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映画『哀れなるものたち』感想 SF・アングラアート・女性一代記のフランケンシュタイン映画

 色々な要素を繋ぎ合わせて創られた、まさしく「フランケンシュタイン」的な作品。映画『哀れなるものたち』感想です。

 医学生のマックス・マッキャンドレス(ラミー・ユセフ)は、外科医で研究者のゴドウィン・バクスター、通称“ゴッド”(ウィレム・デフォー)に、助手になることを依頼される。その任務は、ゴッドの家に暮らす脳が未発達の女性、ベラ・バクスター(エマ・ストーン)の行動を観察し、記録することだった。成人女性でありながら、幼児の振る舞いをするベラだったが、急速に多くの感情や語彙を覚え、性の歓びにも目覚めていく。マックスはゴッドにベラの正体を問い詰めると、ある妊婦が橋から飛び降り自殺した死体を回収し、胎児の脳を母親に移植して生き返らせたのがベラだという。
 ゴッドの提案でマックスとベラは婚約をするが、外の世界に好奇心を抱いていたベラは、弁護士のダンカン・ウェダバーン(マーク・ラファロ)の誘いに乗り、駆け落ちをしてしまう。ダンカンとの旅とセックスに耽りながら、ベラは次第に知性を身に着け、世界の真実を理解し始める…という物語。

 アラスター・グレイの同名小説を原作にして、『聖なる鹿殺し』『女王陛下のお気に入り』で知られるヨルゴス・ランティモス監督が実写化した映画。発表間近となっている現時点では、アカデミー賞各部門総ナメでノミネートされており、最多受賞の有力候補となっています。
 ということで、見逃す手はないので期待と共に観てまいりましたが、美術と衣装では確実にオスカー受賞間違いないんじゃないでしょうか。まず、この世界観とデザインに圧倒されます。

 作中では19世紀ヨーロッパのような雰囲気ですが、あらすじにあるように脳移植も可能としている世界なので、SFといえる内容になっています。現実離れしたクリーチャー的な動物もいたり、馬車も馬が曳いているように見えて蒸気エンジンのようなものが動力だったりという、スチームパンクな世界観であることがわかります。
 遺体を使った研究者というので、モチーフは「フランケンシュタイン」であることは明らかですね。その世界観に合わせて、人体解剖、人体実験というものに対する倫理観のハードルが、現実よりも極端に低い世界になっているように思えました。この辺りを理解するかしないかで、結末を痛快と感じるか、感じないか分かれることになると思います。

 この現実の歴史とは違う世界観を、丸ごとスタジオセットを作って撮影しているそうですが、かなりのアングラアートなものになっていて、非常に面白いデザインになっています(人によっては不気味で恐ろしいものかもしれませんが)。ベラの衣装も独特だし、画面上に出てくるあらゆる生き物、建築、道具が面白く、まるでベラが好奇心を刺激されるが如く、観客としてもこの異世界旅行を楽しめるものになっています。イェルスキン・フレンドリックスという方の劇伴も、そこに一役買っています。この音楽、エレクトロニカ的な実験音楽ですが、ポップな感じもあり、めちゃくちゃセンス良いと思います。
 これだけの異形の作品に、金を掛けて創り出すことに日本映画との差を見せつけられる思いがしました。日本だったら、アングラな雰囲気に資金が出ず、中途半端なB級カルト作品になってしまうところだと思います。

 そしてそのアングラな雰囲気をそのままに、ちゃんと映画物語として「面白い」というところまで持っていっているところが今作の本当に凄い点ですよね。ベラが知性を得ていく過程も、とてもしっくり来るし、それでいて幼児だった頃と別人になるわけでもなく、きちんと地続きの人間性になっています。エマ・ストーン、会心の演技なんじゃないでしょうか。オスカー獲ってもおかしくないものだと思います。ダンスのシーンなんて、最高ですよね。初めてダンスミュージックに触れた時の、身体を動かさずにはいられなくなる快感が見事に表現されていました。

 ベラの成長と共に、1人の女性が自分の人生を確立していく物語であると理解出来るようになっていて、非常に巧みな脚本になっています。簡略化はされていますが、世界の至る所にある格差、女性蔑視、男性権威主義などがベラの視点で現実諷刺として描かれています。船上でダンカンがベラから本を取り上げて投げ捨てるシーンは、女性の知的好奇心に対する抑圧をわかりやすく描いたものですね。
 ベラのセックス描写は、自主性を重んじた性の解放というわけなので、フェミニズム側面を持たせてはいます。ここに乗り切れない人もいるとは思いますが、あくまで今作のフェミニズムは主題ではなく、この物語では一側面でしかないと思います。ベラという人物のパーソナル部分としてセックスがあるというだけなので、共感出来なくとも致し方ないものに思えます。

 そもそも、今作で感情移入出来るキャラは、個人的に皆無だったんですよね。多分人体実験、人体解剖への倫理観が違い過ぎるからか、別世界の人々という印象が強かったので、かなり俯瞰して観ている感じでした。ベラとゴッドの父娘のような絆も、理解は出来るものの感動はしなかったし、作中の唯一良心的キャラでもあるマックスは、それが故か、逆にベラにとって都合のいい男性キャラに思えてしまいました。男性主人公における都合のいいヒロイン像の反転現象がマックスというキャラに感じられたんですよね。
 そういう意味では、みっともなく自滅していくダンカンの方が、よっぽど現実に即した男性キャラで、心動かされるものがあったように思えます。ただ、ダンカンを突き詰めた先には、ラストに登場する将軍アルフィー(クリストファー・アボット)のような、有害を極めた男らしさがあるのかもしれません。

 あまりドラマとしての感動よりは、この歪な世界観と、その中で描かれる寓話を楽しむ作品だったように思えます。世界観とか設定の面白さを楽しむという意味では、とても正しくSF的な映画だったようにも感じられました。
 先述したように、終わり方を痛快とするか、ブラックなものと感じるかは、この世界を受け入れられるかどうかによると思いますが、自分としては一歩引いて楽しんでいたので、自分の倫理観とは関係のないものとして、痛快というか、ちょっと笑えるものとして、すっきりとした終わり方でした。

 SF・寓話・哲学・エログロというかなりハイレベルなミックスをしながら、ユーモアと痛快劇でもあるという、エンタメとして隙の無さを見せつける傑作だと思います。


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