見出し画像

【縣青那の本棚】 統合失調症の一族 ロバート・コルカー 柴田 裕之訳

その本に出会ったのは、年に1~2回お世話になっているかかりつけの病院の待合室でのことだった。

数年前に前の老先生から継承という形でリフォームして出来たばかりのクリニックなのだが、ここの先生は待合室のテレビをぐるりと取り囲むように、壁一面に大きな本棚を造りつけている。

初めてその様を目にした時、私は感動と共に大きな驚きを覚えた。
本棚にぎっしりと並べられている本は、その全部・・が私が好きで読んだ本、もしくは関心があって読みたいと思っていた本だったのである。

そこにあったのは村上春樹の『ノルウェイの森上・下』『スプートニクの恋人』『騎士団長殺し上・下』など数々の作品を始めとして(村上春樹はほぼ全種類あったんじゃないかな)、サマセット・モームの『月と六ペンス』、サリンジャーの『ナイン・ストーリーズ』、馳 星周の『少年と犬』、宇佐美りんの『かか』、水野 敬也の『夢をかなえるゾウ』などなど……。
まるで自分がこの本棚のレイアウトを任されたかのようだった。
これをシンクロニシティと呼ばずして何と呼ぼうか。実際その時、私はうっすら恐怖さえ覚えた。こんなに本の好みが同じということがあるのだろうか、と。

だがその後、行くごとにその本棚のレイアウトは少しずつ変わった。初めて見た日から二、三度目ぐらいのレイアウト変更で現れたのがこの『統合失調症の一族』だった。
疾病の名を冠したこの本に医療従事者として先生は関心を持ったのだろう、その本は本棚全体で言うと中央からやや左にれた上の方に配置されていた。
「面白そうな本だな」
私は物語を愛し、小説を読んだり書いたりするが、実を言うと科学ものや歴史もののノンフィクションにも目がない。まだあらすじさえ読んでいないというのに、タイトルだけでムクムクと興味が湧いた。
そこで早速、天下のAmazonで……と思ったのだが、検索してみると、この本、気軽に手に入れられる代物ではなかった。
価格がやけに高い。新刊の定価が何と3740円だ。「ちょっと読んでみたいな~」ぐらいの感覚で購入するには二の足を踏む感じである。
というわけで、伝家の宝刀現在お気に入りトップの買い物アプリメルカリさんで探してみた。メルカリの良いところは、ちょっと足踏みしてしまうような価格の品でも出品者によっては破格の値段で出していることもあるところだ。
今回私はラッキーだった。この高額な本をほぼ新品・未使用の状態で何と0円で手に入れることが出来たのだ。
出品価格は2950円。まともに購入すれば3740円なので、その時点で既に790円得していることになるが、溜まっていたポイントとメルカリ販売で得ていた収益を使い、実質0円でこの本を購入した。
ちなみに出品者の方は本の導入とあとがきを一読したのみとのこと。
こんなに高額な本をそんな買い方する人がいるのだな……と驚愕したが、実際届いた実物はまさに新品として遜色なく、満足だった。


ところで、ようやく本題。

つい数日前、私はこのノンフィクションを読み上げた。
今感じているのは、深い感慨未来への明るい展望、そして〝愛を持つ強い女性〟に対する畏敬の念である。
この記事の冒頭の画像に乗せてある本の表紙の通り、これはある大家族の12人きょうだいの内、半数の6人が統合失調症という精神の病を発症したという驚くべき出来事について書かれた本だ。
読者はまず驚く。え、12人きょうだい? ――しかも、上の10人が男で、下の2人が女だ。
それでそれで? え、上の10人の兄達の内6人が統合失調症に? 
マジかーーっ!
てなところである。

読書を始めた段階での一番の興味は、本の表紙の真ん中に書かれてある通り、「遺伝か、環境か」。つまり統合失調症という病気が発祥するのは逃れようのない遺伝子によるものなのか、それとも幼少期のトラウマや発育環境の問題によるものなのかということだった。
かつては精神分裂病と言われていたこの病気が未だその多くを謎に包まれ、完治可能な治療法の確立も叶わずに研究段階にあるということは知っている。この本を読み通せば、この難解な病にかかってしまう原因を知ることが出来るのだろうか、と、物見高いような、言わば浅はかな気持ちで読み始めた。

