【エッセイ】 書店の消滅
今日、車を走らせていたら、いつもの通り沿いの書店が無くなっていた。
長細い店舗の中は空になり、入口には白い板が立てかけられ、店の名を書いた看板も全て白く塗りつぶされて、完全に廃墟の雰囲気を醸し出している。
最近はあまり行くことはなくなっていたが、昔から市内にあり、長年親しんでいた店だった。
「あっ!」と目を見張り、頭の中でビックリマークが出たと思ったら、その後にはそこはかとない喪失感が生まれてきた。
それは胸の真ん中にじわじわと広がり、ついには寒々とした風穴を穿つに至った。
いつも変わらずそこにあり、ふと気が向いた時に行くことが出来る当然のインフラのように思っていたものが、突然無くなると、寂しいという気持ちより先に不安が湧いてきた。
この先本屋って、こんな風にどんどん無くなっていくのかなあ。
最近は電子でも読むようになってきたが、元々私は無類の本好きである。幼い頃から数え切れないほどの漫画や小説と供に育ってきたので、本と言えば一番仲の良かった幼馴染みのような存在だ。
もっと言うならば、紙の本には電子書籍には無い種類の魅力があると思っている。
本を構成する紙の質、感触、匂い、それに上書きするインクの匂い。本という物体の持つ、手に取った時の重さやある種の暖かみまで。
経年劣化を楽しめるというのもいい。メルカリなどで中古本を購入することもあるが、私は誰かの手で何度も読まれた中古本にも愛着を覚える。擦り切れた表紙や保存中に出来てしまった紙の変色、〝ヤケ〟にもそれ独自の味があると思う。
本には人と同じように、歳月を経ることで出ることの可能な深みというものがある気がする。
勿論、それは人にもより、本にもよるわけだが。
内容如何によらず、〝書籍〟という物体を愛することをBibliophiliaというそうだが、自分の中にはそういう傾向があると思う。
そんな私にとって、図書館に次ぐ大量の書籍の集合空間である書店がひとつ無くなったということは、かなりの精神的痛手だ。
確かに近ごろは足を運ぶことが少なくなっていたとはいえ、今こうしている間もまだ少しずつ増幅していく喪失感を、どうすればいいのか。
世の中で電子書籍が読まれることが増えて、紙の本が売れなくなっているというのはよく耳にする。数日前にもTVで、直木賞作家で自らも書店経営者である今村翔吾さんが「全国で書店が減っている」という話をされていた。今村さん曰く、「日本は外国に比べると、まだ全国に書店は多い方」とのことだったが、とはいえ書店というハコモノの消滅に拍車がかかっているのは事実だろう。
今日私は慣れ親しんだ地元の書店がひとつ消えてしまったことにかなり動揺している。そして、何故こんなことになってしまったのだろうと考えた。
その書店は、いわゆる大手のチェーン店のひとつだった。この地方では有名な、老舗扱いの大店であることから推測するに、やはりシンプルに採算が取れなくなっての閉店だろう。上からのお達しで、惜しまれながらも速やかに閉店に至ったというのがリアルな流れだと思われる。
ううむ。
やはり世界全体的な〝紙離れ〟という大きな流れには逆らえないのだろう。紙の本は重いし、場所を取るし、調べものもしにくい。パルプ製造における森林伐採を減らすことが出来るメリットも、確かにうなづける。
……でも木はまた生えるし、植林によって木材やパルプの製造量を増やすことなんて人類の技術を以てすれば簡単なことじゃないか。
と、単純思考で考えたりもしてみる。
循環型社会にとって、木の使用を削減する必要は無いのではないか? とさえ思えてくる。プラスティックの使用は削減するべきではあるけれど。
時代に逆らう独善的なエゴかもしれないけれど、私は紙の本から離れたくないのだ。
ただそれだけだ。
……と、ここまで書いてきた時点で、ふと思い出したことがある。
閉店してしまった書店と同じ通り沿いに、やはり昔っからある、個人経営の書店が建っている。
近所の高校の教科書の専売を請け負ってきた店で、そういったわけで定期的に確実な利益を見込めるから続いていけるのであろうが、数年前から店舗をリニューアルして非常にいい雰囲気の書店になっている。
いつ行っても静かで、落ち着いた感じの音楽が流れていて、壁には市内の文化教室の生徒募集や催しのポスターなどが貼られている。
一般の書店のような雑誌やマンガは少なくて、でも花や旅や暮らしの情報雑誌とかは充実している。ちょっとセレクトショップ的な色合いもあるのだが、たまに行ってみると、なかなかいい。
ハコモノとして考えれば、ブレない〝精神〟というか〝姿勢〟のようなものがある、ちょっと敷居が高い感じはするものの、魅力的な個人書店。
採算が取れなくなると、本社の意向次第で否応なく閉店が決定してしまう大手チェーンの書店。こういう店は、時代の流れというものに簡単に飲み込まれてしまう。
でもこの店は、それとはちょっと趣きを異にする店だ。
そして「まだこの店がある」と思うことで、動揺する心が少し救われた気がした。
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