に連絡をしたり、諦めて缶コーヒーを買う人など、多くの人であふれています。あまりの人だかりですから、物理的な社会距離が縮まると同時に心理的な距離も縮まるのか、日陰を譲り合ったり暑いですねなどと軽口をたたく人たちまでもが出てきます。こうなってくると、一周回って奇妙な一体感すら生まれる2024年、夏の東京の朝です。

さて、それから電車の遅延は20分どころの騒ぎではなく1時間弱ほど遅れてホームに入線しました。それから前後の電車と車両間隔を調整したりなどして、結局出社できたのは1時間以上も遅れてのことでした。

おれはというと、1時間あまり解放感を存分に味わったものですから、「大遅刻をした分際で、ローソンのメガサイズコーヒーを片手に悠々と出勤したらウケるかな」とか考えながら出社をしていました。これが寝坊とか本人の都合によるものであれば大目玉を食らうところでありますが、別に今回はおれ悪くないしな?

それでメガサイズのコーヒーをローソンで買って、ミルクやシロップまで入れて出勤したところ、思惑通りややウケしました。大遅刻をした分際でメガサイズコーヒーを買って悠々と出社をするとちょっとウケるのでぜひ一度やってみてください。(※企業風土によって個人差がある場合がございます)そんな感じです。


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