ところが本を開き、ページをめくると

忍耐力をこの上なく明確に示したければ、家族をけっして見放さないことだ。            ――アン・タイラー

統合失調症の一族

という文言があった。

目次の前、本編に入る前の、読者が真っ先に目にするページだ。
どうやらこれがこの本の最も伝えたいメッセージらしい、と確信する。

ところで、どんな内容なのか…… ページをさらにめくっていく。

実はこの本は、最終ページの原注までを数えれば軽く500ページを越える大作である。しかも3部に分かれ、45もの章から成っている。そして1章ごとに年代や場所の異なる、多すぎる登場人物に関わる出来事が不規則に羅列され語られていく。決して読みやすい本ではない。

メルカリの出品者の方は本の厚さと登場人物の多さ、そしてこの構成の複雑さに「ぐっ……」となって、読み通すことを諦めたのかもしれない、と思った。

ところが実を言うと、ぶ厚い本というのは私の大好物である。重量がネックにはなるが、今回のこれは四六版並製で、上製のものに比べれば軽いと思えた。

私は美味しいお菓子を食べるように、少しずつ楽しみながら文章を追い、ページをめくっていった。

最初にプロローグがあり、この大人数で複雑極まりない家族が初めて紹介される(何せきょうだいだけで12人、父母を入れて14人の大所帯だ)。

ギャルヴィンという姓のその一家は、

父 ドン(ドナルド) 
母 ミミ(マーガレット)

きょうだいの名前は上から
ドナルド、ジム、ジョン、ブライアン、
マイケル、リチャード、ジョー、マーク、マット、ピーター
そして下に二人の妹
マーガレット、メアリー

わずらわしいのでここでは省くが、それぞれ洗礼名クリスチャンネームを持つ。

一家はカトリックである。

カトリックの教えでは、堕胎は厳しく禁じられている。
とは言えカトリック信者の夫婦であっても、ある程度の数の子供を生めば、経済的理由や母親の年齢などへの考慮からいつかは〝打ち止め〟にするものだ。だが、このドンとミミの夫婦は医師から渋面を見せられても、あからさまにストップをかけられても、子供を作り続けることを決して止めなかった。

そういうわけで、結果ギャルヴィン家は総勢12人の子供を持つことになったわけだが、それはよくある「大家族〇〇さんチ」みたいな賑やかでほっこりするファミリードキュメンタリーのような物語にはならなかった。

まず初めに精神に異常を来したのは、長男のドナルドだった。
父親に似てハンサムで大学ではフットボールの花形スターだったドナルドは、ある日突然焚火の火の中に飛び込んだ。後に彼は、「死ぬつもりだった」と告白した。
その日からどんどん彼の状態は悪くなっていき、発する言葉や行動は逸脱の度合いを増していった。

末娘のメアリーが7歳の時、ドナルドは27歳で頭はすっかり剃り上げてあり、顎には聖書の登場人物を思わせる髭を生やしていた。しかも、赤みがかった茶色のシーツを体に巻きつけ、修道士の装束のように仕立てている。日によってはおもちゃのプラスティックの弓矢を携えていることもある。
雨が降ろうが風が吹こうが、彼はこの出で立ちで一日中、夜間であっても近所を延々と歩き回るという。

更にドナルドは、なぜか突然家中の家具という家具を裏庭に運び出してしまう。魚を飼っている水槽に塩を注ぎ込んで魚たちをみんな死なせてしまったこともある。服用した何種類もの向精神薬をトイレで吐いていたり、リビングの真ん中に素っ裸で静かに座っていることもある。弟達と争って、母親が警察を呼ばなければならない羽目になることもしょっちゅうだ。

だがドナルドは、たいていは宗教的なことに没頭している。「聖イグナチオに『霊操と神学』の学位を授けられた、と言って、毎日日中の大半と、夜にも、使徒信条と主の祈り、そして彼が「聖職者たちの聖なる修道会」と呼ぶ独自のリストを朗々と暗唱する。

……「至善至高なる天王、ベネディクト会修道士、イエズス会、聖心会、無原罪懐胎、聖母マリア、穢れなきマリア、オブレート会、メイ・ファミリー、ドミニコ修道会、聖霊、修道院のフランシスコ会修道士、一つの聖なる普遍、使徒、トラピスト修道会士……」
 メアリーにとってその祈りは水が止まらずぼたぼた滴り続ける蛇口のようなものだ。「やめて!」と金切声を上げても、ドナルドはけっしてやめず、わずかに中断するのは、息継ぎのときだけだ。メアリーは兄が、家族全員、特に信心深いカトリック信徒の父親を叱責するためにやっているように思える。

