「働く」って何なんだろう 2024年1月【3】
初めての就労経験は高校1年の夏。コンビニの店員をやった。すぐに接客に向いていないとわかった。ゴミ出しや飲料の補充など、客と関わらない仕事の際には落ち着くことができた。1ヶ月ぐらいで退職した。
数ヶ月後、郵便局で年賀状の仕分けをやった。少しでも手が止まると「手が止まってますよ」と指摘してくる局員がいた。彼は私が残業をせずに帰ろうとすると「昨日も残業しませんでしたよね」と言ってきた。ウンザリした。
翌年の年末年始は年賀状の配達をした。人に会わなくていいので楽だと感じた。ただ悪天候の日はとてもつらかった。
大学入学前後にファーストフード店で働いた(「ファーストフード」は間違いで「ファストフード」が正しいとする主張があるが、どちらも許容されている)。
学業に専念したかったのだが、親から「家に月2万入れろ」と言われて働くことになった。裏方なら黙って働けると思ったのだが、間違いだった。仕事中、ずっと大声を出さねばならない職場だった。
厨房に入る前に「接客七大用語」とやらを言う。注文が入れば「チーズバーガー、ワン」みたいなフレーズを、できあがった時も何やらを言わねばならない。
店長は30歳前後ぐらいの女性。ニコニコしながら「それ聞くの何回目?」「もうそろそろ覚えてほしいな」と圧をかけてくる。マネージャーも同じぐらいの年頃。自分の暴力性を自慢する人だった。精神的につらくなって2週間ぐらいで退職した。
大学2年の夏、遊園地の清掃の仕事を始めた。これもまた、親からアルバイトをしないとダメだと叱られたから。ひとりで働けるところは良かったが、肉体的にはつらかった(特に夏と冬)。勤務日には1日2万歩以上、歩いていた。
11ヶ月ほど続けたところで、清掃の仕事がなくなると言われ、園内の飲食店に移籍した。厨房の仕事で、とにかく蒸し暑かった。水蒸気が常時立ち込めている、スチームサウナ同然の環境だった。
狭い厨房に3人ぐらいいる。ここでも私の確認癖が問題となった。料理担当者に「いい加減覚えろよ」と言われてカチンと来た。また昼休憩が30分しかない、トイレが1箇所しかなくてよく埋まっているなど、環境も悪かった。1ヶ月で退職した。
運送会社で荷下ろしの仕事もした。体が丈夫ではないので長く続けることができなかった。そもそも肉体労働全般、荒っぽい人たちが集まりがちなので、自分には向いていないと感じる。
メール便の配達は、出社の必要もなく、完全に人に会わずにできる仕事で良かった。ただ3年ほど続けて、さすがにウンザリして退職した。これが人生で最も長く続いた仕事だ。
26歳の時、郵便局の配達員になった。今度は長期アルバイト。短期アルバイトに比べて、職員の態度がきついと感じた。
怒鳴られたり、報告を信じてもらえなかったり、質問に答えてもらえなかったり、挨拶を無視されたりといった、人間関係トラブルが多発した。攻撃的な方面に病んでいる人が多いと感じた。3週間で精神的に追い詰められて退職した。
パソコンに向かって延々と入力する仕事をしたこともあった。これはまあまあ合っている感じはしたが、言わば書き写し業務なので、楽しいわけはない。
トイレや水分補給の自由がなかったり、成績を張り出されたり、椅子に背もたれがなかったりといった環境の問題もあり、そう長くできる仕事ではなかった。
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30代実家暮らし、働かず家にいる男の日記(あぎるnote)
著者は1985年生まれの男性。 不登校、社会不適応、人付き合いが苦手。 内向型人間。HSP。エニアグラムタイプ4。 宗教・哲学(生き方)…
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