【親の抑圧からの解放】―子どもは、導く側(親)(イメージワーク)
【親とのこと】
自分のヒーリングを進めていくと、
結局、最後は、【親】との関係に、行き着くのだろうと、思う。
自分を生き始めると、必ず出てくる。
小さかったころ、こうして欲しかった、ということ。
こうであって欲しかった、ということ。
3才のとき、
5才のとき、
10才のとき、
15才のとき、
子どもだったころ、それから、反抗したかった思春期にやり残していたことを、
もう一度、準備が出来て、大人になったときに
また向き合うタイミングが来る。
何度も、何度も。
「この親とは決別する」 そうやって、振り払って、
新しい「自分」を生きようとしても、
結局、親の資質は、自分のDNAに受け継がれているし、
悲しさや怒りの体験は、刻みこまれた身体記憶の中に、記録されていて、
ことあるごとに からだの内側から、傷がうずいて
「まだ、ここに、傷があるよ」
「この傷を、愛に還していきたいな」
そう、伝え続けてくれる。
親も、不完全な人間。
「親」が、「子ども」を 無条件に、四六時中 愛せるわけではなくて
(親も、不完全な人間だから)
「親」を無条件に、愛しているのは
「子ども」の方だ。
「子ども」は、親を愛しに、やってくる。
小さな子にとっては、
親の存在がすべてであり、
たとえ、親から、虐待を受けたり
ひどい扱いを受けたとしても
「あなたが悪い!」 なんて、非難が決してできないように、
こころの構造が、なされている。
悲しいこと
辛いこと
怖いこと
罰を受けたこと
それは、ぜんぶ、自分のせいだと
「自分が、悪い子だったからだ」 と
思ってしまう。
絶対に、親を責めることは、しない。
その分、自分自身の中に、罪悪感が刻まれる。
「私が、悪い子だったから」
「私が、いい子じゃなかったから」
どんな、毒的な親だったとしても、
子どものこころの原風景としては、そんな親も、決して見捨てず、
責めることは不可能な、こころの成り立ちをしている。
ただ、愛を向けるだけ。
そんな、どこまでも 純粋無垢さを、持っているのが
わたし達 なんですよね。
そして、からだが大きくなっても、その 子どもの部分を持ち続けているのが、わたし達 です。
● ● ●
わたし達は、子孫になればなるほど、精神が進化していく。
先祖代々、何千年も、何万年もかけて、何度もいがみ合いも戦いも、
傷つけあうことも繰り返して、
少しずつ、少しずつ、たましいは学んで
成熟していく。
そうした意味で、子どもたちの方が、親よりも、たましいは、ずっとずっと、成熟している。
だから、子どもの自分が、
"親が持つ、しがらみや古い固定観念、いらない信念を
解き放てるくらい、
自分自身の、光の強さを 疑いなく 存分に 発せられるようになりたい"
そうした願いをたずさえて、生まれてきたのではないかな、と 思う。
そして、それができたときに、あなたのその光によって、親たちが、
先祖代々、そして、集合意識がクリアにしきれなかったカルマが、見事に浄化されて、
親たちもとても涙して喜ぶはず、だと思う。
自分が、自分の光を
(無理やりではなく、闇を統合して、自立した先に) 光り輝かせることによって、
それが、親のたましいをも導く、光になる。
ヒーリングセッションで、親との関係の問題についてワークをする際に
浮かび上がってくる点があります。
◎親の、ここが、嫌い(わたしはいらない)
=自分と反対の価値観、古い信念、世間体や常識、
自分への支配(コントロール)や期待。
それらは、私を、縛る。わたしは、もういらない。
◎でも、親を、私は、愛している (大切だ)
=そんな親であっても、世界に唯一、たった一人の、母親/父親。
自分を大切にしてくれた経験も、ある。
私は、親を、愛している。 それも、本当のこと。
◎そして、私は、親に、愛されたい
=小さな子どもにとっては、親に愛されない ということは、そのまま、自分の生命が存続できない、という生命危機に直結する。
弱い赤ちゃんや子どもは、一人では、とても生きられないから。
本能的に、「親から愛される」 ということが、わたし達動物のデフォルトで、最重要課題。
その本能的な心理構造は、大きくなってもある程度引き継がれる。
そして、成長していく中で、自分にとって大切な親から、自分が愛されないという経験に、
悲痛な痛みが生じるのは、当然のこと。
だから、愛されるために、親の希望や期待に、応えたいと、わたし達は、願う。
もしも、私がその期待に応えらなかったら、どうしても、
申し訳なさ(罪悪感)が残ってしまう。
これらの気持ちが、
混ざりあっているので、
いくら、「私は、親を忘れて、自分を生きる!」 と振り切ろうとしても、
なかなか、すっきりとは、うまくいかないのだろうと、思います。
親を、愛しているし、愛されたいと、願っている部分も、確実に、あるから。
ここを解いていくには、