統合失調症の一族 ロバート・コルカー 柴田裕之訳 p-11


ある日メアリーは、ドナルドを家の近くの丘の上に生えている木にロープでくくりつけて、火をつけて燃やそうとした。ドナルドはメアリーを聖母マリアと思い込み、崇拝しているので、何でも彼女の意のままになった。
メアリーは兄を高い松の木に縛りつけ、焚き付けを探しに行って大小の枝を抱えて戻り、兄の裸足の足の下に放り出しまでした。

けれどその時、メアリーは100%本気であったわけではなかった。
まず、マッチを持って来ていないので、火のつけようがなかった。そしてより決定的だったのは、彼女が〝兄と同じではない〟点だった。

彼女は地に足の着いた子供で、心は現実の世界に根差していた。

統合失調症の一族 ロバート・コルカー 柴田裕之訳 p-13

メアリーが精神に異常を来していない子供だったことは、この日ドナルドにとって幸運なことだったと言える。もし彼女が他の幾人かの弟達のようだったら、そのまま自分の意志にブレーキをかけることなく行動を完遂したかもしれなかったからだ。

とりもなおさず、メアリーは計画を放棄した。そして、兄を燃やす代わりに、丘の上に置き去りにした。兄は木にくくりつけられたままの姿で、長い間、その場に立って祈っていた。
メアリーはそのしばらくの間だけ、独りで過ごすことが出来たのだった。

長男のドナルドが最初の、最も目立つ症例だった年月の内にも、弟のうち5人がひっそりと精神に変調を来しつつあった。

それぞれについて簡潔に書いてみよう。

1.末弟のピーター。幼い頃から一家の叛逆児はんぎゃくじであり、母親のミミに「ノー!」としか言ったことがなかった。
ピーターは躁病で乱暴で、長年に渡ってあらゆる支援を拒んだ。

2.その上の9男、マシューは才能ある陶芸家だったが、ある日一家がお世話になっているゲイリー家の屋敷に陶芸作品を持って現れ、全裸になった挙句にその作品を床に投げつけて叩き割った。
後に自分がポール・マッカートニーだと思い込むようになり、そうでない時には自分の気分が天気を決めていると信じていた。

3.7男のジョセフは、兄弟の中で最も物腰が柔らかく、痛いほど自意識が強かった。
ジョセフは異なる時や場所の人の声を、はっきりと聞いた。

4.次男のジムは一匹狼で、長男のドナルドと激しく争い、一家でも特にか弱い者たちに襲いかかった。
妹のマーガレットとメアリーが、とりわけひどい目に遭わされた。
その事実を知った後は、父親のドンでさえ、彼が家に入ろうとすると「出ていけ!」と怒鳴り、一家から遠ざけるようになった。

5.4男のブライアンは、すばらしい才能の持ち主だった。ミュージシャンで、ハンサムで、一家のアイドルで、音楽で身を立てていた。けれど深刻そのものの恐怖心を家族の誰にも隠していた。彼はやがて家族を困惑させる暴力の爆発により、悲劇的な結末を迎えることになった。


このような、変調を来した兄弟達に起こった出来事と並行して、この本ではフロイト以前の時代からの精神医学の発展についてもこと細かに紹介している。

統合失調症がかつて精神分裂病と呼ばれていた時代には、セラピー療法と同時に電気ショック療法や水療法、そしてあの悪名高いロボトミー手術などが精神医療の世界では積極的に行われていた。

そして満を侍して完成した画期的な治療法、投薬療法が登場する。

この療法は一見、統合失調症に苦しむ患者を平和的な状態に導き、彼らの精神状態を安定させることに成功したようだった。

ところが長い期間を経て得られた成果については、芳しいものではなかったと言える。何故なら処方された薬を飲むことによって、外側から見える患者の症状は確かに落ち着くが、妄想や幻覚、恐怖心や攻撃性から解放される代わりに、患者自身の積極性が失われ、身体の運動性の障害、血圧の変動や内臓への負担などが認められたからだ。

