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『父と 母と 私の旅』③丸ごと愛して、そこにいる

(前回の話)

母の一回目の手術後の記録。


2018年2月16日、陰暦正月。

母が一時退院して一か月。一回目の股関節の手術後経過は順調で、もう借りていた車いすは全く必要なくなった。

日々、痛みが少なく、一人で杖で歩けることに、感謝と驚きの連続。

毎日、母の夢が、一つずつ叶っていく。夢の毎日を生きる。

お風呂に楽に入れる、一人で歩いて図書館へもスーパーへ行ける、
行って帰ってくる。

孫たちの学芸会やひな祭り会にも行ってくる、電車にも乗れる‥‥

ある日、母が言った。

「愛ちゃん、バスに乗ってみたい。」

そこで、2人で、家の前のバス停から、バスに乗って隣町の日本庭園まで散歩をすることにした。

母の夢が、また一つ、達成された。

今や、起伏のある庭園も、大きな石の段差も、下り、超えてゆく。

「あぁ、ここまでこれた」と、一息。


蝋梅がほろほろと咲き、梅の花はこれから。

春の前の静かな庭園。けれど、確実に春はやってくる。

母の体力は、一年前に戻っている。

私は、意識の中で、10年か15年後の父となる。

もし父と母がその時生きていたら、2人、夫婦できっと、こうしてゆったりと、庭園を歩いていただろう。


「愛ちゃん お父さんにならなくてもいいよ」

 ―愛ちゃんが、お父さんの代わりにならなくても、いいよ―


弱りゆく母の傍らで、無自覚に父の代わりを努めようとしていたとき、親友に、そう言われた。

言われたけれど、そうしてしまう、自分の性。

時に父になるのも、また一興。15年後、85歳の、父に。

呼吸を合わせ、振動を合わせ、日の光を浴びる。

雪がちらほらと残る2月初旬…

身体が寒さに少し耐性がついたころ、陽射しは確実に延びている。もうすぐ。もう少し…

変わりゆくものを味わう。

83歳の母と2人。父になり、松になり、芝になり、日の光になる。


母は、ひとつひとつできることを、取り戻していった。

都度、些細な所作に、喜びが咲く。

頬の色がほのかに蒸気してはつらつとし、母の目に光が宿る。

少し上を見上げて、10年若返ったよう。いや、少女に戻ったよう。

できることが増えてゆく喜びを味わう様は。

(そして…その母の状態に同調する私の心身。

 私たちは振動する生き物、原子分子、共にいるもの同士、自然と同調してゆく。)


父が亡くなってから急速に悪化した足の痛み。

介護認定を受け、次々と家の中にやってきた様々な福祉用具、

ケアマネージャーさんや業者の方、リハビリの先生たち、病院の先生や看護師さん、同室の方々。

足が悪くなったことで出会った人たち。

支えてくれた姉たち、姪や甥たち。友人たち。

手術の日に、わざわざ岡山から上京して手術に立ち会ってくれた、母の弟夫婦。

深く深く感謝する。

たくさんのいろんな物や人のお世話になり、おかげで元気になれた。

守られていたことを実感する。本当に有難い日々だった。


そして‥‥

どれだけ福祉用具や介護サービス、人の力を投入しても。

色んな人やものに関わってもらい、

周りが何かをどれほど注ぎ込んでも。

それらが跡形もなく無に吸い込まれていく、絶対的なブラックホールに、しばらく母はおり。

そこで、私は何もできないこと、ただ共にいて、息をすることしかない、

時期が来るのをじっと待つ、待つことを

知る必要があった1年だったように思う。


きっと、それだけ、一人で、痛かった。

喪失の、大きさ。

大切な人を、失ったこと。物理的な痛み。

自分と思っていたものを、なくしてゆく、かなしさ。


『丸ごと愛して何もしないでそこにいる、ということ』


「思い出のマーニー」という児童文学の中で、

心に傷を負っている主人公の孤児アンナを引き取った老夫婦が言った言葉らしい。

それが、いかに難しいか‥‥ 


『(なくしていくことも、痛みも、老いも、)

