概念というもの。
人それぞれだけど私は
〈自ら壊しに行く〉
というよりかは
〈自分なりってのをしたら自然とぶっ壊れるもの〉
なんだと思っている。
様々な仕事があって
十人十色の生活の仕方があって
それぞれ事情というものがあって。
確かに『一般的な概念』ってものは存在する。
自然と〜なんて
前述のようなことを言った私だが
人知れず とーーーーっても
そんな一般的な人の目や人の考えを気にして生きてきた。
だから
活動していく中で
”自分勝手にやろうとしても最終的には周りの評価を気にしている”
っていう中途半端ガールをかましているのである。
だけど
それもチリツモだった。
自分で作ってしまった矛盾や中途半端が
しんどくて苦しくて毎日無気力になって
何も手付かずになってしまう
っていうのがデフォルト。
それが嫌で
どうにか打開したかった。
それが難しかった。
爆発しそうになって
人の言葉にハッとして気づくんよね。
だから
少しずつだけど爆発しなくても
気持ちの浮き沈みが発生しづらくなるように
日々試行錯誤している。
そんな中で気づいたことがある。
なんと驚いたことに
私自身も強い概念で自分を縛ってしまっているではないか。
んね。びっくりよ。
周りから言われることはあったけど
『その人それぞれ感じ方あるし自分にそんなつもりはないし〜』
って思っていた。
ここ数日よね。
完璧主義ってこういうことか、だからしんどくなることが多いんだ、
って気づいたの。
燃え尽き症候群になることが多くて。
ってのにもやっと気付いて。
強い気持ちを長く持てない自分が弱いんだなぁ。
向いてないのかなぁ。
なんて思っていたけど
一生懸命に生きすぎているからこそだった。
自画自賛みたいになってしまったけど
恐らくそういうことなんだと思う。
私の【概念】っていうものが
〈完璧主義〉から来るものなので
そこから一例を挙げることにする。
自分の活動の仕方について
自分が思い描く〈自分の像〉というものがあって
その〈自分の像〉を作るに当たってめぐらす思考というのが
①『こういう人間でありたい』
②『上のランクの人はこれをしているからこれをしなければ』
③『プロを目指すならこれくらいの佇まいで』
④『プロのあの人はこういうことをしないから自分もしない』
etc……
自分の目指す像を具現化できているという面では
高得点な内容だと思うが
果たしてそれが本来自分が思い描いていた〈自分の像〉なのか
という問題なのである。
しんどくなって続いていないことが多数。
もしくは投げ出し済み。
もしくは未だに思い悩んでいる。
真偽の問題ではなく
例外もいるが
上に挙げた『』の内容を出来ている人たちは
”それを継続することが出来ている”
ということが前提条件で這い上がっている。
これは概念というよりは
実際問題、その道のプロを見ていればわかることだ。
向けられるカメラに対して凛として対応できているか
喜んで舞い上がってしまっているか
など。
って考えた時
①『こういう人間でありたい』
→なりたい人間像があるなら”真似”すればいい。無理はするな。
②『上のランクの人はこれをしているからこれをしなければ』
→”上のランクだから”出来ていることなのかもしれないから無理はするな。
③『プロを目指すならこれくらいの佇まいで』
→②に同じ。
④『プロのあの人はこういうことをしないから自分もしない』
→②に同じ。
無理してでも這い上がりたかった。
だから突っ走れるだけ突っ走って無理してたんだけどね。
それで急に投げ出したり
メンタルのバランスが取れなくなったら
無理した分が全部さよーならしてしまうかもしれないから。
無理はしてもしすぎるな
ってとこかな。
概念を持つことが悪いわけではない。
”自分が持つ概念で自分の首を絞めるくらいなら無理にそこに寄せる必要はない”
ってだけ。
って気づけたので
自分のために自分の概念崩すことにした。
『こうであるべき』ってものは
別に他の人から見たら『別にどっちでもいい』
って可能性もあるわけよ。
生きてきた中で見つけた『こうあるべき』は
意外と他の人はどうでも良かったりするし
それで嫌われることはほとんどないよ。
【概念】ってものをある日突然
ぽいっ ってするのも簡単な話じゃないから
少しずつ
”『こうするべき』って今やろうとしちゃったから『こうできなくても』大丈夫だな(。´・ω・)ノ゙”
って思えるように自分をヨシヨシしてあげて
【概念】から解き放ってあげることが
この生きづらい世界で生きる手段なのかなぁ
って私は思う。
結果論で言えばそれも
『【概念】をぶっ壊せた』ってことになるじゃん?
知らんけど(°▽°)HAHAHA
おわり