副作用の無い薬というものは無い。苦しめられている症状が少しでも和らぐのならば、投薬にはポジティブな意義があると言うことが出来る。ましてや、当人にも家族にも多大な苦しみと犠牲を強いる状態の症状を持つ精神疾患ならば。

けれども、実際ギャルヴィン家の統合失調症を発症した兄弟の内少なくとも2人が、長年精神疾患薬を服用し続けた影響による内臓の疾患が原因で亡くなったということは事実だ。

だが現状、投薬は致し方ないとして(またロボトミー時代に戻るというわけにはいかない)、この本では統合失調症の研究の歴史的な遷移について、詳しく説明している。昔から現代に至るまで、多くの研究者達が莫大な時間と費用をかけてこの研究に心血を注いできた。

その研究において、長い時間を経た後にわかったことではあるが、ギャルヴィン一家の貢献は大きい。何しろ14人から成る大家族で、その内の6人が統合失調症を発症しているといった家庭は、アメリカ広しと言えどもなかなか他に無いだろう。同一の遺伝子グループを持つ多数メンバーによる集団は、研究対象としては最もありがたい存在だったに違いない。

ギャルヴィン一家の提供した血液サンプル(他の家族のものもあるが)によって進められた研究では、確かに画期的な発見が得られている。


この本の表紙には、「遺伝か、環境か」という問いかけが記されている。
本分中には、言葉を替えて研究者達が長い間「生まれか育ちか」論争に明け暮れてきた様が描かれているが、統合失調症という病気を引き起こす究極的な原因というものについては、残念ながら現在でも決め手となる答えは解明されていない。

ただ、幾つかの指標となり得るキーワードは明らかになっている。

ひとつは、遺伝。現代の進化した研究装置を駆使して徐々にその謎は解明されつつある(まだその答えに到達するには時間がかかりそうだが)。
現在のところ、コロラド大学メディカルセンターのロバート・フリードマン博士による研究において、CHRNA7と呼ばれる遺伝子が収まっている染色体の異常が統合失調症の発現に結びついている事実が発見されている。
脳にある海馬と呼ばれる器官の細胞中のα7ニコチン受容体という神経を制御する構成要素がうまく働いていないということだが、難しい話は置いておいて、脳内の顕現可能な箇所を特定するのに成功した事実は非常に画期的である。

更にフリードマンは、統合失調症の予防に関する有効な対策の提案もした。
彼は妊娠時にコリンを大量摂取することで生まれてくる赤ん坊に統合失調症が発現することが防げるという説を唱えた。研究の成果を示して食品医薬品局の許可を取り、実験を行ったところ、著効を示した。
コリンは、野菜や肉、卵など、我々が日々摂取する多くの食品に含まれている。妊婦が妊娠期間内に大量のコリンを摂ることによって、生まれてきた赤ん坊達に統合失調症の指標となる異常が有為に見られなかったという結果が出たのだった。
これを受けて、2017年にはアメリカ医師会が、統合失調症やその他の脳発達障害の発症を防ぐ助けとするために、妊婦用ビタミン剤のコリン含有量を高めるべきであるという決議案を承認したほどだった。

遺伝学者リン・デリシと神経生物学者ステファン・マクドノーによる遺伝子研究もまた、SHANK2という脳細胞にとってコミュニケーション・アシスタントの役割を果たす遺伝子の変異が統合失調症の原因として有力である可能性を発見した。

統合失調症の原因となり得ると考えられるキーワード、もう一つは、環境
つまり「育ち」のことだが、子供が発育期間中にこうむる過度のストレスや特定の出来事に対する反応などによって病が引き起こされるという考えだ。
フロイトなどは最後までこの説にくくることに固執していたそうだが、弟子のユングに反論され、研究が進化していくにつれてその影響力は徐々に弱まっていったものの、いまだに「統合失調症誘発性の母親」という言葉が残っているほど、根本的な問題提起の命題として排除出来ないもののようである。

「統合失調症誘発性の母親」とは何だろうか。

〝何に関してもきちんとしていて、勤勉で、支配的で、子供を監視し厳しく躾けて常に自分のコントロール下に置こうとする母親〟、と言えばわかりやすいだろうか。

本文を読む限り、ギャルヴィン家の母親ミミは、この種類の母親に分類されるようである。さらに彼女は息子達が病を発症した後も(そうするしかなかったのかもしれないが)、「何ごとも無かった」ように振る舞うのを止めなかった。
けれど決して息子達を一人として見捨てることはせず、常に家族の中心として出来る限りの世話を焼き、家にいない息子に対しても連絡を絶やさなかったという。
彼女と接した病院関係者や統合失調症の研究者達は口を揃えて言う、「楽しい人でした」と。
ミミという母親はある意味、気丈で、戦後世界一の繁栄を享受したアメリカを象徴するかのような、常に前向きで明るい、強い女性であったと言えるのかもしれない。

