令和阿房列車論~その36『時刻表昭和史【完全版】』(6)御殿場線907列車
前回のおさらい
毎週各章ごとに書評をしていく記事ですが、相変わらず読書の習慣がほとんどないのが痛いです。
第6章 御殿場線907列車〜昭和14年
戦時色が濃くなった時代
中学一年生になった宮脇俊三が中学校で軍事教練を受ける場面からこの章が始まっていることからわかるように、この頃から軍事色が濃くなったとわかります。
この昭和14年の9月に裾野の施設で軍事教育としての野外演習に行ったことが書かれています。
けれども、鉄道に関することは裾野に行くために御殿場線907列車を使って行ったことに多少触れてはいるものの、多くは野外演習のことについて書かれていました。
昭和14年について
この章はページ数も少なく、あらためて巻末の年表を見てみました。
すると、
4月 旧制成蹊高校尋常科(中学)へ進学。テニスに没頭する一方で、一人で鉄道旅行や箱根の山歩きをする
9月 野外演習のため富士の裾野の演習場へ(東京発8時25分伊東行/国府津発10時30分御殿場線沼津行)
9月 第二次世界大戦勃発
年表のボリュームも少なかったのですが、宮脇俊三が中学の軍事野外演習に行った9月に第二次世界大戦が勃発したとあるように(このあとの感じが)一層軍事色の濃いものになると感じさせられました。
とはいえ、まもなく戦争が起きようとする時代にテニスに没頭したり一人で鉄道旅行に行けた宮脇先生は身分的に恵まれていたのでしょう。
私の11歳〜昭和53年
11歳当時の私(a-ki阿房列車)についてですが、当時小学校6年生の私にとって特殊な一年でした。
この年、母親の病気療養のために札幌の親戚の家に3か月ほど滞在することになり、そのため短期間ではありましたが小学校も転校しました。
その中で私と鉄道に関わる事と言えば、根室から札幌までの移動の思い出に尽きます。
母親と弟、そして私の3人で上り急行函館行き「ニセコ2号」に乗って札幌まで行くわけですが、当時は石勝線がまだ開業しておらず(現在部分廃止された)根室本線(富良野まわり)で運行していたため約12時間近くかけて札幌まで向かいました。
さすがに12時間近く乗車することもあって根室から札幌までグリーン車を利用しましたが、始発駅の根室からはしばらく私たち家族3人でグリーン車をひとり占め状態でした。
時代や環境は違えど、私も宮脇先生も年齢を重ねるにつれて鉄道に対する造詣はよりいっそう深まっていくのでした。
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