◎たましいとしての親は、愛している。
◎けれど、親が私をコントロールしようとする力や、古い価値観は、
私は壊したい。
◎壊すことで、親も、私も、自由になる。 親も、私も、幸せになる。
そうした体感と信念を深めていくことかなと、考えています。
(実際に、肉体を持った親が、今すぐ、(あるいは生きている間、) 彼らの価値観を手放せなくっても、いいのです。
大切なのは、今この 『わたし』 が、今、意識の上で、
手放したいことを、手放すことが、自分にとっても、親にとっても、
良いんだと、疑いなく信じられることなのだと思います。
すべて、意識が持つ波動で、現実は動いていくからです)
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最近、ある、母親との問題を取り扱ったセッションで、
こうしたイメージワークを、提案したら、
とてもうまくいったので、ご紹介します。
【親からの抑圧の鉄壁を壊すイメージワーク】
【1】相手の中に『光』があると見る
「人間は、どんな人でも(たとえ、毒親でも)
その魂の根源は、『光』でしかない。
子どもの私が愛しているのは、その『光』なのだ。
その『光』は、ダイアモンドのように強固で、永遠にそこにあるものなのだ」
と、認識する。
そして、親の体のどこかに、その光が、(たとえ針の先のように小さくても)必ずあるのだ、と、イメージする。
【2】黒い塊(固くなった、あん団子の「あん」)の構造
今、その親のダイアモンドの光を、
黒くて固い塊が、包み込んでいる。
この構造は、あん団子のようなもの。
中心は、真っ白な、もち。(=コア。本体。たましいの光。ダイアモンド)
けれど、その周囲に、時代や生まれ育った環境、不幸な出来事の連続で
こびり付いた、黒いあん(=不要な観念。信念。ネガティビティ) がある。
その黒いあんは、人によっては、あまりに長い間、(前世代の蓄積を持ち越して)維持し続けられてきたために、
大きく雪だるま式に増えて、今やもう中心の、
純白な白い団子(たましいの光)が、ちいさく頼りなく見えてしまうくらいになってしまっている。
そして、黒いあんはあまりに固く分厚くなり、鉄壁のようになっている。
【3】自分自身が、この、黒い鉄壁を、光の剣で切って壊していく、戦士なのだとイメージする。
まず、自分自身がグラウンディングし、
光そのものであることを体感していく。
そのあとに、大きな光の剣を持ち、目の前の親の、不要な黒いあん(岩)を、カットしていく!
(剣道で相手を打っていくように)
ポイントは、実際に、自分の「腕」を動かして、精一杯、からだを使って表現すること。
少しずつ、この黒い塊にヒビが入り、割れてきて、
ついに、最後には、すべて黒い塊は粉々になり、
中から、ダイアモンドの光をはなつ、真っ白なだんご(たましい)が!
このイメージワークをしていくと、
実際に、目の前の相手の黒い塊が壊れて崩れていくのが体感として感じられて、
(ゲームでやっつけるようですね)
最後には、ちゃんと、私が愛して、大切にしていた、
親の純粋なたましいが、現れてくれるのだと、実感することが出来ます。
セッションでこのワークを行ったら、
お顔が真っ赤になりながら、手を一生懸命動かし、声も出し、
どんどんお顔が変わられ…
最後は、見事に、達成されました。
ご本人も、涙を流しながら、「やった…」と。
そのお顔は、内側からの透明感が増して、本当に輝くようになっていらっしゃいました。
わたしが一緒に見ていたイメージの中では、
光のたましい同士になった2人が、しっかりと、ハグしている様子でした。
しっかりと自分の強さを取り戻し、
かつ、親自身を傷つけることなく、親本来のたましいの素の姿が顕れるように、
親もを、救うことができた。
そんなイメージの物語に、書き換えることができました。
このイメージの中の黒い鉄壁は、自分のこころが持っている鉄壁と同じものだと思います。
それを自分の意志と力で、思う存分壊しつつ、
親の純粋なたましいとも、自分のたましいとも、
出逢いなおせて、嬉しさでいっぱいになったようでした。
親と戦うことに、罪悪感を持たず、
達成感があるワークです。
ぜひ、皆さんもやってみてください😊
ただ、一人ひとり、持っておられる体験と、それにフィットするものは、微妙に違ってきます。
実際に、深いところまで自分に落とし込めるワークとなるように、
そのワークの空間を、安全に保持する人間が必要になります。
よろしかったら、どうぞ、セッションでお手伝いさせてくださいね。
長文を読んでいただいたご感想や、「こんな相談ができるかな?」と、
セッションについてのご相談なども、お気軽にご連絡ください。
お待ちしています。
ai.maru★tutanota.com (★を@に変えてください)
●セッションについて
すべての子どもたち(=わたしたち)が、より、自分の内側の光を自覚できることを、願って。
愛子