ご機嫌のスイッチ
朝起きたら、まずもちもちの泡で洗顔する。
使うのは、濃密な泡が出てくるロクシタンの洗顔フォーム。
肌に乗せるとお花のいい香りが広がって、ちょっとだけスーッとする。
その後、パックをする。
サボリーノの朝マスクが大好きだ。
フルーツやハーブの爽やかな香りと、メンソールの清涼感。
これで完全に目が覚める。
フランスの哲学者アランは「上機嫌は意思によるもの、不機嫌は気分によるもの」と言った。
私は朝のスキンケアで、自分のご機嫌スイッチを押す。
お気に入りの洗顔フォームとパックは、朝の気だるい気分を変えてくれる、ささやかな楽しみだ。
ところが、せっかく機嫌よく過ごしていても、不機嫌な他者に接すると、相手の持つネガティブなオーラに引きずられてしまうことがよくあった。
一緒に暮らしている夫。職場の同僚。
顔を合わせる人がいつもと違う様子だと気になってしょうがないし、お節介だと思いつつも、何とかして元気にしてあげたい、助けになりたいと思ってしまう。
そんな私に、カウンセラーが「突き放した関心」(detached concern)という考え方を教えてくれた。
「突き放した関心」というのは、相手に共感しながらも、一定の距離をとる技術なのだそうだ。
その具体的な方法として、カウンセラーは私に「心の中に看護師長を置く」ことを提案してくれた。
医療スタッフは、担当患者さんが亡くなった時に「もっとしてあげられることがあったのではないか」という思いが繰り返し沸き起こる。
そのような時に、看護師長はスタッフに「精一杯ケアしてあげていた」と伝え、「最後の瞬間までよいケアができていれば、回復して退院していく患者さんにも、亡くなってしまった患者さんにも、同じだけ達成感を感じてよいのだ」と話をするそうだ。
「最善のケアをしてあげたい」という気持ちと「最善の限界」を理解し、感情をマネジメントすること。これが「突き放した関心」となる。
この看護師長のような存在を「もう一人の自分」として心の中に置くと、理想と現実の妥協点を見出しやすくなるという。
カウンセラーから「心の中の看護師長はあいちさんにどのような言葉をかけますか」と聞かれた。
アランの言う通り上機嫌が意思によるものだとすると、私に他者の機嫌をどうにかすることはできない。
自分がご機嫌に過ごしていて、相手に誠実に接しているなら、それで十分なのだ。他にできることはない。
こうして、心の中に看護師長を迎えてからというもの、私は1日の大抵の時間をご機嫌なまま過ごせるようになった。
自分で言うのはくすぐったいけど、相手の感情をキャッチして気にかけるところは、私の優しさや生真面目さで、いい所なんだと思う。
けれど、自分の限界を知って、相手に関心を抱きつつそっと突き放す潔さは、自分に足りなかった要素だとも思う。
私と同じように近しい人の影響を受けやすく、ご機嫌スイッチがオフになりやすい人に、この文章が何らかの助けになったらいいなと願う。
相変わらずお節介な自分だなぁと思いつつ。