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先生!「評価」むずっ。じゃないですか? [その 1/2 観点別学習状況の評価むり説]

現在学校では、小学校も中学校も高校も「知識・技能」「思考・判断・表現」「主体的に学習に取り組む態度」の3観点でいわゆる「評価」することになっています。
が、が、がですねぇ・・・。そうですよね。はい。高校なんてもぅ・・・。

※以下の内容はくみちょー界隈での現実であり、全国の学校現場を代表したような類のものではありません。あくまで一例です。きっと。
※大学教授をはじめ、研究に従事していらっしゃる方で、明らかにおかしいという点にお気づきの際は、ぜひご教授ください。



大前提(仮説)

そもそもなことを、現場の肌感として正直に言ってしまいます。
えっ、あっ!あの、仮説ですよ。かりに〜、たとえば〜の話です。


  • 理解できていない。

  • だれも教えてくれない。(表現が難しいですね。積極的に時間が確保されて、理解できるまで学ぶ機会・時間みたいなものはない。少ない。ということです。)

  • これでよろしく!みたいなものがなく、ふんわりやんわりと学校に委ねられている部分が多く、みんなそろってふんわりやんわりやりこなす。

  • とはいえ入試。から脱却できない。(とくに高校)


例えば「主体的に学習に取り組む態度」について言えば、知識や技能を獲得したり、思考力、判断力、表現力等を身に付けたりすることに向けた粘り強い取り組みを行おうとする側面と、自らの学習を調整しようとする側面という、2つの側面から評価することが求められています。
え?もぅなんでしょう、一文にしてみると長すぎて、論理クイズか何かですかこれは。今だに平常点とかいう謎の言葉に隠れて、提出物出したかどうかや、授業中積極的に挙手・発言したか、みたいなものだと思って続けてい・・・やめときます。


現実問題

現職教員への質問紙調査およびインタビューにより、なぜ私たちが現場で「評価」に対して多忙感やある種の拒絶感、他にもあれやこれや(以下いろいろまとめて"むり感"とします)を感じるのか、見えてきたことがあります。


  • 「評価」と「評定」の捉え方、「指導と評価の一体化」の捉え方の齟齬

  • 妥当性・信頼性、客観性、公平性、説明責任といった言葉の定義の曖昧さと、"ねばならない"感

  • そもそも「やり方」が不透明


これらがその一部ではないでしょうか。
あ、あれっ?仮説が支持されちゃう・・・。だめだ逃げちゃ・・聞き覚えありフレーズ。
気を取り直して、順に解決を目指してみましょう。


「評価」の捉え方の齟齬

「評価」=「評定」ではありません。
評定とは、教師がどのような教育活動を行ったかは不問に伏して、生徒の実態の良し悪しを判定、値踏みしたものです。処遇の決定や序列選別のための評価の証明機能にあたるものが評定です。評定が評価に取って代わることの問題?事実?は、目標さえないまま、授業らしきものができてしまう点です(私もそうでした)。評価を評定に”つけ直す”こと、その意味や方法など、この議論をはじめると、とっても"盛り上がる"ので今回はやめておきます。

これまで(≒ 現状)行われているのは、テストの得点に代表される、値踏み・格付けとしての評価であり、これこそが「評価」だと思いがちです。(私もそうでした。) が、求められているのは、Assessment(アセスメント)支援する評価です。
また、「評価」=必ず記録に残さねばならないもの。ではありません。”指導に生かす評価”と”記録に残す評価”どちらも「評価」です。
私たちが強く意識してしまうのは、”記録に残す評価”ですが、指導・授業を改善し生徒を伸ばすために行われる評価は”指導に生かす評価”ですから、記録に残す必要はありません。これがAssessment(アセスメント)支援する評価=形成的な評価です。
要するに、見取り/発問/机間指導/声掛けなどのことで、これまで先生方が当たり前にやってきたことです。「指導と評価の一体化」は、この形成的な評価を連続的にループさせましょう。ということとも言えます。そしてこの形成的な評価のループを一定期間行うことで、目標に対してどうなったかを見取るのが”記録に残す評価”としての観点別学習状況の評価(ABC)ということになります。

またここでは、「どのような力が身に付いたか」を評価によって子どもたちに自覚させることが求められています。とすれば、授業を通して身に付けるべき学習の内容を、授業のはじめの段階で授業者(教師)と学習者(生徒)の双方が知っておく必要がありますねぇ。
このように考え整理すると、以下が明確になります。