また、環境による影響の一因として、ギャルヴィン夫妻が多数の兄弟姉妹を〝産み〟っ放しにして、彼等が多感過ぎる幼児期を過ごしている大切な期間、長期間家を留守にする日々を過ごしていたことも影響があるように思う。
それに加え、家族が形成される初期の頃、つまり長男のドナルドや次男のジムが生まれた頃から既に、父親のドンは仕事や趣味の鷹狩りにかまけて家庭のことをほとんど顧みなかったという事実もある。
さらにさかのぼれば、夫婦が結婚してから最終的にコロラド州コロラドスプリングズに落ち着くまで、軍人であるドンの仕事の都合上、一家は何度も何度も転居を繰り返した。12人の子供達のほとんどは、それぞれ違う都市で産声を上げている。目まぐるしく変わる環境の変化が、幼い子供達の精神に全く影響を及ぼさなかったということがあるだろうか。

こうして考えてみると、ギャルヴィン一家については限りない複雑性がまとわりついているように思える。家族の人数、男の子の多さ(その男の子達にはほとんど全て、凶暴性があった)、放任主義楽観主義で、常に留守がちな父母、問題が起こった後に続けられた現実逃避、統合失調症の治療や原因究明についてがまさに発展途上であった時代であったこと、遺伝的にこの病気の多発家系であった事実、遺伝子研究で常に研究者の頭を悩ませた、きょうだいの内で発症する者としない者がいる謎……。


総合的に考えると、もともと遺伝的要因をはらんだ家系の人同士がものすごく特殊な状況で特殊な家庭を築き、子供達に特殊な発育環境を与えた挙句にきょうだいの50%が統合失調症を発症してしまった非常に稀有なケース、という結論に落ち着きそうだ。
父方か母方かという疑問については、はっきりとしたことはわかっていない。
SHANK2遺伝子の異常は母親であるミミの家系に見つかったが、父親のドンは戦後、海軍情報将校時代に入院するほどのうつ病を発症している。

夫婦同士で、どちらが悪いということは言えないだろう。
ドンは昔気質のやり方とはいえ一家の厳父として家族をまとめようとしていたし、実際子供達は全員が父親のことを尊敬していた。ミミはごく若い頃から幾つも彼女を襲った苦難に1ミリも屈することない鋼の精神を持ち合わせていた。そして家族へ振り向ける愛という点では、表現の仕方はどうであれ、彼女ほど強いものを持っていた者はいなかったかもしれない。

最後に、ミミのその精神を受け継いだのが末っ子のメアリーだったことを強調しなければならない。この本の冒頭にあった文言、

忍耐力をこの上なく明確に示したければ、家族をけっして見放さないことだ

これを体現したのは一番年下のメアリーだった。
彼女はこの恐ろしい家族から身を引いて他人のようになり、永遠に距離を置いて生きることも出来たはずだった。
リンジーと名前も変え、結婚して自分の家庭も持っていた。

けれど、病める兄達をこのまま見限ってしまうのは、彼女にとって
寂しい
ことだったという。

メアリー → リンジー は諦めずに行動することを選んだ。姉のマーガレットが打ちひしがれて立ち直れず、家族から離れていた間も、彼女は腹を立てながらも姉のことも見放さなかった。

私は、この強さは母親のミミから受け継いだものに違いないと思っている。

精神疾患という深刻な問題だらけで崩壊寸前の大家族でさえ、家族の中にたった一人でも〝踏ん張る〟人間がいれば、後戻りの出来ない傷を残したままであっても、再生することは可能だということを教えてくれた本だったと思う。

リンジーとマーガレットが家族に起きたことを本にして人々の為に役立ってくれればと意図し、作家のロバート・コルカーと出会ってくれた勇気に感謝したい。


ドンが勤める軍の施設の階段にて撮影された写真

この表紙写真に写るのは上の十人の男の子兄弟
だけだが、その下に更に二人の女の子がいる

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集