 丸ごと愛して、何もしないでそこにいる』 のは、子の愛か‥


無為であること。

何もしないこと。

一緒に地獄に落ちること。

喪失も、悲しみも、共にいて見つめ続ける、背負うのはなかなかの覚悟であり、

そして、元気になってほしいという願い、あまりに強く、

かなわなかった時に反転し、結果濃く深くなった影。

「自分を生きる」ということを自問してもがき

結局一緒に地獄に落ちて影と傷を濃くしていくことしか、できなかった(そうしたかった?)娘。


『待て、しかして希望せよ』

人の力を超えた、何か大きなものの力が動いてくるのを待つ時間。

母との地獄めぐりも、後少し。

翌月の左足の手術が終わるまで‥‥。

歩けるようになり、少しずつ少しずつ、

季節は移り変わり、

春が訪れて、生に重心が傾き、花を咲かせる季節を生きることになる。

また残りの人生も、父のいのちを重ねながら、右足と左足、一歩一歩、歩んでいく。


「家族は自由を束縛する。しかしそれによってかえって自由ということがわかったり、生きることや死ぬことについて一味異なるレベルで考えることができたりする。
便利に快適にホイホイ生きて、ついでにホイホイ死ぬのでは芸がなさすぎる。あるいは、死が近づいてくると、これまでの生き方が死の準備に対しては逆効果であることに気づいたりする。そのようなことがないように、家族という存在は、人生の矛盾をよく味わわせてくれる。そんな意味で、神や仏に会いにくい現代においては、家族が宗教性に対する入口となることが多いのではないか、と私は考えている。
ここに述べている「宗教性」は、特定の宗派に属することを意味していない。人間の生活において、極めて不可解で、われわれのたましいを震撼させるような事象に対して、たじろぐことなくつき合っていこうとする態度について言っている。」

『日本文化のゆくえ』/河合隼雄

…留めておこう。

また、やってくるのだ。喪失は。老いは。死は…

そして、やっぱりたじろぐと思うのだ。


気温の高まりと共に急速に訪れる意識の変化。

春を、謳歌できることの歓び。

そこに含まれる、冬の尊さが失われることの一抹の淋しさ。

自然に教えを乞う。


…心の中に錨を下ろして、大切なことに触れ続けながら、

生きて、(死んで、)ゆくことができるだろうか。


春が来て、生に重心が傾き、花を咲かせる季節を全うしつつも。

此岸は彼岸に重なりゆくものであること、

春の中に冬が含まれ、冬の中に春が含まれること、

色は即ち空性であること、空は色であること、

過去も未来もなく、今ここに全て存していること、 

景色の中に、死者達のまなざしと呼吸が満ち満ちていること、

沈黙、自然や死者の声ほど強烈なたましいへの語りかけはないこと…


何か大切なことを、織り込み、生きてゆけるだろうか。


私たちに通底する、こころの底の底に触れながら、

もっと傷つけることも、自分を失うことも恐れず、深く、深く、人を愛してゆく。

この身で存分に、人を、生きることを愛し、愛するが故に、

そこに生じる喜怒哀楽を、十全に感じきり、愛別離苦を体験する。

智慧を深めるから、より一層、愛することがかなっていく。

『丸ごと愛して何もしないでそこにいる』、が。

それに耐えうることが。

そして、自分の力ではない、大きないのちの力によって、運ばれてゆくことが。


父の死後一年、小舟に揺られどこに着くのか心許なかった母との旅、

今、船の舳先が、こつんと島の岸にたどり着いた。

「あぁ、ここまで、来た。」

と、

思わず、呟くことになる。

浴槽で、身体が緩んでいた瞬間にふと訪れた一瞬、頬を伝う涙。

釈尊が無量寿経を説いたと言われる、霊鷲山か。

(2018年2月の日記を編集)


(④に続きます)


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