  • 毎時”記録に残す評価”をする必要なんてもちろんない

  • 極論、毎授業分の指導案を作成するってことになるのでは。というのは幻想。必要なし。

  • ある1時間の授業だけでABCの評価はつけれらるはずもない=幅/スパンが必要で、過程/プロセスが大事

  • 単元や題材ごとの計画=授業デザインが必須



妥当性・信頼性、客観的(性)、公平性、説明責任

現場用語として使用されているこれらの語を、評価研究用語との対応で整理したものについて、八田・渡邉(2023)が整理しています。それぞれの乗り越え方及びその詳細がどうしても気になる場合は、八田・渡邉「高等学校 観点別評価入門 学事出版 2023」を参照ください。今回は、それらが「あるない」「必要不必要」の議論は避けます。
文部科学省の各種資料の中で登場するのは、中教審「31年報告」のp14.における「評価の妥当性・信頼性」であり、現行の指導要領にも用いられています。主観的や客観的(性)という用語は用いられていません。

どのような方針によって評価を行うのかを事前に示し、共有しておくことは、評価の妥当性・信頼性を高めるとともに、児童生徒に各教科等において身に付けるべき資質・能力の具体的なイメージをもたせる観点からも不可欠であるとともに児童生徒に自らの学習の見通しをもたせ自己の学習の調整を図るきっかけとなることも期待される。

中央教育審議会「児童生徒の学習評価の在り方について(報告)」 平成31年1月 p.14

教室で教師が子どもの学びを価値付けたり意味付けたりすることは、それがたとえ主観的なものであっても、学習評価と言えるはずである。(中略) 子どもたち一人一人の資質・能力を多面的・多角的に評価するには、客観的といわれる評価のみでは不十分であり、次代が求める資質・能力の育成のためには主観的な評価も取り入れたい。

髙木展郎「評価が変わる、授業を変える 」三省堂 2019年5月 pp.215-218

ここまでで、以下が明確になるのではないでしょうか。


  • 評価の内容/方法やタイミングつまり、単元や題材ごとの計画=授業デザインを生徒と事前、もしくは都度共有し続ける事で解決へむかう



やり方

(ここだけの話なので小声で。でも、一番大事なことだと思います。)
目標(育てたい資質・能力)を設定し、それにどの程度達しているかを見取るのが「観点別学習状況の評価」です。そのため、目標を設定しておかないと、何もしようがありません。教科書を順にもしくは、”この問題出る重要”といったマインドに慣れてしまった(だって入試あるし)私たち高校教員が、観点別学習状況の調査に多忙感や違和感を感じるのは、これが元凶です。単元毎に資質・能力なんてなかなか・・・。毎回指導案作るって事なのそれ?現実は、単元毎にこの問題!じゃないですか(←3月までの私)。この根本を理解し変えないと、さあこの得点(評点)を観点別にいかに割り当てるか。という、ほんとにどこのだれにも言えないような状況を招きかねないのです。いや、そこまでひどくないよ私は。というのが大方の先生方のご意見だとは存じますが、自戒の念を込めて。
なんで誰も教えてくれなかったのでしょう・・。

以下に、観点別学習状況の評価の進め方モデルを示します。


  • 1から9までを順に進めていきます。もともとはこの中の4・5をメインにカバーしようとしました。

  • 1.2.3.については事実上、学習指導要領が方向性(というか、ほぼこたえ)を示してくれています。

  • 2.3については、各校の状況によりアレンジ・調整することも考えられます。

  • 8.9.は完全なる事務処理作業の範疇です。

実施の際のポイントというか再確認です。

  • 単元や題材ごとの計画=授業デザインが必須 なにはともあれまずこれ。Labでは授業デザインひな型改2を作成、活用しています。

  • 「おおむね満足できる」状況と判断されるもの、を評価規準の B に据え、それ以上なら青天井で A と捉える

  • 何も評価しない時間があってもよい

  • 「主体的に学習に取り組む態度」が評価(=観点別の学習状況の評価ABC)できる(する)のは、単元の終盤

  • 生徒の学習状況は指導とともに変化する。またそのように支援していくのだから、ABCの補正もあり得る


最後に

これらをふまえ、.Labが提案する「あいだのいちまい」という手立ての活用が ”いろんなこと” を解決に導きます。きっと。
その実例実態は次回とさせてください。

ここまで読んでいただきありがとうございました。
自己紹介に次ぐはじめて?2回目?のnoteで、これでいいのかしら?の連続です。精進します。
ぜひ感想やコメントで交流していただけると嬉しいです。
温かく応援していただけますことを願っています。


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